7496564 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

「きらりの旅日記」

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カレンダー

プロフィール

ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2017.09.19
XML
【ローマ旅行】を企てております~地下鉄「バルベリーニ駅」から

ベルベリーニ宮『国立古典絵画館』Palazzo Barberiniを2時間鑑賞して

「4つの噴水」Quattro Fontaneの角から

クイリナーレの丘「クイナーレ宮殿」を右に見て歩き ・・・

サンタンドレア・アル・クイリナーレ教会 (Chiesa di Sant'Andrea al Quirinale)立ち寄り

めっちゃ~ベタな「トレヴィの泉」へ向かいます(^0^)V



トレヴィの泉 Fontana di Trevi・・・とは?


トレヴィの泉
Fontana di Trevi

ローマにある最も巨大なバロック時代の人工の泉(噴水)である。

ローマでも有数の観光名所として賑わっている。

トレビの泉、トレドの泉とも呼称される。

ポーリ宮殿(Palazzo Poli)の壁と一体となったデザインで、

中央に水を司るネプトゥーヌス(ポセイドーン)が立ち、

左に豊饒の女神ケレース(デーメーテール)、

右に健康の女神サルース(ヒュギエイア)が配置されている。

これら池全体の造作は

ニコラ・サルヴィ (Nicola Salvi) の原案で

ピエトロ・ブラッチ (Pietro Bracci) が制作した。


【位置】

クイリナーレ宮殿の西側、

スタンペリア通り沿いのトレヴィ広場(Piazza di Trevi)にあり、

ローマ地下鉄A線バルベリーニ駅から徒歩圏内に位置する。


【歴史】

元々は古代ローマ時代に皇帝アウグストゥスが作らせたもので、

ヴィルゴ水道(ヴェルジネ水道、乙女の水道の意)の終端施設としての

人工の泉が場所を替えた後、今の位置になった。

その後、泉は教皇クレメンス12世の命により

ローマの建築家ニコラ・サルヴィの設計で改造、

彼の没後の1762年に完成した。 



コインを投げる・・・意味とは?

【言い伝え】

後ろ向きにコインを泉へ投げ入れると願いが叶うという言い伝えがあり、

投げるコインの枚数によって願いが異なるとされる。


コイン1枚だと「再びローマに来る」ことができ

2枚では「大切な人と永遠に一緒にいる」ことができ

3枚になると「恋人や夫・妻と別れることができる」と言われる。


3枚の願いは、キリスト教が離婚を禁止していたという歴史の名残りである。

このコインは半分がカトリック系チャリティ団体に寄付される。


【トレヴィの泉が登場する主な作品】

・・・音楽・・・

ローマの噴水 - オットリーノ・レスピーギ作曲の交響詩(「第3部 真昼のトレヴィの泉」)


・・・映画・・・

ローマの休日

甘い生活



【事件】

事件で赤く染まったトレヴィの泉

2007年10月19日、観光客が何十人もが泉を眺めるなか、

何者かが赤い塗料を泉に投げ込み、噴水が真っ赤に染まるという事件が発生した。

「灰色のブルジョア社会を朱に染めてやる」というビラが残され、

その人物は逃走した。その後の洗浄作業により大理石への被害は防がれた。


【修復工事】

2014年6月5日より、フェンディ単独で資金を提供し、修復工事がスタートした。 

今回の資金提供は、ローマ市内にある歴史的な噴水を修復および保護することを目的とした

「FENDI for FOUNTAINS」プロジェクトの一環として行われ、

修復には218万ユーロ(約3億520万円)かかり、2015年秋に完了予定。


ポーリ宮殿・・・とは?


【ぐるっと1周してわかる建物の見所】

トレヴィの泉と言えば・・・

ローマで最も有名な噴水。

バロック時代に建てられた最大の噴水は、

映画「甘い生活」の舞台にもなった。

イタリアに一度も行ったことがなくても、

この観光名所を知らない人はいないだろう。

でも、「ポーリ宮殿は?」と聞けば・・・

「それはどこ?」という人がほとんどではないだろうか。

実は、このポーリ宮殿があってこその、トレヴィの泉なのだ。

というのは、ポーリ宮殿の一部が、

トレヴィの泉になっており、

宮殿全体はローマのバロック建築を代表する建物である。

そして、建物のイメージは、外をぐるっと1周してはじめて見えてくるのである。



ローマで「新しい」建物と言えば・・・バロック式 !?

