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カテゴリ:美術館・博物館
晩年のカミーユ・ピサロの絵画に癒されています。この作品はニューヨークで2度に渡り『メトロポリタン美術館』でお会いした作品です。監視員のおじさんに睨まれながらの写真撮影ですがなのにね〜何を怒っていたの
メトロポリタン美術館・ピサロ Camille Pissarro French,Charlotte Amalie,Saint Thomas 1830-1903 Paris Poplars,Eragny,1895 Oil on canvas 「ポプラ、エラニー 」 油彩・カンヴァス カミーユ・ピサロ Camille Pissarro 1830年7月10日〜1903年11月13日(73歳没) この作品は、1895年の夏に制作しました。 この景色は、ピサロが1884年から亡くなるまで住んだ Eragny 「エラニー 」 フランス北西部の小さな村です。 この時 ピサロは・・・65歳。 持続性の眼の病気になっており 眼科医には、 「戸外での制作を控えるように」との忠告で ピサロが、この絵画を描いた場所は、 エラニー の自宅 自宅のアトリエの中で窓越しに描きました。 ピサロの自宅、庭のコーナーが描かれています。 高いポプラの木が空まで伸びる姿 柵の先には、畑も見えます ピサロのパトロン 画商「ポール・デュラン・リュエル」は、 (1831年10月31日〜1922年2月5日) ディーラーに11月に販売しました。 この作品を含めて翌春、主要な「展示会」に出展しました。 【この頃の驚いた出来事】 1894年に・・・ 「ギュスターヴ・カイユボット」が亡くなり 印象派の作品をかなり、 買い受けていたカイユボット氏 彼のコレクションは・・・どこへ? マネ ドガ ピサロ モネ ルノワール セザンヌ などの名画を含むコレクションを フランス政府に寄贈することになったが アカデミーの反対に遭い論争となった。 アカデミズム絵画の ジャン・レオン・ジェロームは・・・ (1824年5月11日〜1904年1月10日) 「ここには、モネ氏、ピサロ氏といった人々の 作品は、含まれていないのでしょうか? 政府が、こうしたゴミのようなものを 受け入れたとなれば 道義上ひどい汚点を残すことになるでしょうから。」 と述べた。しかし 1896年、ようやくピサロの7点を含め コレクションの一部が国立の 「リュクサンブール美術館」に収められ 公的な認知が進んだことを示した。 今となると・・・ 考えられない印象派への扱いですよね ウイズコロナにぽち お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.05.29 00:10:09
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