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カテゴリ:美術館・博物館
アンリ・ルソーの祖父と父はランプなどを制作するブリキ屋さんでした。どんな家だったのでしょうか
Henri Rousseau ![]() アンリ・ルソーは 1844年 フランスの 西の方にある町 ラヴァルに 生まれました。 子どものころの ルソーは 習字や朗読、そして 歌や絵が とても 得意でした。 小学校では 賞状を たくさん もらっています。 きっと ルソーの心のなかでは、 将来 画家になりたい という 夢が 膨らんでいた ことでしょう〜 でも ルソーは 16歳の時、 学校を 途中で やめてしまいます。 お父さんの仕事が うまくいかなくなった ためです。 ルソーは 本当は 美術学校へ 進んで 絵の勉強を したかったのですが、 そのことも 諦めなくては なりませんでした。 (以上:博雅堂出版・アンリ・ルソーとシャガールより) (写真撮影:ほしのきらり) アンリ・ルソー Henri Rousseau 1844年5月21日〜1910年9月2日(66歳没) 1844年5月21日(アンリ・ルソー=0歳) フランス西北部:マイエンヌ県ラヴァル市に誕生。 父は、ブリキ職人のかたわら不動産業も営んでいた。 母は、軍人の家系の出身。 ルソーの生い立ちについては・・・ 全く語られることがなかったため ラヴァル生まれということの他は、 その幼少期については、 長い間、闇に包まれていた。 ルソーの出征証明書には、 「アルディ広場」とだけ記され その場所は、謎であったが・・・ ラヴァル旧市内の 「アルディ広場」を登りつめると 「プシュレス門」が建っている。 三層の円形の塔を左右にそなえた門は、 15世紀の建築で、 かつて町をとりまいていた城壁の 唯一の名残りである。 プシュロンたちが、 近くの森へ木を伐りにゆくため この門から出入りしていたので、 プシュレスの名がついたと言われる。 この塔の一つこそ、 アンリ・ルソーの生誕の地である 現在は、一階がカフェに変わっていて 塔の壁面には、 「1844年5月21日、 アンリ・ルソーここに生まれる」 と刻んだ鉄のプレートがはめ込んである。 町に残る記録によると・・・ ルソーの祖父:ジュリアン=プロテ・ルソーが、 19世紀のはじめに、 プランション某から、 この塔を買いとったらしい? 祖父も父もともに、 ケンケ燈などを作るブリキ屋で、 現在カフェに変わっている一階の部分に店を開き 二階を住居にあてていた。 「ルソー アルディ広場 ランプ製造 夜会用釣ランプ、ランプ販売」 これは、ルソーの父が地方紙に出した広告である。 電燈はなく、 ガス燈も普及していなかったこの時代、 ランプは、もっともよく用いられた照明器具だった。 父の店先には・・・ かすかにまたたきながら、 柔らかな光を投げかけるこのようなランプが あちこちに置かれていたにちがいない。 中世の塔とランプ製造・・・そこには、 どこかルソーの世界に通うものがある。 彼の肖像画や静物画に折々に姿を見せる、 細長い円筒形のガラスの火屋を持つ、 金色にきらめくランプを思い浮かべます。 ルソーは屋業を全く継がなかったけれども、 祖父や父から、 あきらかに、 中世に遡るフランス職人の伝統を受け継いでいた。 美術史の中に系譜を持たない彼は、 その外にあって、 もっとはるかに広く豊かな土壌に根を下していた。 彼は、信者たちに頼まれて 教会のために奉納画を描いた人々、 教会の正面玄関や 三角小間にキリストやマリアや聖者たちや 怪獣や唐草模様を刻んだ人々、 ステンドグラス工、 エピナル版画の画工たち、 町の看板描きたちの仲間なのであり、 それと同時に、 「一アルパンの葡萄畑とはどれほどのものか、 一頭の乳牛はどれほど乳を出すか、 壁を作るのにどれほどの時間と 煉瓦が必要かをよく知っている人々」 (ピエール・デカルグ) の近くにもいるのである。 しかしルソーの生家は・・・ 少なくとも彼の生まれた頃は、 単なるブリキ屋ではなかった。 ルソーの父:ジュリアンは・・・ ブリキ屋は、むしろ副業で、 不動産業の方を一時は主にしていたらしい? 「プシュレス門」の塔を買いとった 祖父:ジュリアン=プロテにしてからが、 律儀一徹の職人だったとは思われない。 ただ、父:ジュリアンの場合、 それは不動産業というより 不動産狂いだった 彼は、町のあちこちに家を買っては、 それを貸家にしたが、 そのやり口は、 ろくに資金もないのに家を買い、 それを抵当に入れて借金をしては 次を買うという自転車操業で 誇大妄想狂だった。 ガス燈の普及により、 ケンケ燈が売れなくなり、 ブリキ屋の商売が落ち目になると同時に 不動産業の方もゆきづまり、 1852年には、プシュレス門が、 1853年には、その他の不動産一切が差し押さえられて競売に付され 一家は、ラヴァルを退転して 近郊のアヴニエールからクートランへ、 さらにアンジェへと移る。 それでもルソーは・・・ この塔の中で7年間暮らした。 それはどんな日々だったのか 債権者が絶えずあらわれ、 父母の表情が険しくなり、 不安の気配が日ごとに濃くなってゆく家の中で、 彼はどんな幼少期を過ごしたのか ルソーの書き残したものの中に 一言の言及もないばかりか、 この時期について、 彼が思い出話をしたという痕跡も全く見当たらない。 まるで彼には・・・ 幼少期など存在しなかったかのようだ。 この時期の彼に関して、 今日私たちに残されているのは・・・ 白いボンネットを被った大伯母の膝に抱かれている赤ん坊の彼と 口髭を生やし、 幅広のネクタイをゆるやかに結び、 背広を着て、 チョッキのボタンをきっちりかけ、 鷹揚に構えて、 ブリキ屋よりも事業家然とした父に寄り添うようにしている 5、6歳のころのあどけない姿の彼が写っている、 二葉の不鮮明な写真だけだ。 しかし、 驚くべき幼児性を一生持ち続けたルソーのような人間の場合 幼少期と、 その舞台となったラヴァルの町とが 彼のなかに深い刻印を残し、 その作品を養うかくれた源泉になっているのはあきらかだ。 (参考資料:新潮選書、アンリ・ルソー楽園の謎より) ルソーに お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.09.04 00:10:08
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