5231751 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

「きらりの旅日記」

PR

X

カレンダー

プロフィール


ほしのきらり。

2021.07.25
XML
カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​パブロ・ピカソは、91年の生涯でヨーロッパ各地に住み活動しています。年譜とともにその軌跡を(赤文字で)たどってみましたスマイル

Pablo Ruiz Picasso

​​​『小鳥をくわえる猫』1939年​​


みずがめ座​​ピカソと旅心​​みずがめ座

​​​1881年10月25日(0歳)誕生。​​​

スペイン南部の町「マラガ」
1881年10月25日〜1891年10月在住。

父は・・・

画家で美術学校の教師:ホセ・ルイス・ブラスコ

母は・・・マリア・ピカソ・イ・ロペス

スペイン南部のアンダルシア地方のマラガで

一家の長男として生まれる。


1884年(3歳)​妹:ローラ(ドーロレス)誕生。


1886年(5歳​第8回最後の『印象派展』が開催。


1887年(6歳)​妹:コンチータ(コンセプシオン)誕生。


1890年(9歳)​7月29日、ゴッホが

オーヴェール=シュル=オワーズで死去。


1891年秋(10歳)​
スペイン北西部「ア・コールニャ」
1891年10月〜1895年在住。

父の転勤に伴い一家で、

スペイン北西部:ア・コールニャに引っ越す。

ゴーギャンは、タヒチに旅立つ。


1892年(11歳)​ア・コールニャ美術学校

(通称:ダ・グアルダ)に父の申請で特別に入学を許可される。


1894年(13歳)​日清戦争勃発。

年期に入った初めての油絵作品を制作。


​​1895年(14歳)​
スペイン東部「バルセロナ」
1895年〜1904年滞在。

父の転勤に伴い一家で

バルセロナに転勤し、

「ラ・リョッジャ美術学校」入学。

妹:コンチータがジフテリアで亡くなる。


1896年(15歳)​『初聖体拝領』を描き

バルセロナの美術工芸展に出品。
​​​​​​​​​​​
スペイン中央部「マドリッド」
1897年10月〜1898年5月滞在。

1897年秋(16歳)​マドリッドの王立

「サン・フェルナンド美術アカデミー」入学。​


1898年(17歳)​バルセロナに戻る。

友人:パリャーレスを頼って、

オルタ・デ・エプロ(現在:オルタ・ダ・サン・ジュアン)滞在。

米西戦争。​


1899年(18歳)​バルセロナ

この頃からビアホールの

アルス・クアトラ・ガッツ「四匹の猫」に足繁く通い

前衛芸術家たちと交流を深める。​

1900年(19歳​バルセロナ

「四匹の猫」アルス・クアトラ・ガッツで

2度の展覧会を開く。

親友:カサジェマスと初めてのパリ滞在。

画商:マニヤックと知り合い、絵画と引き換えに

月額150フランを受け取る契約を結ぶ。

​12月、​カサジェマスとともにバルセロナに戻り

マラガへ旅立つ。

フランス「パリ」
1900年10月〜12月滞在。

1901年(20歳​
スペイン中央部「マドリッド」
1901年1月〜1899年2月滞在。

マドリッドで

前衛雑誌「アルテ・ホベン(若い芸術)」の

美術編集者とイラストレーターを務める。

パリで、カジェマスが自殺する。

​5月、​2度目のパリ滞在が始まる。

パリ「ヴォラール画廊」でパリにおける初めての

イトゥリーノとの二人展を開催。

マックス・ジャコブと知り合う。

フランス「パリ」
1901年6月〜12月滞在。

​秋〜冬青の時代」が始まる(1901年〜1904年)

9月9日、ロートレック死去。


1902年(21歳​​1月、​バルセロナに戻り

再び「四匹の猫」に通う。

​10月​から​​3度目のパリ滞在。

パリで、詩人:マックス・ジャコブと同居。

フランス「パリ」
1902年10月〜1903年1月滞在。

​​1903年(22歳1月、​​バルセロナに戻る。

『人生』を製作。

「四匹の猫」アルス・クアトラ・ガッツが閉店。

5月8日、ゴーギャン死去。

ライト兄弟が初の飛行機に成功。


​​1904年(23歳)​​​パリに赴く。
フランス「パリ」
1904年4月〜1954年居住。

​​
モンマルトルのラヴィニャン通り13番地

「洗濯船」に住む。

詩人:アポリネールや、サルモンらと知り合う。

ハート(手書き)フェルナンド・オリヴィエ(23歳)と出会い恋人となるハート(手書き)

