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「きらりの旅日記」

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プロフィール


ほしのきらり。

2021.08.02
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​パブロ・ピカソは、どのようにして「シュルレアリスム」の作風に変わって行ったのでしょうか!?とっても知りたいです〜私スマイル

Pablo Picasso
​​​​Spanish,1881-1973

Girl before a Mirror 1932

『鏡の中の少女』1932年​

Oil on canvas  162.3cmx130.2cm

シュルレアリスム(超現実主義)の時代の代表作。


​​ニューヨーク近代美術館」所蔵。​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​


姿見の前に立つ若い女性を描いたもの。

実体と映像とが対比的なまま

合一的な画像となって捉えられている。

分節的に彩色され、背景も含めて全体が

色彩空間としてアラベスク風に構成されている。

パブロ・ピカソ
Pablo Picasso


みずがめ座ピカソ​『シュルレアリスム時代』​とは?​みずがめ座
1925年〜1936年(44歳〜55歳​​​)​

1925年(44歳)春、​モンテカルロを訪れる。​

夏、ジュアン=レ=パンに滞在。

6月、春先から描いていた『ダンス』完成。

旧友の画家:ラモン=ピチョット(1872年〜1925年)は、

3月1日に亡くなっているが『ダンス』の右画面には、

ピチョットの横顔が描かれており、

彼の死との関連が深い作品となっている。

11月、パリのピエール画廊で開かれた

「第1回・シュルレアリスム絵画展」に

キュビスム時代の作品を出品する。


1926年(45歳)​1月、美術評論家、編集者の

クリスチャン・ゼルヴォス(1889年〜1970年)が、

美術雑誌「カイエ・ダール」を創刊し、

ピカソとの生涯にわたる交流が始まる。

春、ギターを主題にした抽象的なコラージュの連作を制作。

6月、ポール・ローザンベール画廊で個展。

夏、例年のように、ジュアン=レ=パンで過ごす。

10月、バルセロナへ旅行。


1927年(46歳)1月、​パリのラファエット百貨店の前で

17歳の少女マリー=テレーズ・ヴァルテル(1909年〜1977年)に出会い

やがて愛し合うようになる。

7月、ポール・ローザンベール画廊で個展。

夏、カンヌで過ごす。

10月16日〜11月10日、ベルリン・フレヒトハイム画廊で個展。

12月27日〜翌年2月28日、パリ・ピエール画廊で個展。

アトリエをモティーフにした作品を制作。


1928年(47歳)ギリシア神話の

ミノタウロスをモティーフとした作品を描き始まる。

若い頃からのバルセロナ時代の友人で彫刻家の

ジュリ・ゴンザレス(1876年〜1942年)と旧交を温め、

しばらく手がけていなかった彫刻制作を再び始める。

夏、ディナール滞在。

ニューヨークのウィルデンスタイン画廊で素描展。


1929年(48歳)ゴンザレスのアトリエで彫刻を続ける。

夏、ディナールで過ごす。

攻撃的な女性像がたびたび描かれる。

(オルガとの結婚生活が破綻の危機に瀕している状態の反映)

秋、ニューヨーク近代美術館開館。


1930年(49歳)1月18日〜3月2日​

ニューヨーク近代美術館開館記念「パリの絵画展」開催。

14点の作品を出品する。

1月25日〜2月21日、ニューヨーク・ラインハルト画廊で

ドランと回顧展を開く。

3月、シカゴのアーツ・クラブで展覧会。

6月、パリ北西部ジソールに近いボワジュールに小さな城を購入。

夏、ジュアン=レ=パン滞在。

秋、​パリに戻り、マリー=テレーズ・ヴァルテルを

ラ・ボエシー通り44番地に住まわせる。

10月1日〜11月1日、ニューヨーク、ジョン・ベッカー画廊で個展。


1931年(50歳)1月、​

ニューヨーク、ヴァレンティン画廊「ピカソの抽象作品展」

4月、ロンドン、ルフェーヴル画廊「ピカソの30年」回顧展。

ボワージュ城をアトリエとして使用、彫刻制作に励む。

5月17日〜10月6日、ニューヨーク近代美術館で開かれた

「リリー・P・ブリスのコレクション展」に2点の作品を出品。

夏、ジュアン=レ=パンで過ごす。

マリー=テレーズをモデルにした彫刻や肖像画を制作。

オヴィディウス(前43-後17頃)の「変身​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​譚」版画集を

