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カテゴリ:美術館・博物館
ブルージュの聖母教会でぜひお会いしたかったのは、ミケランジェロ・ブオナローティによって制作された「聖母子像」であります〜対面が叶ったのは2019年4月のこと友人との2人旅にて
きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ篇(105回) さぁ〜いよいよミケランジェロの 「聖母子像」が祀られた祭壇へ Oze-Lieve-Vrouwekere『聖母教会』 祭壇の一番上に描かれているのは「最後の晩餐」 ブルージュの『聖母教会』の守護聖人は聖母マリア マリア像は、ミケランジェロの作品で「ブルッヘの聖母子像」として有名。 カッカラー産の白い大理石製です。 祭壇は、黒大理石でコントラストが素敵でした それにしても・・・ ベルギーのブルージュに何故「ミケランジェロ」の彫刻が ミケランジェロ・・・とは? ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ヴオナローティ・シモーニ Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni 1475年3月6日-1564年2月18日(88歳没) イタリア盛期ルネサンス期の彫刻家・画家・建築家・詩人 レオナルド・ダ・ヴィンチとラファエロと並ぶ三大巨匠である。 ミケランジェロは、システィーナ礼拝堂の 「最後の審判」の壁画で有名ですが 絵画よりも彫刻こそがルネサンスを象徴するに相応しいと考えており (彫刻より絵画を少し下に見ていた感じ?) 代表作は・・・ (彫刻)ヴァチカン市国『サン・ピエトロ大聖堂』のピエタ (建築)サン・ピエトロ大聖堂の主任建築家として作業。 聖母子像は、中央です 1506年、商人「ヤン・ムスクロン」が購入して ブルージュ(ブルッヘ)の聖母教会に寄進したとされます。 『ブルージュの聖母子像』ブルッヘの聖母子像は・・・ 画家である「ミケランジェロ・ブオナローティ」によって 1501年〜1504年頃に制作された作品です。 聖母マリアとイエス・キリストが膝に寄り添う形で 今、私たちの前に座っております 聖母マリアは、少し下目がちでありますが〜 その中にも、キリリとした尊厳ある表情は、 聖母教会の守護聖人として相応しく感じます。 幼子イエスは・・・ 母である聖母マリアの両膝の間に 愛おしい姿で、右手で母マリアの左手をしっかり握っています マリアの右手には、書物を彫ってあります。 「ママ〜ご本読んでぇ!」とイエスが甘えているのでしょうか? このミケランジェロ作品は・・・ ミケランジェロの生涯で唯一、母国以外で制作したとされるもの ヴァチカン市国の『ピエタ』は、この少し前に完成しており 確かにマリアの衣装は、ヴァチカンのマリアに似ている様に見えます。 この聖母子像は・・・ 2度の大戦で異国へ渡っております。最初は、 1794年、フランス革命の時代に 革命軍がオーストリアのネザーラントを征服した後に ブルージュの芸術品をパリに送られたときで ナポレオンがワーテルローの戦いで敗北し その後に返還されたものであります。 2度目は・・・ 1944年、第二次世界大戦の時代にドイツ軍が持ち去り 一年後にオーストリアで見つかり、 ここブルージュの聖母教会に戻されました。 そんな事が三度繰り返されないように現在では 祭壇の手前には、柵があります そして白いチェーンで入れないようになっています。 ちょっと〜遠くて細かい服のヒダまで見えないのですが・・・ 手前にレプリカがありましたえっ!どちらが本物 これならば間近で鑑賞できます ミケランジェロ・ヴァチカン市国の『ピエタ』より後に制作されたのですが、 その違いを見たくなりませんか ・・・きらりの『イタリア旅日記より』・・・・・・ それでは、きらりがヴァチカンで撮影した ミケランジェロの『ピエタ』です ヴァチカン市国『サン・ピエトロ大聖堂』にて厳重にガラスで囲まれています。 さぁ〜近寄って見て見ましょう 膝にのるのは、成人したイエス・キリストですが・・・ 聖母マリアは、若いまま ブルージュの『聖母教会』と、ヴァチカン市国の『ピエタ』 見比べてどのように感じられますか ミケランジェロに関しては、親子のありえないバランスやら ポーズやら、色々と囁かれる作品が多いですよね〜 それでもミケランジェロのマリア像 私は、好きです。 ・・・つづく・・・ 聖母教会にぽち お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.03.27 00:10:09
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