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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

2021.09.23
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​アンリ・ルソー晩年の事。やっと人気が出てきた矢先に「銀行詐欺事件」で逮捕されてしまいますショックルソーは騙されたのでしょうか?信じがたいほどの素朴さ!それとも・・・

Henri Rousseau

L'Enfant a la poupee  1892


​アンリ・ルソー​
Henri Rousseau

​1844年5月21日〜1910年9月2日(66歳没)

1907年(63歳)​晩年の出来事。

3月、第23回アンデパンダン展にの6点を出品。

10月、サロン・ドートンヌ『蛇使いの女』​など6点​を出展。

画商:ブリュメルによって定期的に絵が売れ始める。

10月、親睦オーケストラで顔見知りだった

銀行員:ソヴァジェによって​銀行詐欺事件​に巻き込まれ投獄される。

​ルソーは、予審判事宛に何通も手紙を書いて訴えるが、​

結局、知人の市議会議員の尽力で1ヶ月後に保釈となった。

1908年(64歳)​

3月、第24回アンデパンダン展に4点を出品。

春頃、絵が売れ始めて経済的に少し余裕が生まれたため、

自宅で「夜会」を定期的に開くようになる。

10月、サロン・ドートンヌ『ジェニエ爺さんの馬車』を応募するが落選。

11月、ピカソのアトリエで「ルソーを讃える夕べ」が開かれる。

1909年(65歳)​

1月、詐欺事件の判決が下り、執行猶予付きの有罪となる。


パレット​銀行詐欺事件のあらまし​​​​​​​​​​​​​​​​パレット

1907年10月はじめ、​

『蛇使い』が人気を呼んでいた

​サロン・ドートンヌ​のまだ会期中に、​

​「ソヴァジェ」​という一人の青年が、

ペレル街2番地のルソーのアトリエを訪ねてきた。


 二人は・・・

第5区友の会のオーケストラで知り合った。

当時ルソーの方は、

クラリネットを吹いていた。

ただ、第5区に住んだことのない彼が、

なぜこの区のオーケストラに加わっていたのかは、

さだかではない。


二人は、ルソーの言に従うなら、

少なくともここ8年間は会っていなかった。

二人の交際は、

1899年以前、

即ちルソーが

ジョセフィーヌと再婚する前後ということになる。


 ​ソヴァジェは・・・​

フランス銀行モー支店の行員だった。

当時ルソーはまだ何も知らなかったが、

ソヴァジェは後の裁判で判明したように、

それまでにすでに一件、

犯罪を犯していた。


1903年、ソヴァジェが​・・・

ペリグー支店の行員だったとき、

この支店から送られた有価証券入りの封筒が

中身を抜き取られて、

宛名人のところへ着いた。

封筒を扱った行員に容疑が持たれ、

ソヴァジェは、自分からすすんで

この行員に不利な証言をした。

この行員が告発されたのは、

一部は、ソヴァジェの証言のためだった。


事件は、証拠不十分のため、

有罪判決には至らなかった。

一方、実際の下手人であるソヴァジェの方は、

忠誠を認められ、

1905年7月13日付で、

モー支店の三等級行員に抜擢された。

彼は29歳、長髪で、

アルフレッド・ミュッセを思わせる

芸術家風の容貌を持つ、

感じのいい青年だった。


 ソヴァジェは、

ルソーに次のように頼み事をした。


自分は最近詐欺にあって、

貯えをことごとくうばわれてしまった。

なんとかその金を取り戻したい。

ただ、相手は銀行の有力者たちなので、

あくまで銀行の手段を使ってそうしたい。

ついてはどうか

自分の手助けをしてもらいたい、と。


ソヴァジェが・・・

8年間も会わなかった

​ルソーをなぜ?共犯者に選んだかは、​

ギャルソンの本では明らかにされていない。


だが、

長い間会わなかったこと、

銀行に全く縁のない人間であること、

それに、

ルソーの普通では考えられない信じやすさが、

ソヴァジェの目の付けどころであったとは、

容易に推察がつく。



​​​ ルソーは・・・

ソヴァジェの目算通り、

その言葉を頭から信じ込んだ。


それでも、

いくらか博愛心に富んでいるとわいえ、

二つの事件で、

