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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2021.05.07
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​アンリ・マティスは1930年頃からアクティブ・シニアとなって世界を飛び回って個展を開き仕事に駆け回りますスマイル


赤ハート​​マティスの装飾的な仕事​​赤ハート

Henri Matisse

Tiari 1930


アンリ・マティス
​Henri Matisse​

1869年12月31日〜1954年11月3日(84歳没)


1930年(61歳2月​ ベルリンで回顧展。

 アメリカに旅行。タヒチに滞在を経て

 ​7月​ ニースに戻る。再び渡米し、

 バーンズ博士から壁画の依頼を受ける。

 ​年末​ 3度目の渡米。


1931年(62歳)​パリ・ベーゼル・ニューヨークで回顧展。


1932年(63歳​挿絵の仕事。


『マラルメ詩集』に29枚の挿絵を制作。


1933年(64歳)​病気がちのマティス夫人の付き添いとして

 リディア・デレクトルスカヤが雇われる。

 彼女は、バーンズの壁画制作から助手として雇われ、

 のちにはモデルも務める。


1934年(65歳​挿絵の仕事。


ジョイス『ユリシーズ』のために挿絵を制作。

 翌年、出版。


1937年(68歳)​舞台装飾と衣装制作の仕事。

 バレエ・リュス・ド・モンテ・カルロの

 『赤と黒』の舞台装飾と衣装を制作(1939年に上演)。


1938年(69歳)​ニース郊外シミエのオテル・レジナに居を移す。

 ロックフェラー邸装飾画を制作。

四つ葉〜〜四つ葉〜〜四つ葉〜〜四つ葉〜〜四つ葉


​1930年​ マティスはアメリカを経由してタヒチに旅行する船


ニューヨークに魅了され目がハート列車で西海岸を訪れた後、


向かったタヒチでは・・・


サンゴ礁や自然の中で写真を撮り、


少なからぬデッサンを行なったが、


小品の油彩スケッチ1点を除けば、


本格的な制作はしていない。


『タヒチの窓II』1935年​

グアッシュ カンヴァス 240.0cmx195cm

ル・カトー=カンブレジ「マティス美術館」


タピストリーの革新に寄与したマリー・クトーリは、


現代芸術家の下絵を積極的に用い


マティスに下絵を依頼した。


マティスは「マラルメ詩集」にも用いたタヒチの情景に


花模様の緑を付した油彩を制作する。


タピストリーの出来に不満足だったマティスは、


色調を変え、平塗りを強調したこの作品を制作するが


これは結局タピストリーとしては制作されなかった。


この時の旅の記憶は・・・


帰国直後の『ティアレ』1930年と題する彫刻や

​​​​​​​​​​​​​​​​​​
『マラルメ詩集』の挿絵


​その後のタピストリーの下絵などを除けば、


主に晩年の切り紙絵の中で豊かに開花することになる。


(参考資料:東京書籍もっと知りたいマティスより)

(写真撮影:ほしのきらり。)​

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最終更新日  2021.05.07 00:10:09
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