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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

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2021.03.03
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​ゴーギャンについてのお勉強を続けています〜象徴主義・綜合主義という2つの言葉が出てきましたがスマイル何ですか?


緑ハート​​​象徴主義と綜合主義・・・とは?​​​​緑ハート




ポール・ゴーギャン(ゴーガン )
​​​​Paul Gauguin​
​​​
1848年6月​7日〜1903年5月8日(54歳没)


ゴーギャンの​最初の絵画修業において、


大きな役割を果たしたのは、ピサロである。

ピサロは、彼を印象派の世界に導き、


1876年以降、グループ展にも出品させるようにした。


ゴーギャンのごく初期の作品が、


強く印象的な特色を示しているのも、


少しも不思議ではない。


だが、彼は、1883年、それまで勤めていた


ベルタン商会を辞めて、絵画に専念するようになってから、


次第に印象派とは違った方向に向かうようになった。


作品の上で、その変化が感じられるようになるのは、


1886年の最初のブルターニュ滞在のころであるが・・・


Hoguera junto a una ria,1886



Idas y venidas,Martinica .1887


考え方の上では、すでにそれ以前から、単なる外界の再現ではない、


より心理的な内容を持った絵画というものを、意識的に求めていた。


彼の探求が綜合主義としては、はっきりしたかたちで実を結ぶのが、


1888年の第二次ブルターニュ滞在の時期である。

​​​


緑ハート​『象徴主義と綜合主義』・・・とは?​​緑ハート  


1886年をいわば分水嶺として


クローズアップされるようになってきた


反印象主義的傾向というのは、


どのような特色を持っていたのだろうか!?


