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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

2021.06.24
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​パブロ・ピカソの生誕〜23歳頃までをザックリ分かりやすく復習してみましょう〜音符今からでも付いてきて下さい手書きハート

みずがめ座​​ブロ・ピカソ・おさらい誕生〜青年期​​​​みずがめ座

Pablo Ruiz Picasso

The Fourteenth of July (Le quatorze juillet)1901


パブロ・ルイス・ピカソ
​Pablo Ruiz Picasso​

1881年10月25日〜1973年4月8日(91歳没)

​1881年10月25日、​

ピカソはスペイン南部の

アンダルシア地方マラガに、

美術教師を父にして生まれました。


ほんとうなら父方の

「パブロ・ルイス」と名乗るはずですが

とても平凡な名前なので・・・


少し珍しい母方の「ピカソ」という名字を使って

​「パブロ・ピカソ」と名乗ります。​


ふたりの妹を含め、

たくさんの親戚の女性たちに囲まれて

ピカソは育ったようです。


​14歳の時、​​

職を求める父親とともに一家は、

東部の大都会バルセロナに引っ越しました。


​この町でピカソは・・・​

美術学校に入ることになりますが、

絵を描くことに夢中だった彼は、

他の学科には真剣に取り組まず

「カタルーニヤ地方の独立」を求める風にも吹かれて、

自由気ままに育ちます。


​10代半ばのピカソの絵を見て・・・​

父親は、以降絵を描かなくなったという

逸話が残っているほど、

彼は完璧な描写力をすでに身につけていたのでした。


​18歳で・・・​

マドリッドの王立美術学校アカデミーに入学しましたが、

教授たちを信用せず、

またたくまに登校を拒否して、


​バルセロナに戻り、​

文化人のたまり場だったカフェ「四匹の猫」で、

初の個展を開いたりします。


しかし、

ここも自分の居場所ではないと感じると、

フランスに目を向け、

新しい世紀を迎えようとしている

​1900年のパリに出ました。​


ここからの数年間、

パリとバルセロナを行き来するようになるのですが、


一緒にパリに出た

親友:カサジェマスが恋のもつれから、

1901年に自殺してしまうという事件にショックを受け、


ピカソは・・・

しばらく青色で画面を埋め尽くす作品を制作します。

この時期を一般に「青色の時代」と呼びます。​


絵の対象となったのは、

社会底辺の虐げられた人々であり、

彼らの姿にみずからを重ねたといわれています。


​1904年以降はパリに移り住み、​

貧しいなかで制作活動を続けながら、

認めてくれる友人知人を増やしていきます。


なかでも、

フェルナンドという女性と暮らし始めたことで、

ピカソは精神的に安定し、画面は・・・

​青色からバラ色に変化し力強さを帯びていきました。​


(参考資料:小学館、ピカソ描かれた恋より)
(写真撮影:ほしのきらり)

さぁ〜ここまでピカソのお話をザックリ理解できたところで
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最終更新日  2021.06.24 00:10:06
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