自分に割り当てられた

途方もない役割を引き受けたわけではなかった。


彼は、

朝から夕方まで制作するのを日課としており、

時間は彼にとって、

きわめて貴重だったからである。

しかし、

ソヴァジェの「繰り返しの​​​​​​​​​​​​​​​​​​​歎願​​」(予審判事宛の手紙)に

結局は動かされた。


 ソヴァジェの第一の目的は・・・

フランス銀行のどこかの支店に偽名で

当座貯金の口座をひらき、

小切手帖を入手することだった。


 ソヴァジェの​​指示に従い、

ルソーは500フラン持って、

リヨンの支店に赴き、

マンタンの偽名で口座を作らせたが、

肝心の小切手帖は

交付してもらえなかった。

それ以上どうしていいか分からず、

ルソーは、パリに帰った。


ソヴァジェは、​​

500フランを取り戻すため、

モンパルナス大通りの

アンジュー・ホテルに住むマルタンの名で、

ホテルあてに金を送ってくれるよう、

ルソーに手紙を書かせた。


翌々日、

ルソーはホテルに現れたけれども、

生憎と満員で泊まることができなかった。

彼は、自分あての手紙を取っておいてくれと頼み、

その日はそのまま引き下がり、

翌朝8時にまたやって来て、

郵便配達を待った。

しかし、何も来ず、

次の日にやっと金が送られてきた。


 事は、みごとに失敗した。

しかしソヴァジェは少しも挫けず、

次にはルソーをパリ近郊のラオンにゆかせ、

同じことをさせた。


だがここでも、

最低1000フランの預入れがないかぎり、

小切手帖はお渡しできない、

と言ってことわられた。

すぐに500フラン全額をひきあげると

不審に思われると考え、

ソヴァジェは、パリのリトレ街の郵便局に

局留めで400フランだけを銀行から送らせた。


ルソーは、10月17日に郵便局へゆき、

ジョセフィーヌと再婚した日の日付で、

第15区から発行された家族手帖を示して、

金を受けとった。

これが、

のちに犯人逮捕の糸口となる。


10月30日、ルソーは・・・

バイイという偽名で、

偽の有権者証明書を持って、

やはりパリ近郊ムラン市の

フランス銀行の支店にあらわれ

今度はまんまと小切手帖を手に入れた。


 ソヴァジェは・・・

各支店長の宛名とアドレスの印刷された

フランス銀行の封筒と貯金明細書を盗み出していた。


貯金明細書とは・・・

各支店に、顧客の貯金の明細を知らせる

きわめて重要な書類である。


彼は、

ルソーに頼み、印刷屋と交渉させ、

封筒500枚、明細書300枚を偽造させた。


 それから明細書に・・・

モー支店にあて、

バイイというムラン支店の客が、

21000フランの小切手を持ってそちらにゆくが、

当支店には十分に貯金があるからと、

支払ってくれるようにと書き、

ムランの支店長と出納係の偽の署名を入れた。


彼は、モー支店あての通信の中に、

あらかじめこの二人の署名を見つけておいたのである。

次に偽の印を押し、

書類を、偽造した封筒に入れた。


11月8日、ルソーはムランへ赴いて手紙を投函、

9日には、モー支店の窓口に現れ、

小切手を示して支払いを求めた。


その日の朝に明細書が到着していたので、

係員は、身元の確認を行なっただけで、

21000フランを払った。


ルソーは、パリに帰って、

ソヴァジェに金をそっくり渡し、

1000フランだけを礼金として貰った。


事はすぐに発覚しショック

警察が動き出した。

しかし、バイイという名の人物などどこにも存在せず、

事件は迷宮入りの気配を見せた。


もし本店が、

ムラン支店発行の小切手を持って

バイイという男が現れたら警戒するように、

という書状を各支店に配らなかったならば、

真犯人は最後まで分からなかっただろう。


この書状がたまたまラオン支店の注意をひき、

マルタンの一件が明るみに出た。

警察は、すぐにリトレ街の郵便局に人をやり、

ルソー某が金を受けとったことを突きとめた。

家族手帖から、身元はすぐに割れたショック


 警察は、内偵をすすめた。

この調査をもとにして

予審判事ブーシェ のもとに提出された報告書には、

ルソーの略歴、

現住所、

人相書きほか、

次のようなことが記されていた。

「当該人は、

 ヴァルサンジェトリクス街に住んでいた時は、

 生活が不規則で、

 これといった収入の口を持たなかった。