1886年の第8回『印象派展』が、


その最初のマニフェストであったとすれば、


それに続く歴史的催しは、


新印象派の活躍の場となった「アンデパンダン展」を別とすれば


1889年、ゴーギャンとその仲間たちが集まって開催した


​『ポン=タヴェン派の展覧会』​であったと言える。


パリでの​​大がかりな万国博覧会とちょうど同じ時期に、


カフェ・ヴォルピニで開かれたこの展覧会は、


​『印象主義および総合主義のグループ展』​


と銘打たれていた。​


それから2年後、1891年には、


ゴーギャンの弟子たちの集まりである


​『ナビ派のグループの第一回の展覧会』​が開かれたが、​


これは、


​『象徴主義および印象主義のグループ展』​と名乗った。​


どちらの場合も、「印象主義」という名称が一役買っていたが、


その内容は、


少なくとも1874年のあのナダールの写真館での集まりとは、


大きく違っていた。


ゴーギャンおよびナビ派の仲間たちが


「印象主義」という名前を借りたのは、


公式のサロンに対抗する


最初のまとまった独立グループを作った先輩たちに対する敬意と、


そしておそらくは宣伝効果とのためで、


実質的には、「綜合主義」および「象徴主義」という名称が、


その本体をよく物語っていた。


​事実、「象徴」そして「綜合」という概念は、​


ゴーギャンを中心とする


新しい絵画の鍵となるものだったのであるグッド


​1886年​という年は・・・


この点においても重要な転換を記録した年であった。


この年の秋​​​​​葉9月18日『フィガロ』紙上に、


詩人:ジャン・モレアスが


有名な「象徴主義宣言」を発表して、


この詩以後、​「象徴主義」​という言葉が


正式に市民権を得ることになつたからである。


もちろん、この「象徴主義」は、


第一義的には、文学に関するものであったが、


モレアス自身、その宣言の中で、


「芸術における創造的精神の現在の傾向を

 正しく表わすことのできる唯一の名称」


と語っているように、


文学以外の領域の芸術にも通用するものであった。


特に絵画は・・・少なくとも最初のうちは・・・


文学におけるのと同じ目的、共通の意図を持っていたため、


象徴主義の運動においては、重要な役割を演じた。


モレアスの「宣言」に呼応するかのように、


1886年には・・・


『プレイヤード』『ヴォーグ』『デカダン』『サンボリスト』など、


一連の新しい雑誌が創刊され、新しい美学にもとづく評論、


創作活動を活発に示すようになったが、


そこでも絵画は、評論や挿絵において大きな部分を占めていた。


もともと、象徴主義の理論は、


人間の諸感覚の交感照応を前提としていたので、


音楽をも含めて、さまざまの芸術ジャンルの交錯が見られたのも


少しも不思議ではない。


象徴主義の本質は、モレアスの言葉を借りるならば


「理念に感覚的形態の衣装をまとわせること」であった。


絵画の世界で言うなら、描き出されたものは、


単に外面的な衣装であって、その奥に、


直接感覚では捉えることのできない「理念」が


隠されているということである。


逆に言えば、絵画とは、


単に眼に見える世界をそのまま再現するだけではなく、


眼に見えない世界、内面の世界、


魂の領域にまで探求の眼を向けるところに、


その本質的な役割があると言うのが、象徴主義の考え方であった。


なぜなら、そのような内部の世界は、


たとえ直接眼で見ることはできないとしても、


人間にとってたしかに厳として動かし難く存在するものであり、


しばしば、眼に見える自然の世界以上に重要なものだからである。


このような考え方は、もちろん、


象徴主義の登場以前にまったくなかったわけではない。


それどころか、最後にロマン主義詩人であり、


最初の近代的批評家であったボードレールは、


モレアスの「象徴派宣言」よりも30年も前に、


外部の世界と内面の世界の「交感照応」を歌い上げていたし、

​​​
​​​ドラクロワは、そのノートに、

「人間の魂には、

 現実の事物では

 決して満足させることのできない

 内面的感情というものがある。

 これらの感情に

 形と生命を与えることができるのは、

 画家が詩人の想像力だけだ」


と書きつけていた。この一節は、もともとは、


ドラクロワ自身の言葉ではなく、


スタール夫人の『ドイツ論』

のなかから、ドラクロワが書き写したものだが、


それだけに、それはロマン派のひとつの


基本的な信条であったということができるであろう。


そして、さらにゴーギャンが、


ドラクロワから自分のノートの中に同じ文章を書き写しているのだから、


そのかぎりでは、ゴーギャンも


ロマン派の落とし子だったということになる。


少なくとも、


人間の魂の深奥の世界に最初の冒険を試みたのは、


ロマン派だったのであるグッド


しかし、多くの神秘と驚きに満ちたこの内面の世界は、


写実主義から、印象派に至る「実証主義的」な動きにおいては、


しばらくのあいだ忘れられていた。

​​​​​​​​

クールベやモネの眼には・・・


何よりも外の自然の世界に向けられていたからである。


ゴーギャンやルドンが、印象派の色彩表現から多くのものを学びながら、


なお印象派に対して強い不満を感じないわけにはいかなかったのも、


そのためである。


ルドンは、印象派の「天井が低い」こと、


すなわちその世界が限られていることを強く非難したし、


ゴーギャンに至っては、もっと激しく、こう述べている。


「彼ら(印象派の画家たち)は、

 自分たちの眼の周囲ばかり探し廻っていて、

 思想の神秘的内部にまではいりこもうとはしない。

 それは完全に皮相的で、

 完全に物質的で、