日露戦争勃発。


1905年(24歳​パリ

アメリカ人コレクター:スタイン兄妹と知り合う。

オランダ旅行。

サロン・ドートンヌにフォーグ登場。

バラ色の時代」始まる(1905年〜1906年末​​


1906年(25歳​パリ

ルーヴル美術館のイベリア彫刻の展覧会に感銘を受ける。

アンリ・マティスやアンドレ・ドランと知り合う。

画商:ボラールが作品を多数購入。

恋人:フェルナンドとバルセロナの両親を訪ねる。

ピレーネ山脈南部の小村ゴスルに滞在。

10月23日、セザンヌ死去。


1907年(26歳)​

3月〜4月『アヴィニョンの娘たち』製作開始。

アポリネールの紹介でブラックと知り合い

キュビスムの探求に向かう。

セザンヌ回顧展。

パリ、トロカデロの民族博物館でアフリカの彫刻とか面を見る。


1908年(27歳)​

アンリ・ルソーを称える晩餐会がピカソのアトリエで開かれる。


1909年(28歳)​

ブラックとともに製作する。

セザンヌ的作風」から「分析的キュビスム」が始まる。

のヴァカンスをオルタ・デ・エブロ

(現:オルタ・ダ・サン・ジュアン)で過ごす。

クリンシー通りに引っ越す。


1910年(29歳)​カダケスで夏のヴァカンスを過ごす。


1911年(30歳)​ハート(手書き)エヴァ(27歳)と知り合うハート(手書き)


1912年(31歳)​初めてのコラージュ作品を製作。

ラスパイユ大通りに転居する。

カーンワイラーと契約を結ぶ。

​​​総合的キュビスム」へ移行​​


1913年(32歳)​父:ホセが死去。

総合的キュビスム」が始まる。

シェシュール通りに引っ越す。

アポリネール『キュビスムの画家たち』出版。


1914年(33歳)​

投資家グループ、ポー・ド・ルルス

「熊の皮」のコレクション競売にかけられる。

フランス南部「タラスコン、アヴィニヨン」
1914年6月〜10月?

6月、ブラック、ドランとともにアヴィニョンに滞在。

7月28日、第一次世界大戦勃発。

ブラックとの共同生活に終止符が打たれる。


1915年(34歳)​ハート(手書き)恋人「エヴァ」が、早生。

詩人:ジャン・コクトーと知り合う。


1916年(35歳)​モンジュールへ引っ越す。

ジャン・コクトーの紹介で

ロシア・バレエ団のディアギレフと知り合う。

作曲家:サティと知り合う。

8月、バレエ『バラード』への参加を承諾。


1917年(36歳
スペイン「バルセロナ」
1917年1月、滞在。

イタリア旅行

「ローマ、ナポリ、ポンペイ、フィレンツェ、ミラノ」
1917年2月〜4月滞在。

​​イタリア​に滞在。

2月〜5月『バラード』準備のためにローマに滞在。

ハート(手書き)オルガと出会うハート(手書き)

ロシア・バレエ『バラード』上演。

ロシアで10月革命が起こる。

スペイン「バルセロナ」滞在。
1917年6月〜11月


1918年(37歳)​パリ

ポール・ギョーム画廊で「マティスとピカソ展」開催。

バレエ団の踊り子で

ハート(手書き)ロシアの将軍の娘「オルガ」と結婚ハート(手書き)

