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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2021.08.04
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​パブロ・ピカソは66歳頃、地中海の町ヴァロリスを訪問してから陶芸に魅せられます〜こんな作品をいっぱい焼いていました下向き矢印

Pablo Picasso

ロシア「エルミタージュ美術館」所蔵。

みずがめ座​​『ヴァロリス期』​​・・・とは?みずがめ座
  ​Vallauris​

地中海沿岸の地域では、

古くから良質の土が取れたことから、

陶器が製造されていました。


ピカソは、夏になると南仏を訪問していたので

南仏の陶器の町“ Vallauris”に立ち寄り

​“ヴァロリス で陶芸にのめりこみます手書きハート


Pablo Picasso
​​​パブロ・ピカソ​​​

​​

​​​​1881年10月25日〜1973年4月8日(91歳没)

1947年(66歳)​
前年からのフクロウのモティーフ作品を描く。

鳩も作品に現れ始める。

3月、ルーカス・クラナッハ(1472年〜1553年)の作品をもとに

リトグラフ『ダヴィデ』と『バティシバ』を制作。

5月、パリ国立近代美術館に油彩画10点を寄贈。

5月15日、フランソワーズとの間にクロード生まれる。

夏、フランソワーズと共にゴルフ=ジュアンに行く。

​ヴァロリス​のマドゥーラ陶房の

ジョルジュ・ラミエの窯で作陶活動を開始。

1年足らずの間に約2000点近い作品を制作する程の熱の入れよう。

ジュアン・ラレーア著『ゲルニカ、パブロ・ピカソ』が、

ニューヨークで出版される。

12月、ピカソの舞台装置による

ソフォクレス(前497年頃〜前406年)の悲劇『オイディプス王』が

パリのシャンリゼ劇場で上演される。

ロンドン画廊での「キュービスムの精神とその時代展」に出品。


1948年(67歳)テリアード(1897年〜1982年)によって

125点のピカソのリトグラフ挿絵による

ピエール・ルヴェルディー(1889年〜1960年)の

詩篇『死者の歌』が刊行される。

夏、フランソワーズと共に​ヴァロリス​の丘の上の

ラ・ガロワーズのアトリエで過ごす。

​8月末〜9月、​旧友の作家:エレンブルグ(1891年〜1967年)の招聘により

ポーランドのブレスラウでの国際平和会議にエリュアールと共に出席。

アウシュビッツ、クラコフ、ワルシャワなどを訪れる。

ポーランドの大統領より勲章を授与される。

パリのフランス思想家会館で陶芸展。

ロンドンのアート・カウンシルで

「ピカソのリトグラフ1945年〜47年展」開催。


1949年(68歳)1月、​パリのシェン社より

カーンワイラー著『ピカソの彫刻』が出版。

1月9日に制作された鳩のリトグラフが、

共産党に指導的立場にいた

詩人:ルイ・アラゴン(1897年〜1982年)によって、

4月、パリで開かれる国際平和会議のためのポスター図案として採択され、

「平和の鳩」として有名になる。

メリメ(1803年〜1870年)の小説『カルメン』の

38点のピカソの銅板画入り挿絵本が刊行される。

3月8日〜4月2日、ニューヨークの

ブーフホルツ画廊で彫刻の近代展が開かれる。

4月19日、フランソワーズとの間に娘:パロマ誕生。

パロマは、スペイン語で鳩を意味する。

7月、フランス思想家会館で近作展。

秋から、​陶芸に集中。​


1950年(69歳)​フランソワーズの妊娠を記念して

冬、粘土などで『妊婦』を制作する。

この作品は、1955年にブロンズが鋳造される。

2月、ギュスターヴ・クールベ(1819年〜1877年)や

エル・グレコ(1541年〜1614年)の作品から主題を得た作品を描く。

