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テーマ:世界遺産紀行(1089)
カテゴリ:ユネスコ【世界遺産】
美しいアーチ橋が見えて来ました〜ルクセンブルクのシンボル的な「アドルフ橋」です♫2019年4月13日(金)午後1時過ぎ頃ミーちゃんとの気ままな2人旅です。いよいよ美しい渓谷とアーチ橋が見えて来ました
きらりの『ルクセンブルク旅日記』・・・第11回 Adolphe Bridge アドルフ橋 アドルフ橋・・・とは? Adolphe Bridge ルクセンブルク公国・ルクセンブルク市のアーチ橋である。 この橋は ペトリュス川(The Petrusse)を超える道路交通を担い ヴィル・オート(Ville Haute)の ロワイヤル通り(Boulevard Royal)と ガール(Gare)の リベルテ通り(Avenue de la LIverte)自由通りを接続している。 この橋は・・・ この時期の水量が少なく要塞の上からは見えませんが 幅は、172m アドルフ橋は、 4車線の道路があり、 ガールに向かう3車線と ヴィル・オートに向かう車線があり 左右に歩行者用の歩道がありました。 橋のデザインは・・・ フランス人「ポール・セジョルネ」Paul Sejourneと ルクセンブルク人「アベール・ロダンジ」Albert Rodange によりデザインされ 1900年〜1903年、建設。 ルクセンブルク大公国の首都ルクセンブルク市で 旧市街と新市街を結ぶ石造りのアーチ橋で 緑の美しさが印象的なペトリウス渓谷に架かっていて ルクセンブルクで人気の観光スポットであります。 渓谷の底には、古い時代の遺跡が・・・ この橋は・・・大公アドルフにちなんで名付けられました。 アドルフ・・・とは? Grand Duke Adphe 1817年7月24日~1905年11月17日(88歳没) Adolph Wilhelm August Karl Friedrich アドルフ・ヴィルヘルム・アウグスト・カール・フリードリッヒ 在位: 1839年8月20日-1866年9月20日(ナッサウ公) 1890年11月23日-1905年11月17日(ルクセンブルク大公) アドルフは・・・ ナッサウ公(在位:1839年-1866年) のちルクセンブルク大公(在位:1890年-1905年) ナッサウ公ヴィルヘルムの長男。 異母妹は、スェーデン王オスカル2世の妃ゾフィア。 ナッサウ公時代は・・・ 1839年、父の死によりナッサウ公を継承。 1844年1月、ロシア皇帝バーヴェル1世の末子ミハイル大公の娘 エリザヴェータ・ミハイロヴナ(エリーザベト)と結婚。 1845年、エリーザベトは女児を死産し死去。 1851年、アンハルト・デッサウ公子フルードリッヒ・アウグストの娘 アーデルハイトと2度目の結婚。 5人の子を得たが、うち3人は早生した。 ヴィルヘルム(ギョーム)1852年-1912年→ルクセンブルク大公 フリードリヒ 1854年-1855年 マリー 1857年 フランツ 1859年-1875年 ヒルダ 1864年-1952年→バーデン大公フリードリヒ2世と結婚 ルクセンブルクの大公は・・・ ギョーム1世 1815年-1840年 ギョーム2世 1840年-1849年 ギョーム3世 1849年-1890年 アドルフ 1890年-1906年 ギョーム4世 1906年-1912年 マリー・アデライード 1912年-1919年 シャルロット 1919年-1964年 ジャン 1964年-2000年 アンリ 2000年-現在 街を歩いている間に登場して来て 段々と歴史も分かって来ましたよ ・・・つづく・・・ アドルフ公にぽち お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.11.12 09:06:52
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