ポエシー街に転居。

11月9日、アポリネール死去。

スペイン南東部「ピアリッツ」
1918年7月〜9月滞在。

1919年(38歳)​ヴァルサイユ条約調印。
イギリス「ロンドン」
1919年5月〜夏滞在。

フランス南部・プロヴァンス「サン=ラファエル」
1919年夏滞在。

12月3日、ルノワール死去。

フランス南部・プロヴァンス「ジュアン=レ=バン」
1920年6月〜9月滞在。

1921年(40歳)​息子「パウロ」誕生。
フランス「フォンテーヌブロー」
1921年夏滞在。

夏、フォンテーヌブローで、

新古典様式の作品やキュビスムの作品を製作。

フランス西部「ディナール」
1922年6月〜9月滞在。

1923年(42歳)夏、​アンティープで製作。
フランス・プロヴァンス「アンティーブ岬」
1923年夏滞在。

1924年(43歳)​「シュルレアリスム革命」誌創刊。


​​1925年(44歳)​
フランス南部・プロヴァンス「モンテ=カルロ」
1925年3月〜5月滞在。

フランス南部・プロヴァンス「ジュアン=レ=バン」
1925年夏滞在。

​​
新古典的な様式から次第に離れてゆく。

11月、
第1回『シュルレアリスム展』に

キュビスム様式の作品が出品される。


1926年(45歳)春、​様々な素材による「ギター」の連作開始。


1927年(46歳)​ハート(手書き)17歳の「マリー・テレーズ」と出会う​​​​​​​ハート(手書き)

ファン・グリス死去。

秋〜冬、バルザックの「知られざる傑作」のために

エッチングを製作。


1928年(47歳)​初めて「ミノタウロス」を主題として取り上げる。


1929年(48歳)​友人:バタイユが前衛雑誌「ドキュマン」創刊。


1930年(49歳)​『磔刑』が制作される。

パリ北西:ボアジュールに彫刻のアトリエを構える。

『安楽椅子に座るオルガの肖像』でカーネギー賞を受賞。


1931年(50歳)春、​ボワルジューで彫刻を制作。

夏、ジュアン・レ・パンで制作。


1932年(51歳)​​​​​​​​​​​​​​ハート(手書き)マリー・テレーズをモデルに絵画を制作。

ゼルヴォスによるピカソ総作品集が出版され始める(〜1978年)

パリ:ジョルジュ・プティ画廊でピカソが作品を選び

236点の作品による展示構成で大回顧展を開催する。


1933年(52歳)​ボワジュールで制作『闘牛』のテーマが復活。

美術雑誌「ミノトール」が創刊され

創刊号の表紙をピカソのコラージュ『ミノタウロス』が飾る。

フェルナンド・オリヴィエ『ピカソとその友人たち』出版

ヒトラー内閣発足


1934年(53歳)8月末〜​スペイン各地を旅行。

ピカソにとって最後のスペイン滞在となる。

バルセロナ:カタルーニヤ美術館訪れる。


1935年(54歳)​​​​​​​失恋オルガ、家を出る。

マリー・テレーズとの娘「マイヤ」生まれる。

詩作に没頭。


1936年(55歳)​スペイン内戦勃発。

プラド美術館の名誉館長に任命される。


1937年(56歳)4月、​ドイツによるゲルニカ爆撃。

銅版画『フランコの夢と嘘』の一部と詩を制作。

『ゲルニカ』の制作開始。

7月、パリ万博のスペイン共和国館で『ゲルニカ』公開。


1938年(57歳)​母、マリア死去。


1939年(58歳)​画商:ヴォラールが事故で急死。

第二次世界大戦勃発のため、大西洋の町ロワイヤンに移る。

ニューヨーク近代美術館で「ピカソ芸術の40年展」開催。

『ゲルニカ』がニューヨークに到着。


1940年(59歳)​ドイツ軍がパリに侵攻。
​​​​​​
秋〜冬、パリ、グラン・ゾーギュスタンのアトリエに移る。


1941年(60歳)​太平洋戦争勃発。

戯曲「尻尾をつかまれた欲望」を執筆(1944年出版)


1943年(62歳)​

ハート(手書き)画学生:フランソワーズ・ジロー(21歳)と出会うハート(手書き)


1944年(63歳)​共産党に入党。

マックス・ジャコブ、収容所で死去。

8月、パリ解放。

サロン・ドートンヌ(解放のサロン)で79点の作品を展示。

ハート(手書き)ジュヌヴィエーヴ・ラポルト(17歳)と出会うハート(手書き)