バロック式のポーリ宮殿は、

2000年以上の歴史を持つローマでは比較的新しい建築物だ。

とは言っても、16世紀に遡るのがローマのすごいところ。

宮殿の建設は、1573年に建築家ロンギに委託され、

18世紀前半まで、建物の隅々が改築や増築された。

もともとは、チェーリ宮殿と呼ばれていたが、

1678年にポーリ家が建物を買い取り、拡大していったのである。

こうして、ポーリ宮殿という名が定着した。

全体的には、ロココ調の建物で、

日中でも夜でも白い色が映えていて、街の一角を明るくしている。



ローマのアーティストの・・・贅沢な邸宅

こんなゴージャスな建物に住めば、想像力も刺激されるのだろうか。

18世紀には、名高い詩人、ジュゼッペ・ジョアキーノ・ベッリが住んでいた。

ベッリは、ローマの方言でソネットを綴った詩人で、

彼の最高傑作はこのポーリ宮殿で生まれたと言われている。

また、ローマの著名な文化人たちが集まり、

読書会をよく開いたという記録も残っている。

それにしても、贅沢な邸宅で、

このような建物が見飽きるほどあるこの街は

語りきれないほどの魅力にあふれている。


銅板の写真ネガや・・・銅板画を集めた機関

現在では、イタリア政府が建物を管理しており、

ポーリ宮殿の別称は、「国立銅板印刷研究所」。

実は、19万点もの貴重な銅板の写真や絵が収められている。

また、ホールで、展示会なども頻繁に行なわれているので、

公開されている時にあたれば、ちょっと覗いてみよう。



映画『甘い生活』1960年・・・とは?


トレヴィの泉でロケした『甘い生活』

原題:La dolce vita

1960年に公開されたフェデリコ・フェリーニ監督のイタリア映画である。


1950年代後半のローマの豪奢で退廃的な上流階級の生態、

その場限りの乱痴気騒ぎやアバンチュール、

社会を生きる上で指針やモラルを失った現代人の不毛な生き方を、

マルチェロの退廃的な生活を通じて描く。

その映像美学で、

カンヌ国際映画祭パルム・ドールやアカデミー賞衣裳デザイン賞など、

世界中の映画賞を総なめにしたイタリア映画界の巨匠、

フェデリコ・フェリーニ監督の代表作。

しかし、説明的な手法をほとんど行わない難解な表現方法は、

公開当時から世界中の批評家の議論の的になり、

作品の公開以降50年近く経つ現在でもその評価は大きく分かれている。

マルチェロ・マストロヤンニとアニタ・エクバーグが

トレヴィの泉で戯れるシーンや、

ヴィットリオ・ベネト通りの高級ホテルやカフェ、

様々な遺跡など、ローマ中の名所が作品中にちりばめられている。


【ストーリー】

ゴシップ新聞社の記者マルチェロは、

ローマの上流階級や芸能人が多く出入りする高級クラブやカフェで、

自らも彼らとの交友を楽しんでいた。

そんな中アメリカのセクシーな女優、

シルヴィアが撮影のためにローマ入りすることとなり・・・


「パパラッチ」

- 本作以降、有名人や芸能人をつけまわし、

その人の私生活や個人的なことまで記事として

情報誌や新聞などに売って生計を立てている

カメラマンを登場人物パパラッツォの複数形として呼ぶようになった。

「トレビの泉」は

 本作品でトレビの泉で水浴びするシーンが話題になり、観光名所になった。

プロ野球ニュース(フジテレビ) - 番組のオープニング(キャスター挨拶時)に、

本作品のサントラ曲が使用されている。

2010年代以降(フジテレビONE)はアレンジ版がオープニングテーマ曲として使われる。


トレヴィの泉・・・彫刻 バロック様式の噴水で高さ=26mもある大きな噴水


「ヴィルゴの浮彫」右上


Statua di Aqua Virgo

ある乙女(イタリア語=ヴイルゴ)が

ローマ兵士に水源を示したという伝説を描いた浮き彫り

この伝説が、ヴィルゴ水道(アクアヴィルゴ)の名の由来

トレヴィの泉は、ヴィルゴ水道の末端を担っていた。


「アグリッパの浮彫」左上


アグリッパ・・・とは?

