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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

2020.07.01
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​フランスの画家が目指した「サロン」サロン・ド・パリ・・・とは?何だか堅苦しい感じがありますが〜ちょっと学んでみましたスマイル(ちなみにサロンのお茶会の話では無いですショック




手書きハート「サロン」・・・とは?​手書きハート



​サロン・ド・パリ​
Salon de Paris​


フランスの「王立絵画彫刻アカデミー」


18世紀にパリで​開催されるようになった「公式美術展覧会」


パリで行われた公式の展覧会ってことグッド


芸術家は「サロン」に応募し


審査され、合格すると展覧会に出してもらえるのです。


社会的に認められ、結果


作品は評価され、高く売れるという流れですね!


これには、長い間、王立アカデミーなどが関係することに。



​​王立絵画彫刻アカデミー・・・とは?​​

​Academie Royale de Peinture et de Sculpture​



絵画・彫刻の振興を目的として


1648年にフランスで設立された組織。


以後、150年間にわたって存続し


芸術家の教育方法の開発や展覧会の開催など


美術史上、大きな役割を果たした。


歴史画を頂点とする古くからの絵画感を強化し


西洋絵画の制度化を推し進めた。


​「サロン」名前の由来・・・とは?​


王立絵画彫刻アカデミーが、


会員に作品を展示する展覧会を開いた事。


1737年以降、ほぼ定期的に


ルーヴル宮殿の「サロン・カレ」(方形の間)で


展覧会を開催した事から名付けられたグッド


当時は・・・『ロココ美術』の全盛時代で


「フランソワ・ブーシェ」らが活躍。


フランソワ・ルモワーヌ『ヘラクレスとオンファーレ』1724年

ロココ美術上向き矢印の余りにも官能的なぽっ描写の


氾濫に対する危惧もあり、アカデミーの改革となり


不適切な作品は投票で排除するというNG


サロンの審査が明確化した。


​ロココ・・・とは?
​Rococo​


ロココは、美術史で使われた用語。


バロックに続く時代の美術様式。


18世紀、ルイ15世のフランス宮廷から始まり


ヨーロッパの他国にも伝えられ流行した。


それは ロココ、ロカイユ(Rocaille)に由来。


ロカイユは→岩の意味。


バロック時代のグロット(庭園洞窟)に


特徴的な貝殻で装飾された岩組を指したが


そこから転じて・・1730年代に流行した


貝殻の曲線を多用したインテリア装飾を


ロカイユ装飾(ロカイユ模様)と呼んだ。


18世紀後半・・・


徐々に『新古典主義』的な作品が


推奨されるようになり


1785年・・・


サロンに「ジャック・ルイ・ダヴィッド」が

『ホラティウス兄弟の誓い』を出品した事で


『新古典主義』は、感性の域に達した。


新古典主義・・・とは?
neoclassicism


18世紀中頃〜19世紀初頭、


西欧で建築・絵画・彫刻など


美術分野で支配的になった芸術思潮。


それまでの装飾的・官能的な「バロック・ロココ」の


流行に対する反発を背景に


より確固とした荘重な様式を求めて古典・古代


とりわけギリシャの芸術が模範とされた。



1789年、フランス革命が起きると


サロンに出品できるのは


アカデミー正会員と準会員に限らない事に!


公募制となった。


当初は、無審査の自由サロンであったが


出品数の激増で運営が困難となり


1798年から、審査制度が行われた。


そのため画家たちは・・・


アカデミーの主流である


「新古典主義」に沿った作品を提出しようとし


19世紀を通じて、


新古典主義はサロンの模範となった!!


