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「きらりの旅日記」

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プロフィール


ほしのきらり。

2020.07.03
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​ルノワールの美しい女性を追い求めた絵画と美味しそうな桃は、いやいや〜桃の季節になると食いしん坊さんたちを魅了するのでありますぺろり私、きらりが現地で撮影したカメラお写真と共に手書きハート




手書きハートルノアールの絵画と生涯・・・とは?​手書きハート



​​Pierre-Auguste Renoir​​

ピエール=オーギュスト・ルノワール


1841年2月25日〜1919年12月3日(78歳没)


フランスの画家であるグッド

ルノワールは・・・


『印象派』を代表する画家。

しばしば、女性的であるとも言われますが


性別は、男性。


明瞭で多様な色彩


芳醇で官能的な裸婦の表現



揺らめく木漏れ日による人物や風景への効果を研究した

斑点状の描写など特徴的な表現で


数多くの作品を制作しました。


ルノワールは、労働者階級の生まれで


社会的な向上心が強かったとされていて


パトロンや愛好家の獲得に長けた画家であった。




​ルノワールは・・・



1841年(天保11年)日本史的には「天保の改革」の年の生まれ


2月25日、フランス中南部「リモージュ」で


貧しい仕立て屋の息子として生まれます。


1844年(3歳の時)一家はパリへお引越し。


​ルノワールは・・・​


意外にも音符美声で聖歌隊に参加していた音符


1854年(13歳の時)磁器の絵付け職人の見習いとなるも


1858年(17歳の時)失業。


扇子の装飾など職人を経験。




1861年(20歳の時)画家になることを決意。


「シャルル・グレール」の画塾に入り


モネ、シスレー、バジールなど画家仲間と知り合い


「フォンテーヌブローの森」で一緒に写生した。


1864年(23歳の時)サロン・ド・パリ、初入選星


以後、度々入選を果たす星


経済的に苦しい中

親友「バジール」のアトリエを共同で使わせてもらったり


モネにパンをいただいたりもしている。


1869年(28歳の頃)ルーヴシエンヌの両親の家に滞在し


モネと共に行楽地「ラ・グルヌイエーヌ」でカンヴァスを並べ


『印象派』の特徴のひとつである


筆触分割の手法を生み出していった。


1870年(29歳の頃)普仏戦争が勃発し馬騎兵隊に従軍。


1871年(30歳の頃)パリ・コミューンの動乱に揺れる


パリに戻るが、スパイに間違われ一時、逮捕されるショック



パリ・コミューン終息後の「サロン」は保守性を増し、


ルノワールや仲間の画家たちは落選が続いたため


モネやピサロと共に共同出資会社を設立。


1874年(33歳の頃)サロンから独立した「グループ展」を開催。


のちに『第1回・印象派展』と呼ばれる展覧会。



写実性と丁寧な仕上げを重要視する


「アカデミズム絵画」が規範であった当時、



新しい表現を志した「グループ展」は、


世間から酷評され経済的にも失敗。


1876年(35歳の時)第2回『印象派展』参加。



1877年(36歳の時)第3回『印象派展』参加。


大作『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』出展するも


これらも厳しい評価を受ける涙ぽろり


そんな中でも・・・


ジョルジュ・シャルパンティエや



ヴィクトール・ショケといった愛好家を獲得グッド


特にフランス屈指の出版業者であった


シャンパンティエ家の依頼で描かれた作品は、

 
一家とのつながりをきっかけにして


富裕層からの肖像画の依頼が増えた。


1878年(37歳の頃)サロンに再応募→入選星


経済的な見通しを重要視してサロンの応募を繰り返し


そのため、第4回〜第6回までの『印象派展』不参加。


1879年(38歳の頃)後の妻となる

「アリーヌ」と知り合い交際開始ダブルハート


この頃、形態が曖昧になりがちな印象派の技法に限界を感じる。


1881年(40歳の頃)突然、アルジェリアへ旅立ち


イタリアにも旅をして

特にローマでラファエロの作品に触れ、大きな感銘を受ける。


画商「ポール・デュラン・リュエル」の奔走を受けて


1882年(42歳の頃)第7回『印象派展』

に出展するも


この頃から明確な輪郭線が現れ始め


古典主義への関心が強まっている。


1883年(42歳頃)〜1888年(47歳頃)までは


デッサン重視で冷たい『大水浴図』

を制作した。


1890年代以降は、「アングル風」を脱し


温かい色調の女性裸体を多く制作したため


評価も高まり

『ピアノに寄る少女たち』が政府買い上げになり


勲章を授与された星


妻「アリーヌ」と正式に結婚ハート

子どもにも恵まれたふたご座


関節リュウマチの療養のためもあって


南仏で過ごすことが多くなる。


1903年〜1919年(最晩年頃)


カーニュ=シュル=メールで過ごす。


リウマチと戦いながら最後まで制作を続けた。


ざっくりとルノワールの生涯を勉強してみました。


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最終更新日  2020.07.03 00:10:11
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