「きらりの旅日記」

2020/07/14(火)00:10

Renoir ルノワール 1881年 第6回・印象派展不参加 サロンに応募・入選 ルノワールが「サロン」に応募する理由とは? ルノワールが旅立った・・・理由とは? ラファエロに感動!

美術館・博物館(1927)

ルノワールは、​​​​​​​1881年春アルジェリア旅行。夏は友人の別荘で過ごし10月には、突然イタリアへ旅立ちます。そして「サロン」に応募する理由を手紙に認めております。 ​​ルノワールを知りたい(その11)​ ​ ピエール・オーギュスト・ルノワール ​Pierre-Auguste Renoir​ ​​ 1841年2月25日〜1919年12月3日(78歳没) フランス人『印象派の画家』 1881年初頭から・・・ 経済的危機を脱したデュラン=リュエルが ルノワールの作品を定期的に購入し始めます ルノワールは、 1881年3月〜4月、アルジェリアに旅行する。 ドラクロワ「アルジェの女」 ​​ ドラクロワを魅了した色彩豊かな オリエントに惹かれたのでしようか? ルノワールは、『モスク』を描いた。 ​​ ルノワールは、旅行先からデュラン=リュエルに宛てて 次のように手紙を書いた。 「私が、なぜサロンに作品を送るのか  あなたに説明しようと思う。  サロンを通さずに絵画と結びつき得る  美術愛好家は、パリには15人もいない。  サロンに入選しない画家の作品を  1点も買おうとしない人は15万人はいます。  これが、毎年少なくとも2点の肖像画を  サロンに送っている理由です。」 これが、ルノワールが「サロン」に応募した理由であった 1881年夏、ルノワールは、 ヴァルジュモンのポール・ベラールの別荘で過ごす。 近くのヴールヴィル、ヴァランジュヴィル=シュル=メール ディエップを訪れた。 ​1881年の「サロン」に応募。入選​ アカデミーから、フランス芸術家協会に移管され 初めての「サロン」である。 ルノワールは、 『ピンクと青、カーン・ダンヴェール家のアリスとエリザベート』と 肖像画1点を入選させた。 ​第6回・印象派展には、不参加。​ この時『印象派』は、3つに別れていた ピサロを中心としたグループ。 ドガを中心としたグループ。 印象派展を離脱して「サロン」に戻った ルノワール、モネ、シスレー、セザンヌの3つに分裂 1881年10月、ルノワールは・・・ 突然、イタリアへ旅立ち、 最初は「ヴェネツィア」に滞在。 その地からシャンパンティエ夫人に 「私は、ラファエロの作品を見たいという願望に取り憑かれました。」 と書いている。 11月21日、ナポリからデュラン=リュエルに 「私は、ローマでラファエロを見てきました。  非常に素晴らしい。  私は、それをもっと早く見ておくべきでした・・・  私は、油彩画ならドミニク・アングルが好きです。  しかし、ラファエロのフレスコ画には、  驚くべき単純さと偉大さがあります。」 と書き送っている。 ルノワールは、当初は、ラファエロを模倣する アカデミズム絵画を侮蔑しており 冷やかしのために見に行ったようだが ローマのヴァチカン宮殿の ラファエロ「署名の間」聖体の理論や アテナイの学堂 ヴィラ・ファルネージーナの「ガラテアの勝利」を見て感動した。 この時のイタリア旅行には・・・ アリーヌ・シャリゴも同行した カプリでアリーヌをモデルにして制作した 『ブロンドの浴女』の左薬指には、指輪がはめられている ルノワールにぽち​​​​​​​

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