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ほしのきらり。

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カテゴリ

2017.09.15
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カテゴリ:美術館・博物館
イタリア・ローマ「バルベリーニ宮」国立古典絵画館 2階 第24室 エミリア派 Emiliani

「カラッチ一族」の作品展示があります。

アンニーバレ・カラッチ  Annibale Carracci

1560-1609  イタリア   バロック・ボローニャ派

17世紀に活躍したボローニャ派の巨匠

自然的でありながら大胆な構図と躍動感に富んだ人体表現によって、

マニエリスムとの離別を果たした革新者となる。

またガレリア・ファルネーゼ天井装飾画で、

後のイタリアバロックの大きな特徴となる古典主義的天井画の到来を告げる。

実兄アゴスティーノ・カラッチ、従兄弟ルドヴィコ・カラッチと共にカラッチ一族として、

共同制作による数々の傑作を残すほか、

一族によって設立されたアカデミア・ディ・デジデロージで、

古典的様式と革新的様式の教育をおこない、

グイド・レーニやドメニキーノなどバロック古典主義における重要な画家たちを輩出した。

宗教画、風景画の他、風俗画や肖像画など活躍は多岐にわたり、

古典主義的美学の基礎を築いたアンニーバレ・カラッチは

一族の中でも特に優れており、

国内のみならずフランスなど諸外国でも高い評価を得ていた。

ガレリア・ファルネーゼ天井装飾画 1597-1600年頃

Fratelli di Catania

2014×659cm  フレスコ  パラツィオ・ファルネーゼ(ローマ)

アンニーバレ・カラッチ最大の傑作『ガレリア・ファルネーゼ天井装飾画』

この古典主義的天井画の到来を告げたバロック絵画を代表する本作は、

オドアルド・ファルネーゼ枢機卿の依頼により

パラツィオ・ファルネーゼの装飾画として描かれた作品で構成される

数々の場面を通し全体で『神の愛』を賛歌し表現したものである。

その表現は、

同時期に『聖マタイの召命』を始めとする連作を描きあげた

カラヴァッジョの表現とは対極に位置し、

軽快かつ陽気で色彩豊かな華麗な表現を見せている。

これはミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂天井画や

ラファエロのガラディアの勝利に代表される古典様式、

ティツィアーノやコレッジョのパルマ大聖堂天井画における色彩や構図等と、

壮麗なバロック様式との融合を意味しており、17世紀美術の基盤ともなった。


アンニーバレ・カラッチ・・・とは?

アンニーバレ・カラッチ Annibale Carracci

1560年11月3日 - 1609年7月15日

バロック期のイタリアの画家

イタリア美術における初期バロック様式を確立した画家の一人であり

イタリア北部のボローニャを中心に活動した

ボローニャ派の代表的画家である。

アンニーバレを中心とするカラッチ一族の門下からは多くの著名画家が育っており、

後世への影響も大きい。日本語では

ファーストネームを「アンニバーレ」、「アニーバレ」、

姓を「カッラッチ」「カルラッチ」等と表記する場合もある。


【生涯】

カラッチは、

16世紀イタリアのボローニャ派を代表する画家の一人である。

20世紀以降、アカデミックな絵画の退潮とともに、

カラッチのような伝統的作風の画家は等閑視される傾向にあるが、

イタリア絵画における初期バロック様式の確立、

古典様式の復活に貢献し、

門下から多くの画家を育成した点で、

西洋絵画史上重要な画家の一人である。

カラッチは1560年、イタリア北部ボローニャに生まれた。

兄のアゴスティーノ・カラッチ(1557年‐1602年)、

従兄のルドヴィーコ・カラッチ(1555年‐1619年)も画家であり、

西洋美術史では彼らを総称して「カラッチ一族」と呼ぶことが多い。

アンニーバレは3人の中では技量の点でもっとも優れると評価され、

兄のアゴスティーノは画家であるとともに、一派の理論的指導者であった。 

『エジプトへの逃避』(1604年頃)


