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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2021.03.28
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ゴーギャンが死を決意して描いた人生の集大成とも言える作品です。この長い題名は・・・・オランダの「夜警」以来ですうっしっし


緑ハート​ゴーギャンの遺言とは?​緑ハート



『我々はどこから来たのか?我々は何者か?我々はどこへ行くのか?』1897年頃

油彩 つなぎ目だらけの麻布 139.0cmx375cm

【第二次タヒチ時代】

ボストン「ボストン美術館」所蔵。

ポール・ゴーギャン
​Paul Gauguin​

​1848年6月7日〜1903年5月8日(54歳没)


1898年、死を考えたゴーギャンは、ひとつの大作を描く。


彼の代表作として知られる


『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』


であるグッド作品を完成させたのち、


彼は、ヒ素で自殺を試みるが、未遂に終わる涙ぽろり


彼は、このような経緯を手紙に詳しく述べている。


緑ハート​​ゴーギャンの手紙​​緑ハート


「あなたに言っておかなければならないが、

 私は12月に死ぬつもりだった。

 死ぬ前に、

 ずっと考えていた大作を描こうと思った。

 1ヶ月の間、昼も夜も、

 これまでにない情熱をこめて制作した。

(・・・)右下に、眠っている赤ん坊と、

 座った二人の人間が、

 それぞれの考えを語り合っている。

 傍らに座る人物が

(遠近法を無視して、わざと大きく描いた)、

 腕を挙げて、驚いた様子で、

 この自分たちの運命に

 思いを寄せる
二人を眺めている。

 中央の人物は、果物を採っており、

 ひとりの子供のそばに二匹の猫がいる。

 それに白い牝山羊。

 偶像は神秘的に、律動的に腕を挙げ、

 彼方を指し示しているように見える。

 座った人物は、

 偶像の言葉に耳を傾けているようだ。

 最後に、死が近いひとりの老婆が、

 運命を受け入れ、

 諦めているように見える。」

 (1898年2月 タヒチ モンフレー宛)

 

当時のゴーギャンには、苦難と失意しょんぼり


(とくに長女:アリーヌ の20歳での死)が続いた。


彼が、死を考え始めていたことは、


他の手紙にもうかがえる。ただ、


制作については、精密な下絵が残されており、


「準備なしに」「一気に描いた」わけではない。


むしろ、死を前にして、


「ずっと考えていた」構想を実現したのだと考えられる。


彼が、この大作を「遺書」として描いたという見方、


(あるいは伝説)には疑問も投げかけられている。


しかし、死を意識したゴーギャンが、


自らの芸術の集大成として制作したことは間違いない。



大作の要となるのは画面中央上向き矢印手を挙げて上向き矢印


果物を採るひとりの人物である。


この人物は、知恵の樹の実を採る「イヴ」。


さらに・・・「アダム」に重なる。


このポーズも何度か描かれています。


右側は、誕生「生」のはじまりですね下向き矢印


一方、画面右下には「赤ん坊」上向き矢印右横に「犬」の姿上向き矢印


左下に「老婆」の姿下向き矢印


画中央りんご果物を食べる少年が描かれている上向き矢印


(ゴーギャン自身の少年期であるとも推察)一番幸せだった思い出とも。


ゴーギャンは、中央・右・左という


重要な三つの部分によって、


「人間』の歴史の始まり(「楽園」の喪失)、


そして誕生から死への歩みを暗示している。


だが、この構成は単なる「死」の提示で終わるのだろうか?


(誕生から、死への歩みは、

 一般の西洋絵画とは異なり絵巻物のように右から左へ展開)


ゴーギャンは、ファン・ゴッホの死に際して・・・

「彼が他の命に生まれかわるとしたら、

 前世で善業が報われるだろう(仏陀の教えによって)」

と記していた。


ルドン宛の手紙には・・・

「タヒチでは、その死に、花とともに

 再生する根がついているに違いありません」

という文章が見られる。


また「ノア・ノア」では・・・


タヒチの古代信仰をインドの輪廻説に関連づけている。


大作では、画面左奥の偶像の顔立ちが


月に女神のヒナ(再生の力を持つ)に似ている。


さらに老婆のそばに座る女性が示す


野生の力強さ(太い腕が大地と垂直に交差)。


ゴーギャンが、輪廻思想をどれだけ知っていたかは別にして、


画面には原初の自然に根ざした​「再生」​への願いがうかがわれる。


そして画面左上に記された・・・


「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」


という言葉。


​この「問い」については・・・​


ブルターニュ時代の絵に描かれた「衣服哲学」などとの関連が考えられる。


当時、ゴーギャンは・・・


​「この広大無辺な想像の中で、人間とは何か」​


と自らに問いかけていた。


また、大作の言葉については、


​「皆の話す言葉に訳したが、それは題名というより、署名なのです」​


と述べている。(1899年3月 フォンテナ宛)。


この「問い」は・・・


ゴーギャンの芸術全体を貫くものだったのであるグッド


左上に記された著名下向き矢印


Dov Venons Nous
我々はどこから来たのか

Jue Sommes Naus
我々は何者か

Ou Allons Neus
我々はどこへ行くのか




大作に描かれた(部分)は上向き矢印


以前に描かれた作品から下向き矢印起用されている。

『ヴァイルマティ』1897年


マオリの古い神話からヒントを得てヒロインの「ヴァイルマティ」を描いた。


肉体が金色に輝き、太い腕を垂直につくポーズ。


「白い鳥」と「トカゲ」も大作に描かれています。


「白い鳥」は、直前に亡くなった娘の化身なのでしょうか?


「トカゲ」と「白い鳥」の解釈は、様々な憶測がありますが・・・


言葉では、理解されない、言葉を超えた、


言葉の虚しさを意味する『神秘の象徴』として描かれたとされています。


「偶像」もかなりの頻度で登場しています下向き矢印

『ラヴェ・テ・ヒティ・ラム(偶像)』1898年


「​​偶像」についてゴーギャンが​​こう記しています。


緑ハート​​ゴーギャンの手紙​​緑ハート


「小屋の前で自然とともにあるとき、

 私の夢想の中に姿を現したもので、

〈私たちのプリミティヴな魂〉を支配しています。

 起源と未来の神秘を前にして、

 私たちの苦悩が漠然として

 理解しがたいものを含んでおり、

 このような苦しみの慰めとなるものです。」

 (1899年3月 フォンテナ宛)


ゴーギャンが「死」を意識した頃に登場する下向き矢印

『テ・パペ・ナヴェ・ナヴェ(おいしい水)』1898年


青に塗られ両手を挙げたた偶像をゴーギャンは、


「偶像の言葉に耳を傾けているようだ」と記している。


「両腕を挙げて進むべき方角を示している」


とゴーギャンの手紙の説明にあるが


偶像は、悩みを聞いてくれる存在?


偶像は、仏陀のイメージなのでしょうか?


「死の使い」なのでしょうか?


ゴーギャンの問いは、答えが無いように思えます。


(参考資料:東京美術もっと知りたいゴーギャンより)
(写真撮影:ほしのきらり。)

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最終更新日  2021.03.28 00:10:09
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