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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2019.05.24
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ベルギー「ブリュッセル王立美術館」LEVEL=2『古典美術館』55展示室には・・・

フランス新古典主義の有名な巨匠=ダヴィッドとアングルにご対面です手書きハートウキウキ

古典美術館【55展示室】

細長~く めっちゃ~広々とした展示室ですグッド


​きらりのわがまま『ベルギー旅日記』・・・第27回​


55展示室に入ると右側、最初に展示してあったのが


ダヴィッド『マラーの死』

ジャン・ポール・マラーの死を描いた「ダヴィッド」の代表作(2日間説明済み)


【55展示室】では、ダヴィッドの弟子である


 アングルの作品も展示されておりました音符


手書きハートドミニク・アングル手書きハート
Jean-Auguste-Dominique INGRES
1780-1867

AUGUSTE ECOUTANT LA LECTURE DE L’ENEIDE.
TU MARCELLUS ERIS(1819)

AUGUSTUS LUISTERT NAAR DE LECTUUR UIT DE AENEIS.
TU MARCELLUS ERIS(1819)


ドミニク・アングル・・・とは?

Jean-Auguste Dominique Ingres
ジャン-オーギュスト・ドミニク・アングル

1780年8月29日-1867年1月14日

フランス新古典主義における最後の巨匠である。

極めて高度な線描を基軸とした形体描写による

厳格で廉潔(れんけつ)な絵画を制作し

19世紀前半のフランス絵画界最大の権威者となる。

生涯にわたり理想美を追い求め

幾つかの作品は発表当初には、

批難の的になったものの

その多くは、画家の傑作として今も

絵画史に燦然と輝いております。

当時、最も格調が高いとされた

「歴史画」をはじめ、「神話画」「宗教画」、

官能性豊かな「裸婦」「肖像画」「風景画」など

様々な画題を手がけている。


師ダヴィッドの亡命により・・・

新古典主義の後継者として名が挙げられる。

手がけられた作品の本質は、

ロマン主義的な革命性や個性を見出すことができる。


ドミニク・アングルは・・・

1780年8月29日、フランス南西部モントーバン近郊ムスティエで

画家・彫刻家・装飾美術家の父・ジャン・マリージョセフ・アングルと

母・アンヌ・ムレの子どもとして生まれた。


父・ジョセフは・・・

美術家というよりは、職人で

化粧漆喰・建築・家具の装飾彫刻、

看板描きから音楽まで手広く手がけていた。


アングルも・・・

幼少期から絵画と共に音楽も学んでおり

ヴァイオリン演奏者としての一面もあった。

実際にニコロ・パガニーニと弦楽四重奏団を結成し

パガニーニのスケッチも残している。

フランス語で、「アングルのバイオリン」と言えば

「本格的な趣味」(losir)と指すようになっった。


アングルは、11歳の時

トゥールーズの美術アカデミーに入学した。

1797年、パリへ出る。

新古典主義の巨匠=ダヴィッドのアトリエに入門。

1801年『アキレウスのもとにやってきたアガメムノンの使者たち』で

当時の若手画家の登竜門である「ローマ賞」を受賞。

ローマ賞受賞者には、政府給付金でイタリア留学が出来たはず?

アングルの時には、

フランスの政治的・経済的な状況により留学が延期され

1806年、まで待ってからローマを訪れた。

留学時代に描かれたのは、

『スフィンクスの謎を解くオイディプス』

1808年『浴女』

1881年『ユピテルとttィス』

これらの作品を留学の成果を示す為に

フランスの美術アカデミーに送付された。

アングルは・・・

留学期間が終了してもイタリアに滞在。

1813年、マドレーヌ・シャペルと結婚。

1820年までローマに滞在

1824年までフィレンツエで活動した。

~1824年まで長期間イタリアに滞在した。


この間、フラフェッロ・ミカランジェロなどの古典を研究し

生活のために肖像画を描きつつ

母国フランスのサロンへの出品も続けた。

1812年-1813年『オシアンの夢』

1814年『グランド・オダリスク』

パリ・ルーヴル美術館所蔵

1819年『アンジェリカを救うルッジェーロ』

1820年『聖ペテロへの天国の鍵の授与』

などの作品は、この時代に制作されたものである。


長いイタリア滞在の後・・・

1824年、サロンに出品した

モントーバンのノートルダム大聖堂祭壇画『ルイ13世の誓願』により

44歳のアングルは、ダヴィッドの後継者として

また当時の新しい芸術運動であった「ロマン主義」に対抗する

「新古典主義」の指導者として熱狂的に迎えられた。

翌年、レジオンドヌール勲章を受け、アカデミー会員に推された。

10年ほどの母国での活動を経て

1834年(1835年?)再びイタリアのローマを訪れ

フランス・アカデミー院長を努める。

1841年、パリに戻る。

1852年頃『パフォスのヴィーナス』

パリ・オルセー美術館所蔵


1854年『聖餅の聖母』

パリ・オルセー美術館所蔵


この頃には、アングルは祖国フランスでも巨匠と目され


1856年『泉』

パリ・オルセー美術館所蔵


1855年、パリ万国博覧会において

アングルの大回顧展が開催された。


1808年『浴女』

パリ・ルーヴル美術館所蔵


アングルの代表作のひとつ

1862年『トルコ風呂』は・・・

パリ・ルーヴル美術館所蔵

最晩年の1862年の制作である。

円形の画面に退廃的・挑発的な多数の裸婦を描き込んだ

この作品は、

当時82歳のアングルが

なおも旺盛な制作意欲を持っていた事に驚かされる。


パリ・ルーヴル美術館所蔵


古典美術館【55展示室】
Pierre-Joseph Celestin FRANCOIS
1759-1851(BELGIQUE)

L’ENLEEVEMENT D’EUROPE 1810

DE ONTVOERING VAN EUROPA 1810

FRANCOIS・・・とは?

1759年3月29日-1851年3月13日没


Francois-Joseph NAVEZ
1787-1869(BELGIQUE)

PORTRAIT DE LA FAMILLE DE HEMPTNNE(1816)

PORTRAT VAN DE FAMILIE DE HEMPTINNE(1816)

NAVEZ・・・とは?


1787年11月16日-1869年10月12日没
​​
ブリッセル王立美術館【55展示室】
広いですね~ベルギーの小学生が居るだけ静かに鑑賞できました。


さぁ~て待望の「ルーベンス」へ向かって歩きます歩く人ダッシュ歩く人ダッシュGOGO


・・・つづく・・・

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最終更新日  2019.05.24 00:10:09
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