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「きらりの旅日記」

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プロフィール


ほしのきらり。

2019.06.19
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​『ブリュッセル王立美術館』エントランスから、エスカレーターで降りトンネルをくぐって行く「マグリット美術館」エレベーターで一気に3階まで上がってまいりました音符ドアーを開けると・・・ルネ・マグリットの世界です手書きハート


きらりのわがまま『ベルギー旅日記』・・・第53回


​​ブリュッセル王立美術館『マグリット美術館』3階 1898-1929

ルネ・マグリット美術館【3階】の扉を開けると・・・


「写真コーナー」です手書きハート


ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット
Rene Francois Ghislan Magritte

1898年11月21日-1967年8月15日


68歳で亡くなったマグリットは・・・没後51年10か月


没後~半世紀!!白黒の写真が並びます~手書きハート


若きイケ面のマグリット 妻=ジョルジェット 3人兄弟の長男でした。

マグリツトは・・・19世紀末


1898年11月21日、ベルギーの小さな町で生まれました。


マグリットは、父親の仕事の関係で転居を繰り返し


母親の自殺という衝撃的な体験をした少年時代を


あまり多くは、語らなかった。


1920年、ブリュッセルの美術アカデミーの仲間たちと


グループ展を開き、画壇デビューをする。


【年表】0歳~27歳

1898年(0歳)11月20日、ベルギーのエノー州レシーヌに
        3人兄弟の長男として生まれる。

1900年(2歳)一家は、ジリーに転居。

1904年(6歳)一家でシャトレに転居。

1912年(14歳)母が入水自殺する。

1913年(15歳)父と2人の弟とともにシャトルルロワに移住。
        後に妻となるジョルジェット・ペルジェに出会う。
        「ファントマ」の映画に熱狂する。

1914年(16歳)第一次世界大戦勃発(~1918年)
        一家でシャトレに移る。

1915年(17歳)単身ブリュッセルに移る。
        印象派風の絵画を描き始める。

1916年(18歳)ブリュッセルの王立美術館アカデミーに入学。
        一家でブリュッセルに移住する。

1919年(21歳)詩人ピエール・ブルジョワに出会う。
        キュビスムや未来派の影響を受けた絵を描き始める。

1920年(22歳)E.L.T.メセンスに出会う。
        ポスターや広告デザインを手がける。
        この年、偶然ジョルジェットに再会する。

1921年(23歳)兵役に就く(~1922年)

1922年(24歳)ジョルジェットと結婚。
        1年間、壁紙工場でデザイナーとして働く。

1923年(25歳)ポスター・広告デザイナーとなる。

1925年(27歳)メセンスらとダダの雑誌『食道』を発刊。



こうして私は、


公けいに認められていたり、

あるいはそう望んでいたりする芸術や芸術家には、

完全な不信感をいただくようになりました。

この種の同業者に対しては、

何の共通点も感じていません。

私には、

つねに立ち返るひとつの指標があり

それによって別の場所に立っていられるのです。

それが、

子どもの頃に知った

あの芸術の魔術だったのです。

ーーーーールネ・マグリット



ルネ・マグリットは・・・


1898年11月21日、

ベルギー南部・ワロン地域・エノー州に生まれた。


父レオポール・マグリットは、

仕立て屋で、行商も行っており

その後、食用油のセールスマンとして成功する。


母レジーナ・ベルタンシャンは、

結婚するまで帽子屋で働いていた。


マグリットの少年時代、一家はジリー、シャトレなど

同じ州内で何度か引っ越しをし

レーモンとポールという2人の弟も生まれました。



マグリットの幼少期に起こった最も大きな事件は、

母の死である。

1912年2月24日未明、

神経を病んでいたマグリットの母レジーナは、

一人こっそりと寝室を抜け出して

近くの橋の上からサンブル川に身を投げたのである。

母の遺体が、

川を1kmほど下った地点で発見されたのは、

3月21日朝のことで、

石炭船が行き来する狭い川に

2週間以上浸かっていたため、かなり傷んでいた。

のちに・・・

マグリットに話を聞いた

ルイ・スキュートネールによれば

見つかったとき、母の顔は

白いナイトガウンの裾で覆われていたというが

それは、

入水するときに母が自分でやったことなのか?

それとも川の流れのせいで自然にそうなったのか?

はっきりしない。

13歳のマグリットが・・・

その光景を実際に見たのかどうかもわからない。


マグリットの作品に頻出する顔の見えない人物像には、

母の死が影を落としているとも言われる。



マグリットが少年時代の多くを過ごしたシャトレは、

ワロン地域の中心都市シャルロワ近郊の小さな町である。

石炭と鉄鉱石を産したこの地域は、

産業革命の先進地で、

鉄鋼やガラスなどの重工業が盛んであり

「ペイ・ノワール(黒い国)」と『呼ばれたいた。

陰鬱な鉛色の空に煤煙がたれこめるシャトレでの日々は、

あまり幸福なものではなかったようだ!

父は、行商に出かけて不在がちで

母は、重い神経衰弱を病んでいた。

ルネ少年は、

弟ポールと組んでひどいいたずらを繰り返す

札付きの悪童だったらしい?



だが、十代のマグリットは・・・

絵を描くことにだけは関心を示し

絵画教育に通っていた。


マグリットは、

子どもの頃の思い出をほとんど語って居ないが・・・


その数少ないもののひとつは、

墓地で画家に出会ったことがある。

ある日、

幼なじみの少女と遊んでいた

墓地の地下納骨堂から

重い扉を開けて地上に出て来ると

ブリュッセルから来た画家が

イーゼルを立てて絵を描いていた。


美しく描き出された画面を見たマグリットは、

画家というものには、

何か超越的な力が与えられているかのように感じたという。


『マグリット美術館』3階の展示作品。


マグリット初期の作品が並びます音符音符


展示室が、真っ暗なのであります。



初期の商業ポスターです。

“Record”



『強い兵隊さんになるために』1918年

“POTAU FEU DERBAIX”

ポスター リトグラフ 101×36.5cm

確認されている限りで最も早い

マグリットの商業ポスターである。

縦長の画面にスープカップを持った

防寒着姿の少年の全身像が描かれており

「強い兵隊さんになるために・・・

 僕は、デルベのポトフを飲みます」

というコピーがつけられている。


・・・つづく・・・

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最終更新日  2019.06.19 11:06:05
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