ローザンヌのアルベール・スキーラ(1904年〜1973年)刊行。

前年〜この年にかけて制作されたエッチングが30点含まれる。

アンボロワーズ・ヴォラール(1867年〜1939年)によって、

バルザック(1799年〜1850年)の「知られざる傑作」の版画集が出版。

ポール・ローザンベール画廊で個展。


1932年(51歳)1月5日〜27日、​マサセッツ州、

ケンブリッジのハーヴァード現代美術協会で、

「変身​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​譚」の版画展が開かれる。

ミュンヘン版画館にも同展は巡回。

1月〜3月、マリー=テレーズをモデルに肖像画と眠る女の連作を描く。

鏡に対した官能的な二重表現の顔を特徴とするもの。

6月16日〜7月30日、パリのジョルジュ・プティ画廊で

初期の「青の時代」から最新作までの

236点を含む大規模な自選回顧展。

夏、オルガと息子のポールはジュアン=レ=パンで過ごすが

ピカソは同行しないで、ボワジュールに滞在し

マリー=テレーズの彫刻を制作。

ボワジュールには、画商:カーンワイラーや、

その義弟で民俗学者:ミシェル・リス(1901年〜1990年)、

ゼルヴォス、レイナル、ブラック(1882年〜1963年)など訪れる。

9月〜10月、チューリッヒ美術館で展覧会。

10月、ゼルヴォスがピカソの作品総目録の

第1巻目をカイエ・ダール社より出版。

1895年〜1906年までの作品を集めたものである。

ドイツの画家:マティアス・グリューネヴァルト(1470年、75年頃〜1528年)の

『イーゼンハイムの祭壇画』をモティーフとした

『キリストの磔刑図』の一連の素描を秋に制作。

11月26日〜12月30日、ニューヨークのジュリアン・レヴィ画廊で、

ジョセフ・コールネル(1903年〜1972年)との2人展。


1933年(52歳)3月〜6月、​

彫刻家のアトリエを主題とするエッチングを制作。

6月1日、アルベール・スキラによって

新しい美術雑誌「ミノトール」が刊行される。

編集者は、テリアード(1897年〜1982年)で、雑誌の命名は

画家:アンドレ・マッソン(1896年〜1987年)と

小説家:ジョルジュ・バタイユ(1897年〜1962年)による。

詩人:アンドレ・ブルトン(1896年〜1966年)が、

「ミノトール」の創刊号でピカソの作品を絶賛する。

7月、カンヌで過ごした後、バルセロナを訪れ、

旧友:マノロ(1872年〜1945年)らと再会する。

以前、同棲していたフェルナンド・オリヴィエ(1881年〜1969年)が

「ピカソとその友だち」という回想録を出版。

ニューヨーク、ヴァレンティン画廊で展覧会。

ベルリン、ベルンハルト・ガイザーによって、

1899年〜1931年までの版画作品の総目録が出版される。


1934年(53歳)​ブエノスアイレスの画廊で個展。

2月6日〜3月1日、アメリカ、ハートフォードの

ワズワース・アセニアで個展。79点の作品を展示。

6月〜9月、闘牛を主題にした一連の作品を描く。

8月末〜9月中旬、スペインに旅行し、サン・セバスチャン、

マドリード、トレド、エスコリアル、バルセロナなどを巡る。

闘牛の試合を追っての旅であった。

その後、カンヌを訪れる。

9月〜11月「少女に導かれる盲目のミノタウロス」を

主題にした版画を4点制作する。

アリストパネス(前450年頃〜385年頃)の

『女の平和』のための版画と素描を制作。

オルガと関係が険悪になる。


1935年(54歳)2月20日〜3月20日、​ピエール画廊で

パピエ・コレの作品の個展が開かれる。

4月、パリのボザール画廊で開かれた「キュビスムの創作展」に出展。

闘牛とミノタウロスを主題にした

画期的なエッチング「ミノトロマシー」を制作。

6月、マリー・テレーズの妊娠がわかり、

オルガは、ポールを連れてピカソと別居。

ピカソは、ボワージュールに住む。

​7月、​当時南米に住んでいた旧友の

詩人:ハイメ・サバルテス(1881年〜1966年)に

手紙を書いて秘書になってくれるように依頼する。

10月5日、マリー=テレーズが女児を出産。

幼少で死んだピカソの妹の名にちなんで

マリア・デ・ラ・コンセプシオンと名付ける。

通称は、マヤである。

11月、サバルテスがパリへ戻って来る。

シュルレアリストたちの影響を受けて、

挿絵を伴った詩を多数制作する。

「自動記述法」に基づいた自由奔放なものであった。


1936年(55歳)2月、​バルセロナのサラ・エステバで、

建築家:ホセ・ルイス・セルトの監修の下に回顧展。

3月、パリ、ポール・ローザンベール画廊で近作展。

3月2日〜4月19日、アルフレッド・H・バーII世の企画による

「キュビスムと抽象美術展」がニューヨーク近代美術館で開かれ

ピカソの作品32点が展示される。

パリ祭で上演されるロマン・ロラン(1866年〜1944年)の

戯曲『7月14日』の垂れ幕のデザインを依頼され、

5月に描いた『ミノタウロスのいる構成』を使う。

7月18日、スペイン市民戦争が勃発し、

フランコ将軍(1892年〜1975年)に反対を続けるピカソは、

人民戦線側によってプラド美術館長に任命される。

夏、南フランスのカンヌの北にある小村ムージャンで過ごす。

詩人:ポール・エリュアール(1895年〜1952年)を介して

シュールレアリストの集まりでたびたび顔を合わせていた

写真家:ドラ・マール(本名:アンリエット・テオドラ・マルコヴィッチ1907年〜)

も同地を訪れており、間も無く愛し合うようになる。

ドラ・マールは、ユーゴスラヴィア人の建築家の父と

フランス人の母の間に生まれ、

アルゼンチンで長らく暮らしていたことがあり、

スペイン語が堪能だった。

古くからの陶器の町ヴァロリスを訪れる。

秋、ヴェルサイユ近くのル・トランブレ=シュル=モンドルの

ヴォラールの家を借りる。

ドラ・マールの肖像を描く。

(参考資料:集英社・ピカソ美術館より)
(写真撮影:ほしのきらり)


​ピカソの『シュルレアリスム』超現実主義の時代は、​

1925年〜1936年(44祭〜55歳)

1925年頃にシュルレアリスムに興味を持ち

シュルレアリスムのグループ展に参加。

妻:オルガに対する不満が大きく膨らんだ時期に描かれた

『3人の踊り子』(ダンス)​や



『磔刑』などが代表作である。


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最終更新日  2021.08.02 00:10:08
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