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カテゴリ:美術館・博物館
パリ「ルーヴル美術館」ドウノン翼でダ・ヴィンチ「モナ・リザ」を鑑賞して、ラファエロに感動し♪
カラヴァッジョからカラッチ一族のお隣で、エルグレコとの間に サルヴァトール・ローザ Salvator Rosa おやっ? 聞いた事も無い しかし、ルーヴルにいらっしゃるのならば・・・著名な方ですよね きらりのわがまま「パリ旅日記」・・・第102回 Salvator ROSA Naples,1615-Rome,1673 Bataille Heroique.1652 パリ「ルーヴル美術館」1階(日本で言う2階)DENON ドウノン翼にて2018年4月28日(土)ほしのきらり。撮影 サルヴァトール・ローザ・・・とは? Salvator Rosa 1615年6月20日(あるいは7月21日)-1673年3月15日 サルヴァトール・ローザは・・・ ナポリ近郊のアレネッラで生まれる。 父は、サルヴァトール・ローザが6歳の時に亡くなり 母親は、子どもたちを祖父「ヴィート」に預けて家を出て行った 祖父「ヴィート」は・・・ 孫たちを勉学の為に修道院に送り出すが サルヴァトール・ローザは、 すぐに芸術に関心を示し始めた。 母方の叔父のもとで絵画の初歩を学び 画家を職業とした 1634年、20歳になった サルヴァトール・ローザが初めてローマに行った時は 一文無しで、奇抜なイスパニアの服装をしており剣を指していた。 病の為に2年後にナポリへ帰国 1638年、再びローマへ しかし、カーニバルの時に通りで茶番劇で 当時、ローマでは一世風靡していた 彫刻家「ベルニーニ」を風刺したために ローマに留まれなくなる ジャンカルロ・デ・メディチ枢機卿の招きで 1639年から、8年間フィレンツェに滞在し 「アッカデーミア・パルコッシ」を設立 文学者や芸術家や芸術愛好家たちの交流の場を設けた。 作曲家「アントニオ・チェスティ」と親交があった為に チェスティーの為に詩作を残している 1673年3月15日、ローマで起こった暴動に巻き込まれて、没する。 サルヴァトール・ローザは・・・ 18世紀から19世紀にかけて イギリスで好評を得ている。 従来、作曲家とされていたが・・・ 誤りであることが立証されている。 (ウィキペディアさまより) ・・・エルグレコにつづく・・・ ルーヴル美術館日記にぽち お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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