1945年(64歳)​第二次世界大戦終結。


1946年(65歳)​リトグラフの連作を制作。

アンティーヴの美術館からアトリエを提供され制作。

ハート(手書き)フランソワーズ・ジローと同居ハート(手書き)


1947年(66歳)​息子:クロード生まれる。

ヴァロリスで陶器の制作を開始。


1948年(67歳)​ポーランドでの平和会議に出席。

ポーランド共和国より受勲。


1949年(68歳)​娘:パロマ生まれる。

世界平和会議のポスターに『鳩』が採用される。


1949年(68歳)​娘:パロマ生まれる。

世界平和会議のポスターに『鳩』が採用される。


1950年(69歳)​朝鮮戦争勃発。

ヴァロリスの名誉市民に選ばれる。

レーニン平和賞受賞。

1950年(69歳)朝鮮戦争勃発。

1952年(71歳)​ヴァロリスの礼拝堂に『戦争と平和』を制作。


1953年(72歳ヴァロリスで「闘牛」をモティーフに陶器の連作。

ハート(手書き)ジャックリーヌ・ロッヌ(35歳)と知り合うハート(手書き)

​​​​​​​​失恋フランソワーズ・ジローと別居。


1954年(73歳)9月8日、​ドラン死去。

11月3日、マティス死去。

連作「アルジェの女たち」の製作開始。


1955年(74歳)​失恋妻:オルガ死去。

カンヌの「ラ・カリフォルニー」荘を購入し、

ハート(手書き)ジャックリーヌと暮らし始めるハート(手書き)

フランソワーズ・ジロー、リュック・シモンと結婚。

フランス南部・プロヴァンス「カンヌ」
1955年〜1961年滞在。

フランス南部・プロヴァンス「ヴァローリス」
1955年・1958年滞在。

1957年(76歳)​連作「ラス・メニーナス』に着手。


1958年(77歳)年頭​、パリの

ユネスコ本部の壁画『イカロスの失墜』完成。

エクサン・プロヴァンス近郊に引っ越す。


1959年(78歳)​連作『草上の昼食』に着手。


1960年(79歳)​ピカソの弁護士から、

フランソワーズ・ジローに結婚の申し出がある。


​1961年​(80歳ハート(手書き)ヴァロリスでジャックリーヌ・ロックと結婚ハート(手書き)

カンヌ近郊ムージャンの「ノートル・ダム・ド・ヴィ」に越す。

フランス南部・プロヴァンス「ムージャン」
1961年〜1973年死去するまで。

1962年(81歳)​連作「サビニの女たちの略奪」に着手。


1963年(82歳)​バルセロナに『ピカソ美術館』開館。


1965年(84歳)​パリで潰瘍の手術を受ける。

以後、パリには戻らず。
​​​​​​​​

1968年(87歳)​親友で秘書:サバルテスが死去。

追悼の意味を込め『ラス・メニーナス』連作を

バルセロナの「ピカソ美術館」に寄贈。


1970年(89歳)​モンマルトルの「洗濯船」火災で消失炎
​​​​​​​​​​​​​

1971年(90歳)​ルーヴル美術館のグランド・ギャラリーで作品展示。


1973年(91歳)4月8日、

ピカソ、カンヌ近郊ムージャンにて死去。


ヴォーヴナルグ城の敷地内に埋葬される。

孫息子:パブリート自殺。


1975年、ポール没。

1977年、マリー・テレーズ自殺。

1981年、『ゲルニカ』が、ニューヨーク近代美術館から

スペインに返還される。

1985年、パリに「国立ピカソ美術館」開館。

1986年、ジャクリーヌ自殺。


​​​​​​​みずがめ座・・・・みずがめ座・・・・みずがめ座・・・・みずがめ座


飛行機旅心がうずうずしますね〜スマイル

パブロ・ルイス・ピカソ
Pablo Ruiz Picasso



軌跡におとめ座ぽち右矢印にほんブログ村 旅行ブログ 世界遺産へ

​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​






最終更新日  2021.07.25 00:10:09
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.