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カテゴリ:美術館・博物館
パブロ・ピカソの晩年(まだまだお元気!)について詳しく知っておきましょう〜晩年に至っても恐るべき集中力で創作されます
Pablo Ruiz Picasso 『草上の昼食(マネによる)』 パブロ・ルイス・ピカソ Pablo Ruiz Picasso 1881年10月25日〜1973年4月8日(91歳没) ピカソの『晩年の出来事』 1954年→亡くなるまで 1954年(73歳)4月、20歳のシルヴェット・ダヴィッドと出会い 約40点ほどの肖像画を描く。 6月、ジャクリーヌ・ロックのイメージの 3点の肖像画を描く。 7月、パリの思想会館「ピカソ:2つの時代1900-14年と1950-54年」展。 9月、パリのグラン=ゾーギュスタン通り7番地のアトリエで ジャクリーヌと一緒に暮らし始める。 12月13日〜2ヶ月間、ドラクロワ(1798年〜1863年)の 「アルジェの女たち」を基にした連作を描く。 ヴァロリスの平和の殿堂に1952年作の 『戦争』と『平和』が展示。 1955年(74歳)2月11日、最初の妻:オルガ(1891年〜)カンヌで死去。 5月〜6月、ロンドンのマルボロー画廊で素描と彫刻の展覧会。 6月〜10月、パリの装飾美術館で「ピカソの絵画:1900-55年」展 10月〜翌年1月、ミュンヘン、ケルン、ハンブルクに巡回。 夏、ニースに映画スタジオで、 アンリ=ジョルジュ・クルゾーの映画『ピカソの神秘』を制作。 カンヌの「ラ・カルフォルニー」に移る。19世紀の凝った館で、 ゴルフ=ジュアンやアンティーブが一望に見渡せた。 アトリエから眺めた庭の絵を描く。 1956年(75歳)『海辺の2人の女』など 水浴者を主題とした作品を描く。 10月25日、ヴァロリスのマドゥーラ陶房の 陶工たちによって75歳の誕生日が祝われる。 ハンガリー動乱に対するソ連の内政干渉についての 抗議文が「ル・モンド」紙に掲載される。 1957年(76歳)パリのレイノルズ画廊で、 1955年〜56年に描かれた新作が発表される。 5月4日〜9月8日、ニューヨーク近代美術館で 「ピカソ:生誕75周年」展が開かれる。この展覧会は、 10月29日〜12月8日、フィラデルフィア美術館に巡回。 7月6日〜9月2日、アルルのレアテュ美術館でも展覧会。 8月〜12月、ベラスケス(1599年〜1660年)の 『女官たち(ラス・メニーナス)』 に基づいた作品を58点制作。 秋、ユネスコ本部より大壁画の制作を依頼される。 1958年(77歳)ユネスコの壁画の主題が、 1月18日、「イカロスの墜落」に最終決定。 3月8日〜6月8日、パリの思想家会館で陶芸展。 3月29日、ヴァロリスの小学校の校庭でユネスコの壁画の贈呈式。 4月〜6月「ラ・カルフォルニー」のアトリエから眺めた 『カンヌの湾』を何店か制作。 リノカットの制作を始める。 9月、ヴォーヴナルグ城を購入し、しばしば制作。 そこは、セザンヌ(1839年〜1906年)の住んでいた エクス=アン=プロヴァンスに近い サント=ヴィクトワール山に建つ14世紀の城であった。 1959年(78歳)2月〜1961年春までヴォーヴナルグ城に滞在。 5月22日〜6月27日、ルイーズ・レイリス画廊で「ラス・メニーナス、1957」展。 ドラ・マールをモデルにした1941年作のブロンズ像『女の頭部』が パリのサン=ジェルマン=デ=プレの墓地に アポリネール(1880年〜1948年)記念碑として設置され 6月5日、除幕式。 マネ(1832年〜1883年) 『草上の昼食』に基づいた作品を 8月から制作、以後2年間さまざまなヴァリエーションを手がける。 ピカソ『草上の昼食(マネによる)』1961年 17世紀の有名な闘牛士ホセ・デルハルド(ぺぺ・イリョ)が 1796年に書いた『ラ・タウロマキア(闘牛技)』に 27点の銅版画を入れた挿絵本が、 10月にバルセロナのラ・コメータ社より刊行。 ゴヤ(1746年〜1828年)の1815年の版画集 『闘牛技』に匹敵するものである。 1960年(79歳)6月15日〜7月13日、 ルイーズ・レイリス画廊で、リノカット45点の展覧会。 7月6日〜9月18日、ロンドンのテート・ギャラリーで大回顧展。 10月〜バルセロナ建築大学の壁画装飾のための下絵を始める。 11月〜12月、バルセロナのサラ・ガスパール画廊で個展。 1961年(80歳)3月2日、ヴァロリスで ジャクリーヌ・ロックと正式に結婚 6月、新しい別荘「ノートルダム=ド=ヴィ」へ移る。 ムージャン村に近いカンヌを見下ろす丘の上に建てられた別荘。 