7495131 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

「きらりの旅日記」

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カレンダー

プロフィール

ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2021.03.08
XML
カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​ゴーギャンは、​​​1888年2月ポン=タヴェンに赴き制作に専念「クロワゾニスム」を知る。「総合主義」を確立。10月には、ゴッホに招かれ南仏アルルへ向かいます歩く人ダッシュ

緑ハート​​第二次ブルターニュ時代​​緑ハート


​​Perros corriendo en prado,1888
​​

​Dogs Running in a Meadow​

【第二次ブルターニュ時代】

マドリッド「ティッセン=ボルネミッサ美術館」所蔵。


ポール・ゴーギャン(ゴーガン )
​Paul Gauguin​

1848年6月7日〜1903年5月8日(54歳没)


1888年2月(40歳)ゴーギャンは、​


再びポン=タヴェンに赴いた。


晴れ夏に​​​​​​​は・・・​​

『説教のあとの幻影』​​1888年

油彩 カンヴァス 73.0cmx92.0cm

エジンバラ「スコットランド国立美術館」所蔵。


ブルターニュの女性たちは、


素朴な心ゆえに教会の説教で聞いた話


(天使とヤコブ)の幻影を見る。


画面を横切る大きな樹木。


その手前は現実の世界であり、


樹の向こうは幻、すなわち眼に見えない世界である。


二つの世界は樹によって隔てられる一方、


平坦に振られる一方、


平坦に塗られた赤い大地で結ばれている。


​​この作品により「総合主義」の絵画を確立するオーケー


この絵には、印象派の細かな筆触は見られない!!


形態は輪郭線で囲まれて単純化され、


色彩も平坦な面として扱われているのだ。


印象主義の分析的な傾向とは異なる、


形態と色彩の総合主義を見ることができる。


このような絵画を形成する上で、


彼が日本の浮世絵から示唆を得たことは間違いない。


また若いベルナールが、同じ特徴を持った


絵画を描いていたことも重要な契機となった。


一方、ブルターニュ地方では・・・


古くから「パルドン祭り」と呼ばれる


宗教儀礼が続けられてきた。


この祭りは農耕生活と結びつき、


この地に生きる人々の拠り所となっていた。


またソバを栽培する地域が多かったが、


夏にソバが実り茎が赤く染まると、


人々は、収穫を前に感謝の祈りを捧げる。


ゴーギャンは信仰に根ざした当地の人々の営みに惹かれ、


素朴な心を描こうという眼に見えない世界は、


眼に見えるものを通して描かれている。


ゴーギャンのいう「総合」とは・・・


形態と色彩の総合であるだけではなく、


現実世界と内なる世界の総合だったのである。


緑ハート​​ゴーギャンの手紙緑ハート

「私の​​最近の作品は好調だ。

 君はそこに独特の傾向、

 むしろ、

 これまで私が探求してきたことの確立と、

 形態と色彩の総合を見出すだろう。」

 (1888年8月 ポン=タヴェンシュネッケル宛て)



「私は人物に、素朴で、

 迷信を信じるような、

 偉大な単純さを表現できたように思う。

 全体は極めて厳しい。

 私にとって、

 この絵に描かれている風景と

(ヤコブの天使の)闘いは、

 説教のあとで祈る人々の

 想像の中にだけ存在する。」


(1888年9〜10月頃 ポン=タヴェン ファン・ゴッホ宛て)


緑ハート​​総合主義・・・とは?緑ハート
​(サンテティスム)​​​


ゴーギャンが1888年に確立した絵画。


翌年には、ゴーギャンたちによって


「印象主義者と総合主義者」の展覧会が開かれ、
(実際は総合主義のみ)

この語が掲げられる。


1880年代後半から、


芸術全体の主流となってゆく


象徴主義の一翼を担うものだった。


象徴主義とゴーギャンの絵画を最初に結びつけたのは、


詩人:アルベール・オーリエの批評下向き矢印

「人間の野生の楽園的な幸福の中に


 〈詩〉の謎を明らかにする。

 またこの作品は〈夢〉や〈神秘〉、

 素朴なものたちの手によってのみ

 掲げられる象徴的な帆の魅力を解き明かす。」


緑ハート​​​象徴主義・・・とは?​​​緑ハート
(サンボリスム)

1880年代​後半に台頭した芸術全般に及ぶ動きで、


眼に見えない内的な世界(神秘や観念など)を


表現することを目指した。


本来は、文学の運動であり、


モレアスの「象徴主義宣言」


1886年『フィガロ』に始まり、


マラルメらによって推し進められる。


美術では、ゴーギャンとその周辺、


文学的な主題を好んだモローやシャヴァンヌ 、


さらにルドンなど、多様な広がりの中に展開。


象徴主義に対するゴーギャンの考えは、


晩年の手紙に示される下向き矢印

「ピュヴィが絵に〈純潔〉という題をつける場合、

 彼はそれを説明するために、

 手に百合を持ったひとりの処女を描くに違いない。

 ありふれた象徴だから、

 誰にでもわかるのだ。

 ゴーギャンが〈純潔〉という題名で描くとすると、

 清らかな水の流れのある風景と、

 文明の汚れのないひとりの人物を描くだろう」

  ​(1901年7月 モーリス宛ての手紙)​

(参考資料:東京美術もっと知りたいゴーギャンより)
(写真撮影:ほしのきらり。)

ゴーギャンにおとめ座ぽち右矢印にほんブログ村 旅行ブログ 世界遺産へ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021.03.08 00:10:08
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ

利用規約に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、こちらをご確認ください。



© Rakuten Group, Inc.