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カテゴリ:美術館・博物館
陶器の展示コーナーに入ってまいりました(^-^)絵画鑑賞にうんざりした方も・・・♪
オランダで有名な「デルフト陶器」に見入っておりますね~ アムステルダム国立美術館に展示してある作品は、 オランダのご自慢の名品ばかりであります きらりのわがままオランダ旅日記・・・第58回 アムステルダム国立美術館 2階 2.22展示室 場所は、2階の右側裏にあります 陶器のバイオリンってどんな音色なのでしょうね? デルフト陶器・・・とは? Delfts blauw フェルメールの暮らした興味深い街「デルフト」ですが オランダのデルフトおよび その近辺で、 16世紀から生産されている陶器 白色の釉薬を下地にして スズ釉薬を用いて採食 絵付けされる陶器で 日本では「デルフト焼き」と呼ばれる事が多いです。 デルフト陶器は、いつから? 1512年、オランダでスズ釉薬で絵付けされた陶器は 初めて「アントウェルペン」のグイド・ダ・サヴィーノが制作しまた。 その後、絵付けされた陶器の制作は・・・ オランダ南部から オランダ北部へと広まったのは 1560年代の事だと考えられます。 しかし、優れた陶器はデルフトで多く生産されておりました オランダで生産がもっとも盛んだったのは・・・ 1640年~1740年です。 芸術家ギルドである「聖ルカ組合」に デルフト陶器の画家や絵付け職人も マイスターとして、参加を義務付けされていました。 フェルメールの作品も・・・消失? 1654年、デルフトでは弾薬庫で保管されたいた火薬が 大爆発を起こし、多数の醸造所が甚大な被害を受けました。 フェルメールの作品の大半も大爆発により 焼失したという説もあります(だから少ないの?) 醸造所跡地を買い取った職人は デルフト陶器の制作を続けます。 オランダ黄金時代には・・・ オランダ東インド会社により 17世紀初頭の中国陶器が オランダに大量に輸入されました デルフトの陶器職人にも大きな影響を与えます。 1620年、明の万暦帝が死去したために 中国陶器のヨーロッパへの輸入が途絶えると その模倣品の制作をするようになる。 フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」にも デルフト陶器のお皿が描かれています 1630年代~18世紀には、 ヨーロッパで発展したデザインとともに 中国磁器独特のデザインの影響が見られるようになります。 1665年ころには、デルフト陶器の陶板が制作されます。 装飾画が描かれた絵皿も多く制作されており 風車、漁船、狩猟、風景、海洋などの オランダを代表するモチーフが描かれた絵皿が好まれました 陶板に描かれた「最後の晩餐」も展示してありました。 Delfts Biauw~♪ デルフト陶器は「デルフト・ブルー」と呼ばれ・・・ 鑑定書付きでダイヤモンド並みの扱いであります デルフト・ブルーは、 デルフトで暮らしたフェルメールの フェルメール・ブルーと関係がありそうですかも? ・・・つづく・・・ 国立美術館にぽち お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.01.10 00:10:14
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