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カテゴリ:美術館・博物館
19世紀には、パリ郊外「印象派の島」Chatouに多くのパリジャンたちがやって来てセーヌ川で舟遊びを楽しんだのだそうですが〜この明るい絵画のモデルは、誰なのでしょうね
ピエール=オーギュスト・ルノワール Pierre-Auguse Renoir 1841年2月25日〜1919年12月3日(78歳没) Alphonsine Fournaise(1879) Huile sur toile 『アルフォンシーヌ・フルネーズ』1879年 73,5cm×93.0cm パリ『オルセー美術館』所蔵。 画家:ルノワール作 Pierre-Auguse Renoir モデル・・・の名前は アルフォンシーヌ・フルネーズ(1846年〜1937年)です 彼女は、シャトゥーとリュエイユの間にあった 『フルネーズ』というレストランの娘である 1875年から、ルノワールは・・・ よくこの店で絵を描き 有名な 『舟遊びの昼食』1881年 を制作したのもこのレストラン『フルネーズ』である。 『舟遊びの昼食』では・・・ 肘をついた姿を見せていたアルフォンシーヌは、 まさにこのバルコニーに座り 腕を手すりに置いている 外光に照らされた明るい服や、麦わら帽子 これらすべて近代生活の余暇と結びついている 後景には、さらに 川に浮かぶヨットも見える。 のちに結婚して「パピヨン夫人」となる少女は、 この店の経営を受け継ぐことになる。 「舟遊びをする者の共同生活の場」と 常連の作家:ギ・ド・モーパッサン 1850年〜1893年 モーパッサンが形容した レストラン・フルネーズは、 こうした余暇の中心地であった。(資料:S.P./t.s.さまより) 再度、パリを訪問する時には、行ってみたいお店 そうです〜セーヌ川を愛した文豪や 印象派の画家たち、モネ、シスレー、ピサロ、ルノワールが 数々の作品を制作した『印象派の島』です レストラン『フルネーズ』への・・・行き方とは? パリから:CHATOU 『シャトー』まで列車で、約20分。 RER A線=St-Gemain en Laye 行きに乗って Chatou Croissy(下車) Restaurant Fournaise レストラン『フルネーズ』 住所:lle des Impressionnistes 78400 Chatou ムッシュ・フルネーズと家族が開いたレストラン この娘さんが後を継ぎますが、のちに持ち主を失い 1990年まで、廃墟となっていた『フルネーズ』ですが 現在では、当時を再現し再オープンしている。 夏場は、京都の鴨川みたいに “ルノワールのバルコニー”が設置される。 出掛ける〜季節は、『夏』のみですね そう言えば・・・夏のパリは未経験です それをメインで計画ですね。 いや〜夏のパリ暑そう 叶うか分からない夢ですが〜 ここに隣接しているのが(暑い時は、ここに避難) 『フルネーズ美術館』MUSEE FOURNAISE 休館日は・・・月曜日・火曜日です。 開館時間は・・・ 水曜日〜金曜日 10時〜12時 14時〜18時 土曜日・日祭日 10時半〜18時 (休館日と開館時間をチェックしてから計画です) 企画展もチェックしてからですね モーパッサン・・・とは? ギ・ド・モーパッサン アンリ・ルネ・アルベールギ・ド・モーパッサン Henri Rene Albert Guy de Maupassant 1850年8月5日〜1893年7月6日(43歳没) フランス人の自然主義の作家、劇作家、詩人。 代表作:長編『女の一生』など 20世紀初期には日本の作家に大きな影響を与えた。 『女の一生』・・・とは? 原題:Une vie 「人生」の意味。 「女の」にあたる単語はない。 また物語終了時点でジャンヌは、初老期。 厳密には、「一生」が描かれているわけでもない。 あらすじ・・・とは? 修道院を出て両親と共に プープルの屋敷で暮らし始めた 17歳の少女「ジャンヌ」は、 美しく素晴らしい人生が 自分の前にあると心躍らせ 美青年ジュリアン子爵と結婚する だが、結婚すると夫は、 ジャンヌに対する愛情を無くし 金に執着するようになる 夫は、ジャンヌの乳姉妹のロザリや 友人のフルヴィル伯爵の妻とも関係を持ち さらにジャンヌの母もかつて 父の友人と不倫関係にあったことを知り ジャンヌは、人生に対する希望を失っていく 妻の不倫を知ったフルヴォル伯爵は、 ジュリアンと伯爵夫人が逢瀬している移動小屋を 斜面から突き落とし、二人は死ぬ 未亡人になったジャンヌは、 息子ポールを溺愛するが、 ポールは、外国で女と暮らし 金の無心にしか手紙をよこさなくなる。 両親も死に、 ひとりきりになったジャンヌの元に 屋敷を追い出されたロザリが戻ってくる。 ロザリの助力でジャンヌは財産を整理し 屋敷を売って小さい家に移り住む。 やがて、ポールから 恋人が子供を産んで死にそうだと手紙が来る ロザリは、ポールの元に行き 女の子の赤ん坊を連れて戻り 明日ポールが帰ってくるとジャンヌに告げる。 作者モーパッサンは、 33歳の時『女の一生』で3万部を売り上げ エトルタや南仏アンティーブに別荘を購入。 1886年、ヨットを購入。 活発な執筆活動のかたわら 旅も頻繁に出掛け 海浜での水の遊びを好んだ 婦人との友好はあったが 結婚はしなかった。(資料:ウィキペディアさまより) 何となくストーリーを思い出しました 旅の計画にぽち お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.08.05 00:10:11
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