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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2020.10.26
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​エドゥアール・​​​​​マネ♪一番の肖像画『菫の花束をつけたベルト・モリゾ』謎多き、マネとモリゾの関係・・・とは?


葉​​​菫の花束をつけたベルト・モリゾ​​葉


​​Berthe Morisot au bouquet de violets(1872)​​

油彩・カンヴァス 55.0cmx38.0cm

『菫の花束をつけたベルト・モリゾ』1872年​

(すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ)

手書きハート手書きハート手書きハート手書きハート
エドゥアール・マネ ​​

Edouard Manet


1832年1月23日〜1883年4月30日(51歳没)


19世紀フランスを代表する画家。


近代化するパリの情景や人物を


伝統的な絵画の約束事にとらわれずに描き出し


絵画の革新の担い手となった。


肖像画の代表作である。


モデルは下向き矢印

手書きハート手書きハート手書きハート手書きハート
ベルト・モリゾ

Berthe Morisot


1841年1月14日〜1895年3月2日(54歳没)


19世紀には珍しい女性画家。『印象派』


モリゾの画風は、自然の緑を基調としたものが多い。


穏やかで、母子の微笑ましい情景などが特徴的。


マネの絵画のモデルとして有名・左下下向き矢印​『バルコニー』​


「私の顔は詮索好きな人たちの間では、


“妖精”などという言い回しが広まっているようです」

ーーベルト・モリゾーー

『バルコニー』が展示されたサロンの印象を綴った姉宛の手紙



1868年に『ルーヴル美術館』で模写の時に知り合った


​「マネ」と「モリゾ」の関係とは・・・?​


さまざまな憶測がささやかれる。


「バルコニー』から3年後に描かれた


しかし、長い間ベルト自身が愛蔵していた下向き矢印この作品は、


そうした愛情関係を超えて、近代が生み出した


肖像画の最高傑作といわれる要素が満ちている。


黒と灰色のシンプルな色彩、


瞬間に凝縮された時間。


逆光のなかでとらえられた、


ひとりの女性の一瞬の表情を通して


レオナルド・ダ・ヴィンチ
(1452年〜1519年)


『モナ・リザ』(1503年〜15006年作)

パリ『ルーヴル美術館』所蔵。


に代表されるルネサンス以来の肖像画の伝統を


マネは、鮮やかに再構築した。


​ベルト・モリゾは・・・


フランス王国:ブルージュでシェール県官史の子として生まれる。


ベルトと姉のエドマは、2人とも画家の道を志した。


モリゾ家は、ロココ時代の画家:フラゴナールの家系であるらしい。

20歳の時から姉とともに「バルビゾン派」の


ジャン=バティスト・カミーユ・コローに師事。


戸外での制作をはじめる。


ベルトとエドマは、ともに画学生として励んだが


エドマの方は・・・


結婚して子どもができたために画家への道を諦めた。


エドマは、その後もベルトを心を込めて支えた。


1864年(23歳の時)2つの風景画でサロンに初入選。


1874年第1回『印象派展』の前年までサロン出展を続けた。


1868年、モリゾはエドゥアール・マネ に出会う。


マネに絵画を学びながら、


マネのモデルを多く務め


マネと恋仲を噂されることもあった。


基本的にマネが師であり、


モリゾが弟子であるとされているが、


二人の間にはお互いに影響を与え合うものがあった。


また、モリゾは・・・


ピエール=オーギュスト・ルノワール


ステファヌ・マラルメ


との親交もあった。


1874年、モリゾはマネの弟:ウジューヌ・マネと結婚ハート


1878年、娘:ジュリーを出産。


夫婦仲も良く、モリゾは夫や娘を題材に作品を多く描いた。

モリゾ「ウジューヌ・マネと娘」


1895年(54歳)で死去するが


マラルメ、ルノワール、エドガー・ドガは、


モリゾ夫妻が遺した一人娘


ジュリー・マネ(1878年11月14日生まれ、彼女も画家となる)

の後見人となる。


1900年、ジュリー・マネは・・・


画家:エルネスト・ルアール(ドガの弟子でヴァレリーの友人)と


同時にヴァレリーもモリゾの姪ジャニ・ゴヒヤールと結婚した。



「マネの作品のなかで、

 1872年に描かれた

 ベルト・モリゾの肖像画を超えるものはない。

(・・・)何よりもまず「黒」。

 完全な黒。

 喪の帽子の黒。

 ピンクの光沢がある

 栗色の髪がもつれる

 この小さな帽子のあごひもの黒が、

 私をとらえた。(・・・)

 これらの黒の絶対的な力強さ

 背景の簡素な冷たさ、

 肌の青白い、

 あるいはバラ色の明るさ。(・・・)

 髪やあごひもやリボンの乱れが

 顔をとりまいている。

 あいまいに固定された大きな瞳は、

 激しい放心状態にあり

 いわば「不在の存在」の様相を呈している」

ーーポール・バレリー

(資料:Manet Jai fait ce que jai vu.フランソワーズ・カシャン氏著)
(資料:ウィキペディアさまより)
(資料:東京美術マネ生涯と作品高橋明也さま著書より)
(写真撮影:ほしのきらり)

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最終更新日  2020.10.26 08:21:59
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