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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

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2021.06.22
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​パブロ・ピカソ19歳〜23歳までは、スペインとフランスを何度も行き来したのちにパリに落ち着きますスマイル

みずがめ座​​​青の時代からバラ色の時代へ​​​みずがめ座

Pablo Ruiz Picasso


Pablo Picasso

​​​パブロ・ピカソ​​​


​​​​1881年10月25日〜1973年4月8日(91歳没)

​1900年〜1904年​

ピカソは休みなく移動した。

この4年間に彼は、

8度、ピレネー山脈を越えた。


​1904年4月、​ついに彼は決意した。

パリを選んだのだ!!


彼は、モンマルトルの​「洗濯船」​

ラトー・ラヴォワールと呼ばれる建物に居を定めた。


それは、ボロボロの奇妙な構造の建物だったが、

パリのボヘミアン生活の中心だった。


それから何ヶ月の間は、

ピカソはまだ青の世界にいた。


「フランス滞在が延びるにつれ、

 ピカソはフランス的な陽気さにひかれ、

 心奪われた。

 彼はバラ色で描き、

 これをバラ色の時代と呼んだ」

と、ガートルード・スタインは説明している。


1904年の暮れ頃、​

わざとらしくよじれた『役者』のシルエットが、

バラ色の時代の幕を開いた。

「本当を言えば、

 その時代にも青はあった。

 でもそこには、

 青よりバラ色の特徴の方が強かった」

と、ガードルード・スタインは続けている。


実のところ、

このフランス的な陽気さには、

フェルナンドという名前がついていた。


『役者』と同じ時期に描いた

バラ色の色調の水彩画の中で、


ピカソは、眠っている美女、

「フェルナンド・オリヴィエ」をみつめる

青い服をきた自分の姿を表している。

二人とも22歳だった。


まもなく彼女は、ピカソと一緒に住むようになる。


ピカソは、フェルナンドをとても愛していて、

繰り返し彼女をモデルに描いている。


その後も同じように、

彼の愛した女たちのひとりが、

彼の作品に大きな影響をおとすことになる。


女たちは、ある時は

目のさめるような存在感で現れることもあれば、

ただ記号として現されることもある。


ピカソは・・・

彼女たちを観察し、

特徴を記録し、

気分の変化に一喜一憂する。


​洗濯船のアトリエは・・・​

リンシード油のペトロール油の匂いがした。

何十枚という画布が、

壁に重ねて立てかけられていた。

「部屋の隅には、

 4本脚の簡易ベッド、

 錆だらけの小さな鋳物のストーブには、

 黄色の陶器の洗面器・・・

 ワラを編んだ椅子、

 さまざまな寸法のイーゼル、

 床に散らばった絵具のチューブ、

 テレピン油を入れた容器、

 銅板を腐食させるための洗面器・・・」。

フェルナンド・オリヴィエがこのように語っている無秩序は、

ピカソには、いつも必要なものだったようである。


ずっと後になって、

ブラッサイもまたこう証言している。

「絵具の壺、

 床に直に投げ出された絵筆、

 またピカソがその熱中した指で

 激しく押しひしゃげ、

 ねじ曲げ、

 しぼり出したままの形が

 ころがっている絵具のチューブ・・・

 前夜、描いた画布も、

 まだその場に壁に立てかけたままの姿で立っていた。

 ・・・便利さなど気にもかけず、

 彼はこのアトリエで

 イーゼルからまったく離れて、

 身体を二つ折りにし、

 時には床に座り込んで、

 どこにも、どんな置き方でもかまわず、

 画布を置いて制作していた」。

(参考資料:岩波・世界の巨匠ピカソより)
(写真撮影:ほしのきらり)



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最終更新日  2021.06.22 00:10:06
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