新古典主義の正統を受け継いだのが


1824年のサロンで『ルイ13世の誓い』が成功した

「ドミニク・アングル」である。


1819年のサロンでは


『メデューズ号の筏』を出品した

「テオドール・ジェリコ」


1824年のサロンには、


『キオス島の虐殺』を

「ウジューヌ・ドラクロワ」が出品。


新古典主義に対する『ロマン主義』の潮流も生まれた。


ロマン主義・・・とは?​
Romanticism


18世紀〜19世紀前半に、ヨーロッパで、その後に


ヨーロッパに影響を受けた諸地域で起こった


精神運動の一つである。


それまでの理性偏重、合理主義などに対し


感受性や主観に重きをおいた一連の運動。


古典主義と対をなす。


恋愛賛美、民族意識の高揚、


中世への憧憬といった特徴を持ち


近代国民国家形成を促進した。


その動きは、文芸・美術・音楽・演劇など


さまざまな芸術文化に及んだ。のちに


その反動として「写実主義・自由主義」などをもたらした。


「ウジューヌ・ドラクロワ」

『アルジェの女』


​ロマン主義の画家は・・・​

スペイン=ゴヤ


フランス=ドラクロワ、テオドール・ジェリコ、ギュスターヴ・ドレ


イギリス=ウィリアム・ブレイク、ジョセフ・マロード・ウイリアム・ターナー
​ 
サミエル・パーマー、リチャード・ダッド、


イタリア=フランチェスコ・アイエツ


スイス=ヨハン・ハインリッヒ・フュースリー

ドイツ=カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、フィリップ・オットー・ルンゲ


ノルウェー=ヨハン・クリスチャン・ダールなど。



1833年から、ルイ・フィリップによる「7月王政」で


しばらく隔年開催となっていた「サロン」は・・・


毎年の開催となり、


作品を3000点超えまで増やす改革を行い


芸術の大衆化が進んだ。


サロンは・・・振興市民階級に


賞金買手を求める画家にとっての


商品展示場としての性格を強めた。


新古典主義とロマン主義の中庸派に立つ


「オラーズ・ヴェルネ」1789年6月30日〜1863年1月17日・画家


「ポール・ドラーシュ」1797年7月17日〜1856年11月4日・画家


も活躍した。


2月革命後の短い「第二共和制」では・・・


サロンの民主化が行われ


1848年、サロンでは無審査とされたが、玉石混交を招き


1849年から、審査制度が復活し


ギュスターヴ・クールベや


ジャン・フランソワ・ミレーなど


庶民の生活を描く『写実主義』レアリスムの画家が登場。




『写実主義』・・・とは?​


​Realism​ 

しゃじつしゅぎ レアリスム レアリズム 


現実を空想によらず、ありのままに捉え描く。


19世紀、フランスでは、


「ギュスターヴ・クールベ」が写実主義を主張した。


ナポレオン3世の第二帝政の時期には・・・


「ジョルジュ・オスマン」1809年3月27日〜1891年1月11日・政治家


オスマンによる「パリ大改造」によって

パリは、ヨーロッパ最先端の文化都市となり


サロンが社会的行事として定着し


美術批評もさかんになった。


画家が作品を売るためには、


サロンでの成功が不可欠であった。


サロンの審査委員は、


画家による選挙と美術行政による任命により選ばれ


結局、『新古典主義』を規範とする


保守的なアカデミズムにそって行われた。


1855年、サロンは・・・


「パリ万国博覧会」に吸収されたが


この時から、シャンゼリゼ通りの産業館で開催された。


しかし、すでに定着していた


「サロン」という名前は残った。


1863年、サロンの審査は、特に厳格で


落選者が続出したが


ナポレオン3世の命令で「落選展」が開かれた。


この時、出典した


「エドゥアール・マネ」
『草上の昼食』と


1865年のサロンに出典した

『オランピア』は、


美術会にスキャンダルを巻き起こし


新たな画家の訪れを告げた。


この頃、パリに集まった


「クロード・モネ」や


「ピエール・オーギュスト・ルノワール」など

『バティニヨール派』と呼ばれる


若手画家たちも、サロンに応募したが


審査委員に『バルビゾン派』の画家が入って寛容な年は


入選を得たが・・・


審査が厳格な年は・・・落選となった。


普仏戦争後、第三共和政の時代でも


サロンの審査は、保守的であった。


これに不満を抱いた「バティニヨール派」の画家たちは


1874年以降、サロンから独立したグループ展


『印象派展』を開くようになった。


サロンは・・・


依然として大きな集客力と


社会的影響を持ち続けていたが


1880年を最後に、


美術行政とアカデミーとの対立を機に


国家主催のサロンは、取りやめた。


その後は、フランス芸術家協会がサロンを開催


複数の団体がサロンを開催するようになったが


徐々にサロンやアカデミーの権威は、低下していった。



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最終更新日  2020.07.01 00:10:11
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