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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2020.05.29
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​晩年のカミーユ・ピサロの絵画に癒されています。この作品はニューヨークで2度に渡り『メトロポリタン美術館』でお会いした作品です。監視員のおじさんに睨まれながらの写真撮影ですがカメラOKなのにね〜ムカッ何を怒っていたの


手書きハートメトロポリタン美術館・ピサロ手書きハート


Camille Pissarro
French,Charlotte Amalie,Saint Thomas
1830-1903 Paris


​Poplars,Eragny,1895​

Oil on canvas


「ポプラ、エラニー 」

油彩・カンヴァス


カミーユ・ピサロ
Camille Pissarro


1830年7月10日〜1903年11月13日(73歳没)


この作品は、1895年の夏に制作しました。


この景色は、ピサロが1884年から亡くなるまで住んだ


Eragny 「エラニー  」


フランス北西部の小さな村です。


この時 ピサロは・・・65歳。


持続性の眼の病気になっており


眼科医には、


「戸外での制作を控えるように」との忠告で


ピサロが、この絵画を描いた場所は、


エラニー の自宅家


自宅のアトリエの中で窓越しに描きました。


ピサロの自宅、庭のコーナーが描かれています。


高いポプラの木が空まで伸びる姿


柵の先には、畑も見えます四つ葉



ピサロのパトロン


画商「ポール・デュラン・リュエル」は、
(1831年10月31日〜1922年2月5日)


ディーラーに11月に販売しました。


この作品を含めて翌春、主要な「展示会」に出展しました。



​【この頃の驚いた出来事】​​

1894年に・・・

「ギュスターヴ・カイユボット」が亡くなり


印象派の作品をかなり、


買い受けていたカイユボット氏 


彼のコレクションは・・・どこへ?


マネ


ドガ


ピサロ


モネ


ルノワール


セザンヌ
​​
などの名画を含むコレクションを


フランス政府に寄贈することになったが


アカデミーの反対に遭い論争となった。


アカデミズム絵画の

ジャン・レオン・ジェロームは・・・
(1824年5月11日〜1904年1月10日)


「ここには、モネ氏、ピサロ氏といった人々の

 作品は、含まれていないのでしょうか?

 政府が、こうしたゴミのようなものを

 受け入れたとなれば

 道義上ひどい汚点を残すことになるでしょうから。」


と述べた。しかし


1896年、ようやくピサロの7点を含め


コレクションの一部が国立の


「リュクサンブール美術館」に収められ


公的な認知が進んだことを示した。


今となると・・・


考えられない印象派への扱いですよね泣き笑い




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最終更新日  2020.05.29 00:10:09
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