春、​ヴァロリス​や付近を散歩しては珍しいものを見つけて

『雌山羊』や『乳母車を押す女』や『縄跳びをする少女』

などのコラージュ作品を手がける。

ヴァロリス市の名誉市民に推され、

8月6日『羊を抱える男』のブロンズ像が、

​ヴァロリス​の中央広場に立てられる。

10月、イギリスのシェフィールドで開かれた

第2回国際平和会議に出席する。

11月、レーニン平和賞を受賞。

11月〜翌年にかけて、パリのフランス思想家会館で、

「ピカソの彫刻と素描」展が開かれる。

カタログの序文はルイ・アラゴン(1897年〜1982年)が書く。


1951年(70歳)​前年に勃発した朝鮮戦争に対して、

アメリカが朝鮮に介入したため、

1月18日、大作『朝鮮の虐殺』を描く。

5月、パリで開かれたサロン・ド・メに

『朝鮮の虐殺』が出品され話題となる。

6月、フランスのヴァンスにマティス(1869年〜1954年)が

装飾したロザリオ礼拝堂が献堂されるが、

ピカソは記念式典に出席する代わりに、

病床のマティスを見舞う。

夏、パリのラ・ポエシー通りの部屋を立ち退き

ゲ=リュサック通り9番地に新しい部屋を借りる。

晩夏、​ヴァロリス​に戻る。

冬、パリで過ごす。


1952年(71歳)2月19日〜3月15日、​

ニューヨークのヴァレンティン画廊で展覧会。

朝鮮戦争に対して義憤を感じていたピカソは、

4月、​ヴァロリス​の14世紀の礼拝堂を

平和の殿堂として装飾することを思い立ち、

戦争と平和を主題とする構想を練る。

秋、ひとりでパリへ行く。

フランソワーズ・ジローとの関係がこの頃から次第に悪化。

11月18日、旧友の詩人:ポール・エリュアール(1895年〜)死去し

葬儀に参列。

11月25日作のリトグラフ『オノレ・ド・バルザックの肖像』を

バルザック(1799年〜1850年)作の

小説『ゴリオ爺さん』の口絵に使う。

12月上旬、​ヴァロリス​に戻り、

平和の殿堂のための2枚の大きな作品を完成する。


1953年(72歳)1月30日〜4月9日​

パリ近代美術館『1907-14年のキュビスム展』で

「アヴィニヨンの娘たち」など展示。

冬、​ヴァロリス​で彫刻を制作。

3月5日、死去したスターリン(1879年〜)のピカソによる素描が

3月12日、「レ・レトル・フランセーズ」紙に掲載。

5月〜7月5日、ローマ国立近代美術館で大規模な回顧展。

カタログは、美術史家:リネルロ・ヴァエントゥーリ(1885年〜1961年)が執筆。

6月、リヨン美術館で回顧展。

8月、ピレーネ山脈のベルビニャンで過ごし、

マドゥーラ陶房のジョルジュ・ラミエの夫人の従妹に当たる若い

ジャックリーヌ・ロック(2926年〜1986年)に出会う。

コリウールに立ち寄り、闘牛を観戦する。

9月下旬、フランソワーズはクロードとパロマを連れて

ピカソのもとを離れる。

​​​​​​​9月20日〜11月20日、ミラノのパラッツォ・レアーレで回顧展。​

これは、前記のローマでの回顧展が巡回したもので、

新たに『ゲルニカ』


『朝鮮の虐殺』などが追加出品される

​Massacre en Coree 『朝鮮の虐殺』1951年1月18日

11月28日〜翌年2月上旬、
画家とモデルを制作する。

​12月13日〜翌年2月20日、​サンパウロの現代美術館で回顧展。

秘書のハイメ・サバルテス(1881年〜1968年)が、

マラガ美術館とバルセロナ市に自分の所蔵する

ピカソ作品やピカソについての蔵書を寄贈。


(参考資料:集英社、ピカソ美術館4より)
(写真撮影:ほしのきらり)



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最終更新日  2021.08.04 00:10:06
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