初代皇帝アウグストゥスの右腕といわれた軍人

ヴィルゴ水道の建設の指導を取る様子が表わされている。



「トリトンと海馬」噴水下部

ギリシャ神話の海神・・・トリトン

向って左は・・・荒れる海

右の馬は・・・静かな海と

2つの海の状態を表している。


・・・『トレヴィの泉』中央3つの彫刻のうち中心・・・


ネプトゥーヌス(ポセイドーン)


ネプトゥーヌス・・・とは?


ネプトゥーヌス

古典ラテン語:Neptunus

ローマ神話における海の神

妻はサラーキア

長母音を省略してネプトゥヌスとも表記される

英語読みのネプチューン(Neptune)でもよく知られる。

元々どのような神であったかはよく分かっていないが、

泉や河川、湖沼を司る水の神であったとされる

後にギリシア神話のポセイドーンと同一視され、

馬の神としても崇拝されるようになったため、

ローマ神話の馬の神コーンススとも同一視されるようになった。

祭日ネプトゥーナーリア(Neptunalia、ネプトゥナリア)は

7月23日であ]、ローマ市民は木の枝で屋根を作り飲食をおこなった。

他のローマの神同様、ネプトゥーヌスの神話は

ほとんどがポセイドーンのものである。

【起源】

ネプトゥーヌスは語源的にケルト神話のネフタンや

インド神話・イラン神話のアパーム・ナパートと関連性が指摘されており、

いずれも古いインド・ヨーロッパ語族系神話の水神に起源を有すると考えられている。

音韻的にはいずれもインド・ヨーロッパ祖語の neptonos 水の神か?