 油絵の制作にいくらか従事しているが、

 その作品は無価値とのこと。

 その素行、

 真面目さにはきわめて疑わしい点があったが、

 男性との交際はなく、

 しばしば、

 さまざまな女性の訪問を受け、

 彼女たちを相手にして、

 家で飲み、かつ騒いだ。

 女たちの名前も住所もわからない」

 
警察の聞き込みに対する、

ヴェルサンジェトリクス街の女管理人の中傷が、

この報告のもとになっているらしいが、

ルソーの生活の一端がいくらか覗いていて、

私たちの興味をひく。


報告書を受け取ると、

ブーシェ は令状に署名、

すぐにルソーの家の家宅捜索が行われた。


そして、

現金240フラン、

パリ市債券(彼はソヴァジェからもらった金で

パリ市債券を買っていたのである!)、

結核児童のための宝くじ券4枚のほか、

パイイ名義の小切手帳が発見されて、

容疑は動かぬものとなった。

彼は、12月2日の晩、

サンテ監獄へ送られた。


 ​ルソーは・・・​

こうした一切にひどく驚いているように見えた。

彼は、すべてをありのままに話し、

その結果ソヴァジェもひきつづいて逮捕された。


 ルソーは・・・

12月31日に仮釈放を受けるまで、

1月近く、

彼にとっては2度目の牢獄生活を送らねばならなかった。

そのあいだ彼は、釈放を求めて、

予審判事にあてて次々と手紙を書いた。

これらの手紙は、

ルソーの伝記上、

きわめて貴重な資料である。

相手の同情をひくための、

また、例の虚言癖から来る潤色はあるにせよ、

その中で彼は、

自分の生涯について、

芸術について、

多くのことを語っているからである。

これまで私は、

その一部をしばしば引用してきた。

ここには、

12月5日付の最初の一通だけを訳出する。


「判事様、

 御寛慈にあずかりたく

謹んでお手紙をさし上げます。

私が、ソヴァジェさんの言ったことを

運悪く信じてしまったのは、

あの人が正直でなく、

自分のものでもないお金を

請求する権利があると思っていたなどど、

考えもしなかったからです。

私が、少なくともここ8年、

あの人に会っていなかったのは本当です。


判事様、私が欲得から、

あの人の言うことに従った訳でないことは、

どうか信じて下さい。

なにしろ、

金をくれるという申出は、

全部断ったのですから。

あの人にきいて貰えばわかります。

あの人が呉れたものを、

私は受け取ろうとさえしませんでした。

これまで人生において、

私はいつも、

できる範囲内で、

最初は精神面において、

次には物質面において、

慈善をしてきました。

第15区の区役所にお聞きになって下さい。


私は生憎と、

妻を2人まで、子供を6人までなくしました。

仕事によって、

独力で立ち直らなかったら、

今ある自分にはなれなかったでしょう。


私は32年間務め、

40歳で描きはじめました。


ジェローム、ボナその他の大家たちが

私の最初の習作を見て、

続けるようにと励ましてくれました。

それで、一層熱心に制作にはげみました。


 私の出品作のいくつかは、

大成功を収めました。

その中には、次のようなものがあります。

『期待の中で』『戦争』『独立百年祭』『哀れな奴』

動物を描いた『生存競争』『虎に襲われる斥候たち』

『愉快な道化者』『蛇使い』。

いずれも新聞が取り上げたものです。


私は、1848年にはじまり、

600人以上の教授が教える、

技芸振興協会の成人向けコースの

教授に任命されています。


判事様、

はっきり申し上げますが、

20歳の時、私は自分の名がいつか、

フランスを超えて知られるようになるなど

とは思いもしませんでした。

と申しますのも、

私の名前は外国でも知られているからなのです。

パリのすべての展覧会で私は名声を博しています。


判事様、

私が、道楽者やならず者の生活ではなく、

働き者の生活を送ってきたことを

お考えいただきたく存じます。


私は、バニョレ、ヴァンセンヌ、アニエールの

各市役所のコンクールに出ました。

選外佳作賞と3つの銀メダルを得ましたし、


ベートーヴェン・ホールで、

多数の聴衆を前にして演奏した

自作のワルツのために、

フランス文学・音楽アカデミーから

表彰状も貰いました。


ですから現在、

私はヴァイオリンの弟子も持っています。