 媚態だけからでき上がっているような芸術である。

 そこには思想は住んでいない。」


だが「思想の神秘」は感覚では捉えることができない。


そこで、「思想」に「感覚的形態の衣装をまとわせる」こと、


つまり、象徴的表現が必要となってくるのある。


印象派が自然を再現するために用いた武器が


綜合主義であったと言うことができる。


ゴーギャンの手紙をはじめ、当時の批評家においては、


「綜合」と言う言葉が、


「象徴」と並んで頻繁に登場してくるが、それは何よりも、


印象派の「分析」的な技法に対するアンチテーゼであり、


「分析」の結果、


多彩な色点のなかに解消してしまった形態を、


再び復活させようという試みであった。

​​​​​

そのため、ゴーギャンとその仲間たちは、対象の形態を、



故意に強調された太い輪郭線で単純化して捉え、


印象派の茫然たる世界とは正反対の明確な形態世界を提出する。


その輪郭線は・・・


中世のステンドグラスの構図の太い仕切りを思わせるので、


綜合主義絵画は、時に


「クロワニスム(仕切り派)」という名前で呼ばれていたほどである。


このような形態の「綜合」は、当然色彩の「綜合」をもたらす。


色彩は、こまかく分割されるのではなく、


ひとつひとつの「仕切り」のなかでは、


平坦で強烈な色面として捉えられる。


その結果、画面は、一方では


ステンドグラスのように装飾的になると同時に、


他方では、眼の前の現実を超えた「思想」の表現ともなる。


説教を聞いた後のブルターニュの女たちの姿と、

彼女たちの心に浮かんだ幻影とを強烈な赤のバックで結びつけて


同一の画面の上に表現した『説教のあとの幻影、ヤコブと天使の闘い』など、


そのゴーギャンの美学を典型的に示すものと言ってよいであろう。


この作品が、描かれたのは、1888年のことであるが、


絵画における象徴主義的綜合主義は、


ほぼこの時に成立したと言っても良い。


それから3年後、1891年には、


ちょうどかつて新印象主義において


フェネオンが果たしたのと同じような役割を


象徴主義絵画において演じた批評家アルベール・オーリエが、


『メルキユール・ド・フランス』誌上に


「絵画における象徴主義・・・ポール・ゴーギャン」と題する


評論を発表して、この新しい芸術観を明確に次のように規定した。


「芸術作品の必要条件は、

(1)理念的であること、何故ならば

  絵の唯一の理想は理念の表現であるから。

(2)象徴的であること、何故ならば

  絵画はその理念を形態において表現するから。

(3)綜合的であること、何故ならば

  絵画は、これらの形態、記号を一般的理解の方法にしたがって表わすから。

(4)主観的であること、何故ならば

  絵画においては、客観的事物は決して客観的事物として考えられず、

  主題によって知覚された理念の記号として考えられるから。

(5)(従って以上の結果)装飾的であること、何故ならば

  エジプト人、そしておそらくはギリシア人、および

  プリミティフ芸術家たちの考えていていたような

  いわゆるほんとうの意味での装飾絵画は、

  同時に主観的、綜合的、象徴的、理念的である芸術の

  表明に他ならないからである。」


絵画における「象徴主義宣言」とも言うべき


オーリエのこの定義になかに、外界の再現を


至上命令とした印象派とはまったく正反対の考え方が


大きくクローズアップされているのを、


われわれは読み取ることができるであろう。
 


緑ハートポール・ゴーギャン緑ハート



オーリエが、この歴史的に重要な評論を発表した時、


ゴーギャンはすでにフランスを去ってタヒチ島ににいた。


しかし、この評論のことを聞くと、


それを読む前に、早速妻:メットにメールする宛てて、


「僕は、

 そのオーリエという男を知っているし、


 おそらくその評論のなかでも、

 僕のことを書いているに違いない。

 この(象徴主義の)運動は、

 絵画においては僕が創始したもので、

 多くの若い人たちが

 それを利用したのだ・・・」


と書き送っている。


象徴主義絵画という定義を、


単にまとまったグループ活動としてだけではなく、


内面の世界の探求という観点から捉えるなら、


この1880年代には、ゴーギャンやマラルメ下向き矢印とも



親しかったルドンがいるし、

サロンの画家たちの間にも、


例えば

ピュヴィ・ド・シャヴァンヌや


ギュスターヴ・モローのような

特異な映像世界を持った優れた画家たちがいた。


しかし、ブルターニュ地方のポン=タヴェンに集まって


意識的に新しい美学を求めた一群の画家たち、


すなわち、一般に「ポン=タヴェン派」と呼ばれる


綜合主義のグループに焦点を絞ってみれば、


その中心となり、指導者的役割を果たしたのは、


彼自身誇らしげに語っている通り、ゴーギャンであった。


事実、1889年にカフェ・ヴォルピニで開かれたあの


「綜合主義グループ」の展覧会には、


エミール・ベルナール、シャルル・ラヴァル、アンクタンなどが


顔を揃えていたが、会場の中心となったのは、


疑いもなくゴーギャンであった。


そして、このポン=タヴェン派と、やはり


ゴーギャンの弟子でのちにナビ派のグループに結集する若者たちが、


当時オーリエなどの考えていた「象徴派」であったとすれば、


この運動におけるゴーギャンの重要性は、おのずから明らかと言える。


(参考資料:中央公論社GAUGUIN高階さま著より)
(写真撮影:ほしのきらり。)


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最終更新日  2021.03.03 00:10:09
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