h2epōm nepōts(水の孫・息子・甥)に遡ることが可能で、

いずれも類似した構成の神話を持っている。

水中に神聖な炎があり、

この炎は手出しをしてはいけないか、

または穢れのない人物しか触ってはならなかった。

しかしあるとき、そういう資格を持たない人物が炎を手に入れようとして失敗した。

炎の周りの水はあふれ出し、そこから河川が誕生した。


【ローマ神話】

エトルリアとのウェイイ戦争

(伝説によれば紀元前396年)が行なわれていたとき、

ローマの南東20kmあたりにあるアルバヌス湖が、突如水位を増し始めた。

季節は秋で、水が増える自然の要因はまったく考えられなかった。

7月23日(ネプトゥーナーリア祭の日)、水かさはどんどん増していき、

ついにはまわりを取り囲む丘陵を破って大きな流れがブドウ畑や

畑のある低地を進みながら海のほうへと進んでいった。

元老院はこれが何かの予兆だと考え、

デルポイに神託を諮りに使者を出した。

神託によると、この現象は先祖代々の

ラティウム祭をしきたりどおりに行なわなかったための怒りであり、

アルバヌスの水はもとの河床に押し戻すか、

または運河や堀を造って流れを整えよ、とのことだった。

そこで祭司たちは儀式を執行し、人々は運河を造営した。

この伝説のなかには「炎」の要素はみあたらないが、

比較神話学者のヤン・プーヴェルは、

ローマの歴史家ティトゥス・リウィウスが

この水の氾濫を止めたことを

extinguere(英語の extinguished)と表現していることに着目した。

これはリウィウスの時代、

通常は「炎を消す」という意味で用いられた動詞だったからである。

ただし最初にこの神話の類似を論じたジョルジュ・デュメジルは、

この解釈は弱いとして反論している。


【ギリシア神話】

ギリシア神話においては、

ダナオスの娘アミューモーネーが

水を探しに行ったときサテュロスに襲われたが、

それを助けた海神ポセイドーンは三叉の矛でもって大地を打ち、

そこから泉があふれ出した。

ポセイドンはアミューモーネーと通じ、

彼女はナウプリオスを産んだ。

音韻的には無関係だが、ダナオス(< *da-「水の流れ」)の

娘の夫(=義理の息子=水の男性親類)が

3に関係のある事項によって水をあふれ出させるという

構造は他の神話と一致するものである。


【ケルト神話】

アイルランドの伝説においては、

ネフタン(Nechtan)は秘密の井戸の所有者であり、

その井戸は彼と彼の3人の酌人のみが使うことができた。

もし誰かが近づくと、井戸の水の中にある炎によって眼が焼かれてしまうのである。

しかしネフタンの妻であるボアンド(Boand)は水を井戸からくみ出そうとした。

彼女は三回半時計回りに井戸をまわり、

そして三箇所を切断された(大腿・手・眼)。

水は溢れかえって海へと流れ出し、ボアンドはそこで溺死してしまった。

その流れは今では彼女の名前を取ってボイン川と呼ばれている。


【ペルシア・インド神話】

ペルシア神話においては、

王権の象徴である炎フワルナフは、

アパム・ナパート神(Apąm Napāt)によってウォルカシャ湖に安置されていた。

アーリヤ人(ペルシア人)のみがフワルナフを入手することができたのだが、

非ペルシア人のフランラスヤンが3回この湖に飛び込んでフワルナフを得ようとした。

フワルナフは逃げ出し、そのたびに湖の水があふれて3つの川が流れ出した。

インドにこの神話はないがアパーム・ナパート(Apām Napāt)という同名の神格が存在し、

これは炎であると同時に水中に棲むとされていた。

【異説】

これら諸神話を比較すると、ローマのみ、

人力によって水の流れを制御していることが特徴的である

(ほかの神話では「自然に」川が流れている)。

デュメジルはこの点に注目し、

ローマ人はネプトゥーナーリア祭において、

自然の川の制御だけではなく、

人工の水の流れの制御についても祈りを捧げていたのではないかと考えた。

しかしネフタンやネプトゥーヌスの語源については別の説も呈示されている。

また、インド・ヨーロッパ語族という観点とは別に、

ネプトゥーヌスはエトルリア神話の

水と井戸の神ネスンス(Neþuns < *nep-「湿」)と神格および名称が類似している。

現在神話の残っていないネプトゥーヌスの原神話を再構築するには

多くの難関が存在しているのである。



・・・『トレヴィの泉』中央3つの彫刻のうち左の女性像・・・


豊饒の女神ケレース(デーメーテール)


デーメーテール・・・とは?


