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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

2019.05.17
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ブリッセル王立美術館LEVEL=2(2階)古典美術館63展示室は、主にヴァン・ダイクの展示室であります。

壁紙は・・・うすむらさきスマイルスマイルですね~


きらりのわがまま『ベルギー旅日記』・・・第22回


ブリュセル王立美術館 古典美術館 65展示室


65展示室『ヴァン・ダイクの部屋』


手書きハートアンソニー・ヴァン・ダイク手書きハート
アントワープ1599年-ロンドン1640年(42歳没)

ANTOON VAN DYCK
Antwerpen 1599-Londen 1641

ANTOON VAN DYCK
Anvers 1599-Londres 1641

PORTRET VAN EEN
BEJAARDE DAME

PORTRAIT D’UNE DAME
AGEE

昨日のブログで『ヴァン・ダイク』の生涯を

長く語り尽くしましたので素晴らしい「肖像画」を

更にご覧くださいませスマイルスマイル

アンソニー・ヴァン・ダイク作
アントワープ1599年-ロンドン1640年(42歳没)


PORTRET VAN PATER
JEAN-CHARLES DELLA
FAILLE,S.J.

PORTRAIT DU R.P
JEAN-CHARLES DELLA
FAILLE,DE LA
COMPAGNIE DE JESUS


アンソニー・ヴァン・ダイク作
アントワープ1599年-ロンドン1640年(42歳没)


PORTRET VAN EEN
BEJAARD MAN

PORTRAIT D’UN
HOMME AGE


アンソニー・ヴァン・ダイクについては・・・

昨日、長々とお話いたしましたが、


【65展示室】には・・・

​​ブリューゲル一族の絵画も一部あります。

ここ「古典美術館」には、

かなりの作品が展示されております。

この展示室にもあります~



手書きハートヤン・ブリューゲル(子)手書きハート
アントワープ1601-1678

JAN BRUGHEL II
Antwerpen 1601-1678

JAN BRUGHEL II
ANVERS 1601-1678

AENEAS IN DE HEL

ENEE AUX ENFERS


ヤン・ブリューゲル(子)・・・とは?
Jan brughl the yonger
JAN BRUGHEL II


​​ブリューゲル一族またまた

(子)yonger,II?

いよいよややこしくなってまいりましたね!

オランダ語・フランス語表記なので

ますますややこしさが増しております


ブリューゲル一族・・・とは?


ブリューゲルは・・・

フランドルで16世紀から17世紀にかけて

画家を多く出した一族の姓である。

同じ名前が多く

日本語では・・・(父)(大)(小)(老)(子)

ベルギー表記では・・・II

英語表記では・・・YONGER?

色々あって、ややこしいので

通称などで呼ばれ区別されております。

(私は、最終的に生年月日で区別してしまいますが)

代表的な人物は・・・


●ピーテル・ブリューゲル(父)(大)(老)と表記
 Pieter Brughel the Elder
 1525年-1569年 
 通称=農民の画家ブリューゲル
 一族で最も有名な画家
 著名は、一族中唯一 H.を除いて“Bruegel”と記した。
 

●ピーテル・ブリューゲル(子)(小)
 Piteter Brueghe the Younger
 1564年-1638年
 通称=地獄のブリューゲル
 ピーテル・ブリューゲル(父)の長男
 5歳の時に父が亡くなり祖母に絵を習う


●ヤン・ブリューゲル(父)
 Jan Brueghel the Elder
 1568年-1625年
 通称=ビロードのブリューゲル,花のブリユーゲル
 ピーテル・ブリューゲル(父)の二男
 父は、彼が1歳の時に亡くなり
 兄と共に祖母に絵を習う


●ヤン・ブリューゲル(子)上向き矢印
 Jan Brughel the Younger
 1601年-1678年
 ヤン・ブリューゲルの息子。
 父親と同じようなスタイルの作品を制作し
 サインまで同じであったが父親より落ちる?
 

●アンブロシウス・ブリューゲル 
 Ambrosius Brueghel
 1617年-1675年
 ヤン・ブリューゲル(父)の子ども
 ヤン・ブリューゲル(子)とは腹違いの兄弟
 風景画を得意としたバロック画家である。
 父の画風に似ているが新しい世界を開いた。

●アブラハム・ブリューゲル 
 Abram Brueghl
 1631年-1690年
 ヤン・ブリューゲル(子)の次男
 花を描いた静物画で知られる。
 10代から高い評価を得る。
 18歳で腕を挙げる為にイタリアへ移住し
 イタリア人と結婚し生涯を過ごす。

・・・ややこしい一族の話は、おいおいに・・・


手書きハートヤン・ダヴィス・デ・ヘーム手書きハート
JAN DA VIDSZ.DE HEEM
Utreeht 1606-Antwerpen 1683.84

JAN DA VIDSZ.DE HEEM
Utreeht 1606-Anvers 1683.84

STILEVEN MET VRUCHTEN
AN VIS
gemonogrammeerd
1660

NATURE MORTE AUX FRUITS
ET POISSON
monogramme
1660


ヤン・ダヴィス・デ・ヘーム・・・とは?
Jan Davids de Heem

1606年4月17日-1684年4月26日

17世紀のオランダで活躍した画家

豊かな色彩と精密さが際立つ静物画である。

ヤン・ダヴィス・デ・ヘームは・・・

1606年4月17日、ユトレヒトで生まれる。

バルタザール・ファン・デル・アストに師事。

1625年~1629年、ライデンに住む。

ダフィット・ベイリーの元で学ぶ。

1635年~1636年、アントウェルペンの画家組合に加入。

1667年までアントウェルペンで過ごし、ユトレヒトに戻る。

1668年~1671年、ユトレヒトに住んだと思われる。

1671年、フランス軍の接近によりその地を離れる。

彼が、いつアントウエルペンに戻ったか記録にないが

1784年4月26日、この地で亡くなった記録が残っている。

息子=コルネリス・ド・ヘームも画家となった。

(資料=ウィキペディアさまより)

【64展示室】につづく・・・

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最終更新日  2019.05.17 00:10:10
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