私は、性格が弱すぎ、

善良すぎるとたえず人から言われてきました。

そして一再ならず、

そのことを証明しました。

これまでしてきたように、

不幸な人たちを助けなかったならば、

たしかに私は、今日裕福になっていたでしょう。


 予審判事様、

この遺憾な事件の最良の解決のため、

寛仁大度の御心によって、

できるだけのことをしてくださるものと期待しております。

私の娘のため、

私のため、

やはり人の親でもあるあの青年のため、

お願い致します。

あの人自身が、

心得違いの犠牲者であったとすればなおさらです。


 日曜日の午前9時から10時45分まで、

アレジア街の私立学校で、

私の授業があります。

ご親切におすがりできるならば、

目下製作中の、

注文を受けました仕事の続行のため、

仮釈放して下さるようお願い申し上げます。

判事様、

お心に適うような贈り物を差し上げたいと存じます、

感謝のしるしとして。


私は、

フランス銀行のモー支店長に手紙を書き、

私の娘や、

私の果たした勤めや、

私の労苦の生活に免じて、

この遺憾な事件を追求しないで下さるよう、

お願いしました。

ソヴァジェさんは、

お金を返すことができますので。


 判事様、

あなた様も、誤字日ですから、

63歳という私の年齢をお考え下さり、

広い、

ご親切な御心から、

寛大な扱いをして下さいますますよう。


 この手紙が、

献身と仕事に明け暮れる

人間の手になるものであることが御諒解いただけるなら、

お願いしたことをお許し下さるものと期待しつつ、

あらかじめお礼を申し上げておきます。


サンテ監獄に未決勾留中の

   アンリ・ルソー


営々辛苦してかち得ました地位を

台無しにするようなことはなさらないで下さい。

私の授業は、

12月8日の日曜日の午前9時半まで行われます」


 ルソーの予審判事宛の手紙は、

内容はそれぞれ異なるが、

基調はこの手紙とほとんど同じである。


事件に関しては・・・

彼は、自分は

ソヴァジェの言葉をそのまま信じただけで、

銀行詐欺事件に加わっているなどとは

一刻も考えたことがなく、

従ってまったく犯意はなかったと主張する。


一方で彼は・・・

自分がこのような事件にはいかに無縁の、

真面目で、

善良で、

慈悲深い人間であるかを示そうとする。


彼の唯一の欠点は、

「他人、とくに年下の人間の言うことを余りにも簡単に信じてしまう」

ことであり、

「自分の身に災いを招きかねないほどの正直さ」

なのだ。

彼はまた、

自分がいかにすぐれた画家であるかも強調する。

彼は、

「新聞も書いていたように、風景=肖像画の創始者」

であり、

「故カルノー大統領やブリユジェール将軍にもしばしば注目された」

人間であり、

「今日のフランスで、もっとも偉大で、豊かな画家」

なのである。


言うまでもないが・・・

ルソーは、これらの手紙の中で、

自分の不利なことは何一つ書いていない。

ルソーに本当に犯意はなかったのか?

彼は、自分たちの行動に

やましいところはないと心底信じていたのか?

偽名を使い、

書類を偽造したりしながら、

一刻も疑いを抱くことがなかったのか?

裁判は、この一点をめぐって争われた。

弁護士ギルメは、ルソーの

​「信じがたいほどの素朴さ」​

を裁判官たちに印象づけることをその手段とした。

その結果は・・・

結果として成功したといえる。


しかし、

私たちはこの事件をどう考えたらいいのか!?


常識人の眼からすれば・・・

ルソーが、ソヴァジェの言動に

全く疑いを差しはさまなかったとは信じがたい!?


無知や、軽信があったにせよ、

結局は・・・

欲得に誘われ、

疑いを押して、

その言葉に乗ってしまったのだと・・・

誰しもが推測するだろう。


けれど、

この事件に立ち会った人々の証言、


ルソー自身の行動や態度、

彼の手紙の中には、

疚しさや、

企み、

計算を思わせるものは何一つない。


(参考資料:新潮選書、アンリ・ルソー楽園の謎より)
(写真撮影:ほしのきらり)


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最終更新日  2021.09.23 00:10:08
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