アンニーバレは、画家バルトロメオ・パッサロッティのもとで絵画の修業をした。

初期の作品には、師の影響を受けた風俗画もあるが、

本領としたのは、キリスト教や古代神話に題材をとった歴史画であり、

宮殿などの大規模な装飾に力を発揮した。


1585年頃、カラッチ一族は、

ボローニャにアカデミア・デリ・インカミナーティという画学校を設立した。

この画学校では、

人体素描や古典彫刻の模写などの基礎技術の習得を重視し、

グイド・レーニ、ドメニキーノ、グエルチーノなどの著名画家を輩出した。

アンニーバレの年記のある最古の作品は、

ボローニャのサンタ・マリア・デッラ・カリタ聖堂の『磔刑(たっけい)』(1583年)である。

1580年代から1590年代前半にかけては生地ボローニャで活動し、

聖堂、宮殿などの装飾を多数手がけているが、

彼がその本領を発揮するのは、1595年にローマに出てきてからである。

ローマでは、名門ファルネーゼ家、中でも枢機卿オドアルド・ファルネーゼの庇護を受け、

1597年からは、代表作となるファルネーゼ宮殿の天井装飾を手がけている。

この天井画は、弟子のドメニキーノ、グイド・レーニなどを動員して

制作した畢生の大作であるが、

この大仕事に対する報酬が予想外に低かったことから、

カラッチはうつ病になり、

これ以後の晩年は制作がふるわなかったと言われている。


【様式・影響】

『バッカスとアリアドネの勝利』(1597年‐1604年)ローマ、ファルネーゼ宮殿天井画

アンニーバレを中心とするカラッチ一族の功績としては、

イタリア・バロック期絵画における古典主義様式を確立したことがある。

16世紀に盛行したマニエリスム絵画は技巧的な構図、

自然の比例を無視して引き伸ばされたような人体表現などの

反古典主義的様式を特色としていた。

16世紀末になると、

トリエント公会議や対抗宗教改革などの影響もあって、

こうした技巧的な様式は宗教画としての規範に反するものと考えられるようになり、

盛期ルネサンス風の明快な構図、

写実的な人体把握がよしとされるようになったのである。

カラッチ一族の様式は、

マニエリスムの画家たちの技巧や奇想に走った様式とも、

カラヴァッジョ風の冷徹な写実に徹した様式とも一線を画したもので、

「マニエラ」(様式、理想美)と「ナトゥーラ」(自然、写実)との調和が取れた様式と評された。

代表作のファルネーゼ宮殿天井画は、

半円筒状の天井に『バッカスとアリアドネの勝利』を中心に

多数の画面を配置した複雑な構成になり、

描かれた装飾と現実の建築部材との境界があいまいになる錯視効果を上げている。

代表作の『バッカスとアリアドネの勝利』は、

理想化された堂々たる裸体表現にミケランジェロの影響が感じられ、

人物を互いに重ならないようにバランスよく配置する構図法は古典主義的である。

古典を学び消化したうえで新時代の絵画を創造しようとする意気込みがここには感じられる。


【代表作】

肉屋 (1580年代) シュトゥットガルト州立美術館

豆を食べる人(1583-1585年)コロンナ美術館

聖母被昇天 (1590年頃) プラド美術館

聖ルカの聖母(1592年)ルーヴル美術館

ヘラクレスの選択(1596年頃)カポディモンテ美術館

バッカスとアリアドネの勝利(1597年‐1604年)ローマ、ファルネーゼ宮殿天井画

聖母被昇天 (1600–1601年) ローマ、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会

エジプトへの逃避(1604年頃)ローマ、ドーリア・パンフィーリ美術館

キリストの死(3人のマリア)(1606年頃)ロンドン、ナショナル・ギャラリー

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最終更新日  2017.09.15 00:00:29
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