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カテゴリ:美術館・博物館
ゴーギャンは、タヒチから離れマルケサス諸島へと移ります。そこで新しいインスピレーションを得て作品の制作も捗っているようです
彼女らの肉体の黄金 『彼女らの肉体の黄金』1901年 『黄金色の女たちの肉体』 油彩 カンヴァス 67.0cmx76.0cm 【第二次タヒチ時代】 パリ「オルセー美術館」所蔵。 ポール・ゴーギャン(ゴーガン ) Paul Gauguin 1848年6月7日〜1903年5月8日(54歳没) 1901年9月16日(53歳)ゴーギャンは・・・ マルケサス諸島のヒヴァ=オア島に移ります。 前の年、1900年には・・・ 一点の絵も描けなかった。 タヒチの官憲との闘争に加えて、 病気はいくつも重なって彼を苦しめた。 皮膚病、湿疹、喘息、梅毒、心臓の弱化。 しかし、 1900年3月以来、モンフレーの奔走によって、 懸案だった画商:ヴォラールとの契約が実現し、 ゴーギャンは金銭的な不安からは、 一応解放されたのである。 彼の内部で徐々に昔の傲岸な芸術家がよみがえる。 彼は、タヒチで想像力が枯渇しはじめるのを感じていたが、 この機会をのがさず、 タヒチの土地財産を売り払って、 250カイリ彼方の未開のエデンに移住した。 ここもフランス植民地には違いなかったが、 未開の風景にも原住民の「すばらしさ」にも彼は満足する。 「ここでは詩が自然に湧き出てくる」と彼はモンフレーに書く。 『彼女らの肉体の黄金』は、移住最初の年の末に描かれた。 夢と現実が荒々しい調子の中で息づく 1901年9月16日(53歳)の時、 マルケサス諸島のヒヴァ=オア島に到着して、 『逸楽の家』を建てさせ、自分で装飾する。 11月18日、愛人:マリー・ローズ・ヴァエオホ(14歳)と内縁関係を結ぶ。 そんな様子をダニエル・ド・モンフレ宛の手紙に書いています。 1901年11月 マルキーズ諸島、 ラ・ドミニク(イヴァ・オア)島より 「ダニエル兄、 先月は君に手紙を書かなかった。 それは、第一君から手紙が来なかったためだ。 それに家を建てたり、 修理したりする仕事が忙しく、 手紙を書く暇がなかったのだ。 設備はすべて前に家のものを使ったが、 質素な芸術家が 望むようなものはすべて揃っている。 大きなアトリエの隅には、 小じんまりした寝場所があり、 すべてのものは棚の上に整備され、 手のとどくところにある。 家全体は、 地上2メートルの高さにあり、 そこで食事も、 大工仕事も料理もやる。 日陰に吊ったハンモックで昼寝をしていると、 300メートル先の海から 椰子の林を超えて吹いてくるそよ風が涼しい。 土地を手に入れるのは苦労だった。 伝道会から 半ヘクタール700フランで買ったのだが、 これは高価だった。 しかし、これしかなかったのだ。 ここでは伝道会が土地を全部持っているのだ。 神父たち以外には不都合なものは何もない。 私の家は、村の真中にあり、 樹木にとり囲まれているので 他人から覗かれることはない。 食糧についても心配しないでくれ。 近所にアメリカ人がいて・・・ 気持ちのいい男だ・・・ 品物のよく揃った店を持っていて、 必要なものは何でも手に入るのだ。 移住の決心をしたことも、 今ではだんだん満足に思うようになった。 そして、絵を描くという点だけでも、 ここは素晴らしい。 それにモデルたちだ、 これは正に驚異だ!! すでに仕事にとりかかった。 しかし、もうキャンバスがなくなった。 ヴォラールが一年前に 約束してくれたキャンバスや絵具、 ホワイトがくるのを いらいらしながら待っている。・・・」 ・・・ではまた、ポール・ゴーギャン (参考資料:美術公論社ゴーギャンの手紙より) (参考資料:中央公論社GAUGUINより) ゴーガンにぽち お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.03.01 00:10:09
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