デーメーテール

古希: ΔΗΜΗΤΗΡ, Δημήτηρ, Dēmētēr

ギリシア神話に登場する女神である。

長母音を省略してデメテルとも表記される。

豊穣神であり、穀物の栽培を人間に教えた神とされる。

オリュンポス十二神の一柱。

その名は古典ギリシア語で「母なる大地」を意味する。

「掟をもたらす者」という意味の「デーメーテール・テスモポロス」という別名がある。


クロノスとレアーの娘で、ゼウスの姉にあたる。

ゼウスとの間に娘コレー(後の冥府の王妃ペルセポネー)をもうけたが、

その経緯はゼウスがデーメーテールに無理やり迫った挙句、

無理やり子供を作らされた為、ゼウスにあまり良い印象を持っていなかった

(ただし子供であるペルセポネーには愛情を注いでいた)。

さらに兄弟の海神ポセイドーンからも無理強いされ、

秘儀の女神デスポイアと1頭の名馬アレイオーン(アリーオーン)を生んだ。

最も有名な恋人のイーアシオーンは愛する者をとられたゼウスの嫉妬によって稲妻に撃たれた。

普段は温厚だが怒ると飢餓をもたらすため、ゼウスも一目置いている。

テッサリアの王エリュシクトーンが屋敷を増築するため、

デーメーテールの聖地である森の木を根こそぎ伐採したときには、

彼の下へ「飢餓」を遣わしてエリュシクトーンをいくら食べても満たされないようにし、

最終的にはエリュシクトーンが自身の体を貪り食う形で死に追いやった。

だが、彼の娘であるムネーストラーには同情し、恩恵を施した。

デーメーテール信仰の歴史は非常に古く、

紀元前10世紀(紀元前17~15世紀頃から

デーメーテールの祭儀であるエレウシスの秘儀が始まっていることから

さらに古い可能性もある)にも遡ると考えられる。

デーメーテールの名前も後半「メーテール」は

古代ギリシャ語の母を意味する言葉である。

前半の「デー」ははっきりとはしないが、

大地を意味する「ゲー」(ガイア)が変形したものであるとの説が有力である

この名前が示す通り、彼女は本来、

ギリシャの土着の農耕民族に崇拝された

大地の女神、豊穣の女神と考えられている。

後世にギリシャに侵入した遊牧民族(と考えられる)は農耕民族を征服し、

被征服民族のこの信仰を弾圧した。

デーメーテールがゼウスに辱めを受ける神話は

豊穣の女神に奉じる農耕民族が雷の神を奉じる遊牧民族に征服されたことを、

ペルセポネーが攫われた事でデーメーテールが放浪する神話は

彼女の信仰の拠点が弾圧によって各地を転々とした事を示していると考えられている。

しかし結局、

被征服者のデーメーテール信仰を無視できず

自らの神である雷の神の姉(あるいは妹)であり

愛人の地位を与えて取り込んだものと考えられ。

神話でもデーメーテールは神々の始祖であるガイアから

レアーに続く地母神の正当な後継であり、

数多の女神の中でも最高位の存在とされ「大女神」と呼ばれている。

【神話】

・・・ペルセポネーの略奪・・・

デーメーテールの娘コレー(ペルセポネー)は、行方が分からなくなる。

何か悪いことに巻き込まれたのではないかと考えたデーメーテールは、

犯罪に詳しい神と言われるヘカテーに問い掛ける。

ヘカテーは「ペルセポネーはハーデースに冥界に連れ去られた」と答えた。

女神は、ハーデースがペルセポネーを誘拐した事を知る。

しかし、ゼウス達他の兄弟と違い純真で心優しい性格であるハーデースが

そんなことをするはずがないと考えたデーメーテールは、

地上の事は何でも知っているとされるヘーリオスに確認を求めた。

ヘーリオスは、

「ゼウスが、ペルセポネーを后に迎えたいと言ったハーデースを唆し拉致させた」

と女神に教える。

デーメーテールはゼウスがこの誘拐に加担したことを知る

デーメーテールはゼウスに抗議するが、

ゼウスは「冥界の王であるハーデースならば夫として不釣合いではないだろう」と言い訳する。

デーメーテールはこれに激怒し、

天界を捨て老女に変身しアッティカのエレウシースに下った。

この放浪の間のデーメーテールの行動についての伝説が各所に残されている。


【ペルセポネーの帰還】

デーメーテールが地を放浪する間、大地は荒廃した。

ゼウスは虹の女神イーリスを遣わしデーメーテールを説得したが、

女神は怒りを解かず、コレー(ペルセポネー)の帰還を求め、

それを条件として大地の豊穣神としての管掌を果たすことを答える。

ゼウスはハーデースに女神の意向を伝え、ペルセポネーを地上に帰還させた。

ペルセポネーの帰還はデーメーテールに喜びをもたらし、

それによって大地は再び豊穣と実りを取り戻した。

これは穀物が地下に播かれ、再び芽吹いて現れることを象徴する神話とされる。

【季節の起源】

デーメーテール、トリプトレモス、ペルセポネー

ペルセポネーは地上に帰還したが、冥府においてザクロの実を幾つか口にしてしまった。

冥府の食物を食べたものは、冥府の住民となる定めがあったが、

