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カテゴリ:美術館・博物館
パブロ・ピカソ青年期に描かれた青い画面は、どんな意味があったのでしょう〜ねピカソの「青」についてさらに深く掘り下げてみましょう
ピカソの「青」を分析する パリ・モンマルトルにて Pablo Picasso パブロ・ピカソ 1881年10月25日〜1973年4月8日(91歳没) 気になるピカソの噂・・・とは? 「ちょっとばかり背は低いけれど、 めっぽう絵が上手い 若い絵描きがいるらしい? 興がのってくると 夜通し描きまくるスペイン男。 たしか、ピカソとかいう・・・ 変わった名前だった。 妙に気になる絵を描くんだそうだ、 そいつ。 そのうちに画商なんてついたら 大バケするかもしれないな」 したり顔で語る男にとっても、 今しがた酒場で小耳にはさんだ話のようだ。 「ほう〜冷やかし半分、そのうちのぞいてみるさ」 聞いていた男は、そんなふうに言葉を返した。 ヤマっけたっぷりの目利きたちが、 20世紀の幕開きに跋扈する街、パリ。 モンマルトルの裏通りで、 当時こんな会話が交わされたかも知れない。 とはいえ、 やがてピカソの毒気に 骨の髄までしびれる事になる 前衛文化の騎士たちが、 一人、二人とモンマルトルの丘へ 「ピカソ詣で」にやってくるのは・・・ まだもう少しあとのことだ。 ピカソへの衝撃的な恋に落ちる前、 「青の時代」の作品をかいま見た『20世紀』は、 まだ恋と名付けられぬ 漠としたドキドキ感を覚えたのに違いない。 青臭いような・・・ それでいて妙に大人っぽく 目覚めているピカソの初期作品、 それがどれほどのものかを判断できなくても、 ひと目見ただけで気になりはじめる。 そして、くすぐったい思いが広がっていく、 わからないまま「気になる」存在。 ふと気がつくと・・・ 相手のことをぼんやり考えていたり、 いつの間にか目がその姿を追いかけていたり。 そばにいるだけで楽しくなったり、 恋は、いつだってこうして始まるのだ。 20世紀にアーティストであれば・・・ 誰だって策略家の顔をもってるけれど、 では・・・若いピカソは 『20世紀』の歓心を買うために、 どんな策略を用いたというのだろう。 それを考える前に、 「青の時代」の「青」についてひとつ整理しておきたい。 ピカソの「青の時代」を「憂鬱な絵の時間」とみることについてだ!! もちろん、 1901年、ピカソ(21歳の時)に・・・ 親友:カサジェマスが自殺したことを 描き出しているとみることに異存はない。 けれど、この場合、 青に「ブルー」 すなわち「憂鬱な」という言葉を重ねるために、 絵の文学的な解釈が 勝りすぎてはいないかと私は時々思う。 「ブルーな気分」「青ざめる」とかの 言葉でわかるように、 落ち込んだ精神状態と青とを結びつければ、 「青の時代」は・・・ 「憂鬱な絵の時代」という理解になる。 社会の底辺を生きる打ちひしがれた 人々の姿が題材なのだから、 「虚飾のない実存を描き出した」とか、 「生きることの孤独そのものだ」とかの 文学的イメージを重ね、 画家がすこぶる精神性の高い作品を 描いたと思い込んでしまう。 けれど・・・ こと中世以降の西欧絵画の伝統で、 「青」が負の精神性のイメージと結びついた例は少ない。 ピカソは・・・ それまでの人々が抱いた従来の青のイメージにのせて、 打ちひしがれた人々の姿を絵にした。 だから「青の時代」を見る者は・・・ 悲しみの画面に気品を感じてしまうのだ。 ピカソの「青」の登場は・・・ 当時の人にとってやたら「気になる」者だったに違いない。 青による陰、 青によるボリューム。 「当時は青の絵具がいちばん安かったから」 と画家が青を多用したわけを 推測することもできるが、 どうやらそんな単純な動機ではないような気がする。 忘れてならないのは・・・ ピカソは画家としての資質のほかに、 他人の弱みを押さえる 生まれもっての才能があったということ。 画家としてスタートしたピカソが・・・ この才能で策略を巡らさなかったはずがない。 「高貴な青」という 人々のイメージのツボを逆手にとり、 「底辺で打ちひしがれて生きる者たち」 という卑近な題材に青色を用いることで 作品を気になる存在に仕立て上げる。 「青」は画家の最初の策略だったのだ。 しかし、 そんなことをわかってもわからなくても、 ピカソの絵の前に立てば、 静けさをたたえた青に圧倒されてしまうのは、 私だけではないだろう。 描かれた女や男、 母や子の姿から匂い立つ濃密な青に、 いつの間にか心がひりひりしてくる。 ピカソの「青の時代」の魅力は・・・ 絵の前を離れてなお描かれた者の姿が 視線の先にしっかりと像を結び、 心を叩きつける造形の力なのだ。 ちょっと別の例に置き換えてみれば・・・ 恋人との喧嘩のあと、 言い争った理由そのものは忘れているのに、 真っ赤になった相手の顔をつたう ひと粒の涙の瞬間だけが 繰り返し思い出されるのに似ている。 長い時間が経ち、 描かれた者たちの姿や 形すら思い出せぬのに、 いつまでも目の奥にとどまり 心をさわさわと揺さぶり続ける。 それがピカソの青の力なのだ。 かくして『20世紀』は、 ピカソの青に惹かれ、 「気になる」存在として意識しはじめる。 ところが・・・ 子どもはひとつのおもちゃに飽きてしまうと 別のおもちゃが欲しくなる。 ピカソは、大人と子どもを内に抱え、 芸術をも人生をもゲームのように遊んでいたかもしれない。 青春時代を過ごしたバルセロナを捨て、 パリに移り住み、 同棲相手:フェルナンドを手に入れることによって、 ピカソは・・・ 「バラ色の時代」という新しいゲームに突入していく。 ピカソの青が気にかかっていた『20世紀』は、 「青はどこに行ってしまった」と その変貌ぶりに驚きながら、 黙って眺めつづけることしかできなかった。 もちろん驚くような予想外の展開は、 まっしぐらに落ちていく恋の媚薬でもある。 (参考資料:小学館・ピカソ描かれた恋より) (写真撮影:ほしのきらり) ピカソにぽち お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.06.21 00:10:07
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