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カテゴリ:美術館・博物館
ルノワールが熱烈に敬愛してやまなかった「ティツィアーノ」の『ウルビーノのヴィーナス』のような裸婦を目指していたのですね〜
ピエール=オーギュスト・ルノワール Pierre-Auguste Renoir 1841年2月25日〜1919年12月3日(78歳没) Femme nue couchee(Gabrielle) Vers 1906 Huile sur toile 67.0cmx160cm 『横たわる裸婦(ガブリエル)』 1906年頃 油彩・カンヴァス パリ『オランジュリー美術館』所蔵。 『横たわる裸婦』のモデルは・・・? ジャン・ルノワール (1894年〜1979年)の世話をするために 1894年にルノワール家に家政婦として入った ガブリエル・ルナール(1878年〜1959年)である。 ガブリエルは・・・ 乳母であり、 家事手伝いであり、 絵筆と絵具を準備してくれる助手でもあり、 されには、 1914年までルノワールのためにポーズをとっており 彼女をモデルに200点近い絵画が生まれることとなった。 ヴォラールが語るように 「ルノワールの料理女には、 『光をよく吸い込む肌を持っていること』 が求められた」のである。 モデルは、身近にいて 家族の日常生活にも馴染んだ人物であったが かといってそのことは、ルノワールが 19世紀にとりわけ「アングル」と「マネ」によって 一新された西欧絵画における偉大なテーマのひとつ、すなわち 『オダリスク』の変奏としての横たわる裸婦というテーマに 取り組む妨げにはなっていない。 ときおりエキゾチックな布や バブーシェ (トルコ風スリッパ)を描きこんでいることを除くと ルノワールは、 オリエンタリスムの作法に従うことなく 絵の場面をアトリエのなかに設定している。 とはいえ、それでもなお オリエンタリスムの源泉を探りながら 官能的な曲線を見せている しどけない裸体を実現しているのである。 こうした曲線は、 その後、『大きな裸婦』において さらに強調されることになるのだが・・・ Grand nu ou Nu sur les coussins(1907) Huile sur toile 70.0cmx155.0cm 『大きな裸婦 あるいは クッションにもたれる裸婦』 1907年 油彩・カンヴァス パリ『オルセー美術館』所蔵。 腰の部分の描き直しの跡がそれをよく物語っている。 2点の横長の大きな裸婦像に 近似した大きさの第3の裸婦像(個人蔵)を付け加えることもできるのだが これらの作品は、明らかに、 ルノワールが熱烈に敬愛してやまなかった ティツィアーノの 『ウルビーノのヴィーナス』に対するオマージュである ルノワールにぽち お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.08.13 00:10:08
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