デーメーテールはこれにも抗議した。

ペルセポネーがどのような経緯で冥府の食物を食べたのか、自発的にか、

ハーデースなどの策略によってか諸説ある。

ザクロを食べた説でも、何粒食べたかについて、複数の説がある。

オリュンポスの秩序は守らねばならないが、

デーメーテールの抗議も考慮せねばならないとして、

ゼウスあるいは神々は、

1年(12ヶ月)を食べてしまったザクロの実の数(4粒又は6粒)で割り、

1/3(又は1/2)を冥府で、残りをデーメーテールの元で暮らすことで決着を付けた。

デーメーテールはペルセポネーがハーデースの元で暮らしている間は

実りを齎すのをやめるようになった。これは季節・四季の起源譚である。

オウィディウスやアポロドーロスの主張によると、

ペルセポネーがザクロを食べたことが明らかになったのは

冥府の庭園の庭師アスカラポスの告げ口が原因であるという。

これを恨んだデーメーテールは冥府の入り口付近でアスカラポスの上に巨岩を置いたという。

アスカラポスはヘーラクレースによって助けられたが、デーメーテールは彼をフクロウに変えた。

【秘儀の二柱女神】

デーメーテールの祭儀の中心はアッティカのエレウシースにあり、その秘儀は有名であった。

他に「二柱の女神」の名でギリシア各地でコレー(ペルセポネー)と共に祀られた。

アテーナイにはテスモポリア祭というデーメーテールのための祭があり、

豊穣を祈るために、秋(ピュアネプシオン月11日から13日)に女達が祝った。

アリストパネースの『女だけの祭』はこのテスモポリア祭を題材とする。

【デーメーテールとポセイドーン】

アルカディアに伝わる神話では、

デーメーテールは娘を捜して地上を放浪していた際、ポセイドーンに迫られた。

デーメーテールは彼を避けて牝馬の姿となり、オンコス王の馬群の中に紛れ込んだ。

しかしポセイドーンは彼女を発見し、自分も牡馬の姿となって女神と交わった。

この結果、デーメーテールは一人の娘と名馬アレイオーンを生んだ。

娘の名はデスポイナと呼ばれるが、これは単に「女主人」の意に過ぎず、

実際の名は密儀の参加者以外には明らかにされていない。

この時のポセイドーンに対するデーメーテールの怒りはすさまじく、

怒りの女神エリーニュスと呼ばれたほどであった。

風光明媚で名高いラードーン川の流れで沐浴するまで女神の怒りは続いたとされる。

【馬の誕生の神話】

別の話では、

自らに求愛してくるポセイドーンに最も美しい陸上の生物を贈るように女神は伝えた。

今まで海のニュンペーを驚かせるためのタコやイソギンチャクのような

奇怪な姿の海の生物しか作らなかったポセイドーンにとっては難しい話であったが、

苦労を重ね一体の動物を完成させた。これによってできあがったのが馬だとされる。

馬が完成するまでにラクダ、キリン、カバ、シマウマのような数多くの失敗作が生まれることとなった。

この後、馬の仕上がりに満足したポセイドーンはデーメーテールのことを忘れたとも、

馬のできばえに感心したデーメーテールはポセイドーンと打ち解け、

不仲だった二人の関係が改善したともされる。


・・・『トレヴィの泉』中央3つの彫刻のうち右の女性像・・・


女神サルース(ヒュギエイア)


ヒュギエイア・・・とは?


ヒュギエイア(古希: Ὑγίεια, Hygieia)は、

ギリシア神話に登場する女神で、健康の維持や衛生を司る。

ローマ神話ではサルース(ラテン語: Salus)の名で呼ばれる。

医術の祖アポローンの子である医神アスクレーピオスの娘で、

古くはアスクレーピオス信仰において父神の脇侍として信仰された。

父神と同様に一匹の蛇を従えた若い女性として絵画に表されることが多く、

薬か水を入れたと思しき壺(または杯)を携えていることもある。

この蛇と杯をモチーフにした「ヒュギエイアの杯」が薬学のシンボルに用いられることが多い。

アスクレーピオス信仰が広がるにつれてヒュギエイアに対する信仰も強くなり、

女性神格であったことも影響して後には女性の健康を守る神、

特にいわゆる婦人病に関しては大きな権能を持つとされ、

当時の女性の間に彼女の絵姿や小さな彫像を髪飾りにすることなどが流行した。

ヒュギエイアの名はギリシア語で健康を意味する。

英語のhygiene(清潔、衛生)の語源とされる。

【サルース】

ローマ神話において、サルース は、

健康と繁栄をもたらす女神として崇敬され、

紀元前302年にはローマの七丘の1つ、クイリナーレの丘に神殿が建てられた。



おとめ座ROMAの旅にオーケーぽち右矢印にほんブログ村 旅行ブログ 世界遺産へ









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2017.09.19 00:00:41
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.