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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2019.01.10
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​陶器の展示コーナーに入ってまいりました(^-^)絵画鑑賞にうんざりした方も・・・♪


オランダで有名な「デルフト陶器」に見入っておりますね~


アムステルダム国立美術館に展示してある作品は、


オランダのご自慢の名品ばかりであります!!



きらりのわがままオランダ旅日記・・・第58回


アムステルダム国立美術館 2階 2.22展示室 

場所は、2階の右側裏にありますグッド


陶器のバイオリンって音符どんな音色なのでしょうね?


デルフト陶器・・・とは?
Delfts blauw


フェルメールの暮らした興味深い街「デルフト」ですがスマイル

オランダのデルフトおよび その近辺で、

16世紀から生産されている陶器

白色の釉薬を下地にして

スズ釉薬を用いて採食

絵付けされる陶器で

日本では「デルフト焼き」と呼ばれる事が多いです。

デルフト陶器は、いつから?

1512年、オランダでスズ釉薬で絵付けされた陶器は

初めて「アントウェルペン」のグイド・ダ・サヴィーノが制作しまた。


その後、絵付けされた陶器の制作は・・・

オランダ南部から オランダ北部へと広まったのは

1560年代の事だと考えられます。

しかし、優れた陶器はデルフトで多く生産されておりましたグッド

オランダで生産がもっとも盛んだったのは・・・

1640年~1740年です。

芸術家ギルドである「聖ルカ組合」に

デルフト陶器の画家や絵付け職人も

マイスターとして、参加を義務付けされていました。

フェルメールの作品も・・・消失?

1654年、デルフトでは爆弾爆弾弾薬庫で保管されたいた火薬が

大爆発を起こし、多数の醸造所が甚大な被害を受けました。


フェルメールの作品の大半も大爆発により

焼失したという説もあります(だから少ないの?)


醸造所跡地を買い取った職人は

デルフト陶器の制作を続けます。

オランダ黄金時代には・・・

オランダ東インド会社により

17世紀初頭の中国陶器が

オランダに大量に輸入されました船


デルフトの陶器職人にも大きな影響を与えます。

1620年、明の万暦帝が死去したために

中国陶器のヨーロッパへの輸入が途絶えると

その模倣品の制作をするようになる。


フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」にも

デルフト陶器のお皿が描かれています上向き矢印


1630年代~18世紀には、

ヨーロッパで発展したデザインとともに

中国磁器独特のデザインの影響が見られるようになります。


1665年ころには、デルフト陶器の陶板が上向き矢印制作されます。


装飾画が描かれた絵皿も多く制作されており


風車、漁船、狩猟、風景、海洋などの


オランダを代表するモチーフが描かれた絵皿が好まれましたグッド


陶板に描かれた「最後の晩餐」も展示してありました。

Delfts Biauw~♪

デルフト陶器は「デルフト・ブルー」と呼ばれ・・・

鑑定書付きでダイヤモンド並みの扱いであります指輪


デルフト・ブルーは、

デルフトで暮らしたフェルメールの

フェルメール・ブルーと関係がありそうですうっしっしかも?

・・・つづく・・・

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最終更新日  2019.01.10 00:10:14
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