10月28日、ヴァロリスで80歳の誕生日の祝賀会。 10月25日〜11月12日、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で個展。 1962年(81歳)1月26日〜2月24日、 ルイーズ・レイノルズ画廊で近作による個展。 ニューヨークの代表的な9つの画廊が協力して、 「ピカソ:アメリカでの賛美」展。 4月、バルセロナ建築大学の壁画装飾が除幕される。それは カタロニヤ地方の伝統的な踊りや祭りにヒントを得た作品。 5月、2回目のレーニン平和賞を受賞。 5月14日〜9月18日、ニューヨーク近代美術館で「ピカソ生誕80年」展。 個展的主題を基にして 『サビニの女たちの掠奪』を描く。 1963年(82歳)3月9日、バルセロナのトカーダ通りに ピカソ美術館が開館。この美術館の開設には、 サバルテスの大きな尽力があり、彼が館長となる。 1964年(83歳)1月11日〜2月16日、カナダの オンタリオ美術館で「ピカソと人間」展。 この展覧会は、モントリオールにも巡回。 1月15日〜2月15日、ルイーズ・レイリス画廊で近作展。 フランソワーズ・ジローが『ピカソとの生活』を出版。 個人的な回想録のため、ピカソは激怒 5月23日〜6月5日、東京国立近代美術館で回顧展。 京都と名古屋にも巡回。 1965年(84歳)6月22日〜9月15日、トゥールーズの オーギュスタン美術館で「ピカソと舞台芸術」展。 言語と表現の自由を求めてデモを行って罰金刑に処された バルセロナの芸術家や学者を助けるために ジョアン・ミロ(1893年〜1983年)や、 ジャン・ポール・サルトル(1905年〜1980年)と共に 作品を寄贈し、パリで競売に付す。 11月、パリで胆嚢の手術を受ける。 1966年(85歳)11月、グラン・パレ、プチィ・パレ、 国立図書館で、85歳記念の「ピカソへのオマージュ」展。 アンドレ・マルロー(1901年〜1976年)の提唱による フランス政府主催の展覧会だった。 ロサンゼルス郡立美術館で「ピカソ版画の60年」展。 若い頃の恋人フェルナンド・オリヴィエ(1880年〜)死去。 1967年(86歳)春、レジヨン・ドヌール勲章辞退。 6月9日〜8月13日、テート・ギャラリーで彫刻と陶芸の大規模な展覧会。 10月11日〜翌年1月1日、より大きな規模で、 ニューヨーク近代美術館で展覧会。 シカゴ市民センターにモニュメント完成。 1968年(87歳)2月13日、サバルテス死去。 サルバテスを偲び「ラスメニーナス」連作シリーズを 全点バルセロナのピカソ美術館に寄贈。 2月28日〜3月23日、ルイーズ・レイリス画廊で近作の素描展。 3月16日〜10月5日、ムージャンで347点の銅版画連作を制作。 エロティシズムに溢れたこれらの版画は、 晩年に至っても恐るべき集中力で創作され、 ピカソの数多い版画芸術の中でも一つの頂点に立つものである。 12月18日〜翌年2月1日、早速ルイーズ・レイリス画廊で発表。 1969年(88歳)カンヌのマドゥーラ画廊で陶芸展。 11月、ピカソに対して帰国と 『ゲルニカ』の展示を要請したスペイン政府に拒否を表明。 1970年(89歳)バルセロナのピカソ美術館に、 1月、バルセロナのピカソ家が、約900点の作品を寄贈。 アメリカ軍のヴェトナム退去を要請する声明を サルトルやモーリアック(1885年〜1970年)らとともに 5月、発表する。 5月1日〜10月1日、アヴィニヨン教皇庁で近作展。 9月12日、この展覧会カタログを執筆した クリスチャン・ゼヴォルス(1889年〜)死去。 10月15日〜11月29日、ニューヨーク近代美術館で 「ピカソ、版画の巨匠」展。 1971年(90歳)10月、ルーヴル美術館で 90歳の生誕を記念して特別展。 1972年(91歳)1月23日〜4月2日、 ニューヨーク近代美術館で美術館所蔵のピカソ展を開催。 12月1日〜翌年1月3日、ルイーズ・レイリス画廊で近作の素描展。 1973年、1月24日〜2月24日、 1970年末〜3月までに制作された156点の銅版画が ルイーズ・レイリス画廊で公開。 4月8日、ムージャンの自宅で急死。 4月10日、ヴォーヴルナグルの別荘で葬儀。 4月16日、庭に埋葬。 (参考資料:集英社・ピカソ美術館4より) (写真撮影:ほしのきらり) ピカソにぽち お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.08.05 00:10:08
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