4638018 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

「きらりの旅日記」

PR

カレンダー

プロフィール


ほしのきらり。

2020.11.27
XML
カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ドガは、印象派グループと芸術的傾向がかなり異なっていました。印象派という名称自体が気に入らなかったのですから今頃『印象派』を代表する巨匠と呼ぶことをどう思っているのでしょうねクール


音符ドガと印象派グループの対立・・・とは!?


研究熱心なドガ、妥協を許さないドガちゃんです手書きハート
美術館には、ドガの下絵が多く並んでいますね〜手書きハート


多くの下絵を描き、のちに組み合わせて作品を制作します。

手書きハート手書きハート手書きハート手書きハート
​エドガー・ドガ​

​Edgar Degas​


1834年7月19日〜1917年9月27日(83歳没)


印象派を代表する画家・彫刻家である。


線描を重視して、大胆で奇抜な構図や


対象の瞬間を鋭く捉える優れた観察眼で描いた


『4人の踊り子』1899年頃の作品


印象派を代表する巨匠として知られる「ドガ」ですが


サロン「官展」の審査委員との対立があり


サロンへの参加を辞め


ドガは、新しいグループに参加することを決意する。


1874年1月17日、新しいグループが

「画家・彫刻家・版画家の芸術家等の共同出資会社」規約を発表。


1873年12月27日、

ドガは、ピサロやモネと芸術的傾向がかなり異なっていたが

守旧的なサロンから独立した展覧会を開くという構想に共鳴し参加した。


第1回『印象派展』写真家:ナダールの写真館で開催。


1876年、第2回『印象派展』の時、

サロンに応募し続けるセザンヌに対して

ドガは「グループ展に参加するからには、

サロンに応募すべきではない!」と主張したうっしっし


1877年、第3回『印象派展』開催。

ドガ、モネ、ピサロ、ルノワール、シスレー、ベルト・モリゾ、セザンヌ参加。

都市風俗画を重視するドガは・・・

『印象派』という名称を使うことを強く反対したが、​

他の画家たちに押し切られ

初めて『印象派画家たちの展覧会』と名乗る。

ドガと他の印象派グループと路線の対立が顕在化する。


「印象派グループ」のモネやルノワールと

ドガとの対立が鋭くなり

1879年、第4回『印象派展』と1880年、第5回『印象派展』を

モネとルノワールがボイコットしサロンに参加する!!

モネとルノワールには、サロンに参加する経済的な理由があった。

ドガは、お金持ちであったために納得できない!名称も気に入らない!


1879年、第4回『印象派展』は、

サロンに応募する者は参加させないとのドガの主張で

展覧会の名称も『独立展(アンデパンダン)展』とされた。

ルノワール、シスレー、ベルト・モリゾ、セザンヌは、不参加。

参加したドガとピサロは、ポール・ゴーギャンを誘った。

日本美術に傾倒していたドガは上向き矢印参加者に扇面図を描くように求め


ピサロとジャン=ルイ・フォランだけは、扇面図の出品に応じた。


1881年、第6回『印象派展』開催。

カイユボットとドガの対立が激しくなり

カイユボットは、ピサロへの手紙で

モネ、ルノワール、シスレー、セザンヌらを呼び戻すとともに

ドガが連れてくる仲間を外すべきだと主張したが

ピサロは、ドガを庇護した。

結局、カイユボット自身がグループ展から外れ

ピサロ陣営6人と

ドガ陣営(メアリー・カサットは両方に所属)の13人で開催。


1882年、第7回『印象派展』開催。

ドガとその仲間、特に

ジャン=フランソワ・ラファエリを参加させることが問題になり

モネ、ルノワールらが画商:デュラン=リュエルの所有作品で参加し

ドガは、不参加となった。

ドガが、印象派展に不参加になったのは第7回だけである。


第8回『印象派展』開催。最後のグループ展となる。

前回、のけ者にされたドガが・・・

リベンジに燃えて若い画家たちを呼ぶ。


「新印象派」のスーラ、シニャックの点描画法が話題となり

新しい運動の出発点となった。


ドレスドレスドレスドレスドレス


印象派とのゴタゴタがありつつも・・・


ドガは、バレエにおけるあらゆる瞬間を描こうと試みた手書きハート


『ダンス教室』1880年​

パステル・紙 ​63.0cmx48.0cm


ドガが、バレエを描いたのは、


その浮動する恍惚とした瞬間においてだけではなかった。


彼の鋭い目は、どんなものも見逃さないリアリズムをもって


教室における準備の瞬間や


上靴を履き直したり、筋肉を伸ばしたり、


ステップの小手調べをしている踊り子の動作を観察した。


彼は、演技者のぎこちなさや


身体の調節などを暴き出し


その中に新しい美を見出した。


バレエを描くにあたって、普通、ドガは、実際の上演から


正確な瞬間を写し取ることをしなかった。


彼の方法は、むしろ、合成することであり


或る情調を暗示することであった。


踊り子たちは、最初は別々に研究され


ついでグループにまとめられたのかもしれないが


出来上がった効果は、


ステージの眩しい或いは、神秘的な光景を受けた


めまぐるしい運動や、


いかにも自然な身ごなしの動きの感じを伝えている。



『待ち合わせ』1882年頃​


パステル・紙 47.0cmx60.0cm


『待ち合わせ』は・・・


二人の人物を描いて、


人目をひく構図に仕上げることにかけてのドガの独創性を示す


もう一つの例である。同時に、これは、


物語りのない物語り絵のもう一つの場合でもある。


バレエの衣装をつけた踊り子と、


外出着の婦人が、多分、


オペラ座の控え室と思われる場所で、待っている。


婦人は、木の床の上に


傘で無意味な模様を描いている。


少女は、上半身を前にかがめて


片手で左のくるぶしをつかんでいる。


こういう単純な素材をもとに、一切の細部を抹消して


空間の空虚さを暗示することによって


作者は、ほとんど果てしない退屈の一瞬を創造した。


構図は・・・


この退屈さの感じを強調するように考案されている。


踊り子の、ものうげな前かがみの姿が


踊り子よりは姿勢がよいが


それでもぐったりと忍耐づよく腰を下ろした


夫人の姿と対比されている。


二人とも、ベンチの左の方に片寄っていて


そのベンチの傾斜した線と


床のはめ板の線とが並行しており


ここでも、一方の空虚さが、


反対側の充実していることによって


均衡を保たされている。


少女のまる味をおびた曲線は、


婦人の角ばった輪郭と対比され


また少女の衣装の色の魅力は、


連れの人物の無愛想な黒と対照的である。


ドガは、パステルを多く使用するようになるにつれて


その用い方は、


ますます奔放となり


筆使いがそのままに見えるのを構わずに


かえってそのスケッチ風の線を用いて


細部を作り上げたり


或いは、この作品におけるように


人物の姿に頑固さと個性とを賦与する


強いアクセントを補ったりするようになった。​​


(写真撮影:ほしのきらり)
​​

ドガにおとめ座ぽち右矢印にほんブログ村 旅行ブログ 世界遺産へ

​​​






最終更新日  2020.11.27 00:10:09
コメント(0) | コメントを書く



Copyright (c) 1997-2021 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.