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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

2021.10.16
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ダリは、とても裕福な家に生まれて小さな王様のように育てられたと言われます王冠どうしてなのでしょう!?

​​王冠ダリ』幼少期の興味深い話​​王冠

Salvador Dali(21歳の作品)

Muchacha de Espaldas,1925

モデルは、ダリの妹:アナ・マリア

​​​​サルバドール・ダリ
​Salvador Dali​

1904年5月11日〜1989年1月23日(84歳没)

Salvador Domenec Felip Jacint Dali i Domenech
サルバドール・ドメネク・フェリペ・ハンシント・ダリ・イ・ドメネクは、

1904年5月11日、スペイン・カタルーニャ地方の

小都市「フィゲラス」の裕福な家に生まれた。


父:ドン・サルバドール・ダリ・イ・クーシは、
(Salvador Dali  i Dusi・1872-1950)

フィゲラスの公証人で町の有力者だった。


当時のカタルーニャは、

19世紀後半に始まる自治の獲得と

独自の言葉(カタラン語)の復権を目指す運動

「ラナシェンサ」が高まっており・・・


ダリの父も、そうした運動に共感する

自由思想の持ち主だった。


母:ファリーバ・ドメネク・フェレス(1874-1921)も

裕福な商家の出身で、ユダヤ系の血筋と思われる。​​​


ダリが生まれる9ヶ月前に・・・

胃腸炎で、1歳10ヶ月で亡くなった

「サルバドール」という名の兄がいた。


ダリは​「サルバドール・ダリ」​という

死んだ兄と同じ名前を付けられたことで、

ダリは生涯、

自分は兄の身代わりだという意識にとらわれることになる。​


ダリの下には・・・​

「アナ・マリア」という妹がひとりいた。​​​


父は、公証人として成功をしていたため、

裕福な家庭でダリは育ち、

10歳までは、スペイン北東部フィゲラスの

ムントリオル通り6番地で暮らしていた。


本人曰く、彼は王冠家庭の王様王冠だった。​


「私は好き勝手に振る舞うことを許されていた。

 8歳になるまで、

 ただそうすることが楽しいという

 理由だけで、

 おねしょをしていた。

 家の絶対君主だった私は

 満ち足りることを知らず、

 父も、母も、私を

 ひたすら神のごとく崇めていた」


深く愛された​​ダリは・・・

どんな気まぐれも叶えられた。

目を覚ますたび、

母は、こう尋ねた。

​「坊や、何が欲しい?お前の望みはなんだい?」​​


父は、4歳になったダリを、

公立の小学校へと進学させる。

貧しい家庭の生徒が多い中、

王冠王子様のようにめかしこんだダリは目立ち、

いじめの格好の標的となったショック


小さな子どもにとって

それはかなり辛い経験だっただろうが、

ダリは自伝『わが秘められた生涯』の中で、

「自分が他人よりも優れていたからこそ

 孤立し、孤独だったのだ」と記している。


ダリにとって初めての教師となる

「エステバン・トライテル」は、

澄んだ青い目と左右対称に揃った

三つ編みのあご髭(膝まで垂れていたそうだ)を持つ、

「浮世離れした人物」だった。


トライテルは、

古い教会を漁って手に入れた宝物を

学校に持ってきては、

生徒たちに披露していた。


そんな彼の美術収集品に魅了されたダリ。

中でも特に心を奪われたものは、

毛皮に身を包んだロシアの少女の絵である。


ダリの中でその絵は、

未来の妻:ガラのイメージと重なっていた。


しかし、

2年間に渡るダリの小学校生活は、

完全な失敗に終わるしょんぼり

母から教わっていたはずのアルフファベットさえも

ろくに覚えていない息子に激しく腹を立てた父は、

彼をフィゲラス郊外のさびれた土地にある学校へと転校させた。


だが、この学校では

全ての授業がフランス語で行われていたため、

ダリの混乱はいっそう深まってゆくほえー


授業中、彼はひたすら空想に耽った。

窓の外のイトスギを眺めては、

​「葡萄酒に浸したみたいな、

 黒ずんだ赤色だ・・・」​


といった思考を巡らせ、

家に帰るとさらに空想にのめり込んだ。


少年ダリは、

何時間もベッドに横たわって

天井の湿った茶色い染みを見つめ、

様々な形を想像する遊びに没頭する。


ダリの家族は・・・

​過去を感動的に脚色してしまう癖があった​!!


​​​​​父:サルバドール・クーシは、

自分の父は医者だと触れ回っていたが、

実際は、コルク製造者として商いを営んでいた。


また、ダリの祖父は、

建物から飛び降りて自殺を図ったが、

家族の話では、

悲劇的にも脳障害で亡くなったということになっている。


こうした一家の伝統にならい、

ダリは自らの神話を想像した。


自伝『わが秘められた生涯』では、

彼は幼少時代に脚色を加え、

興味をそそられるような、

天才画家にふさわしい

翳りのある物語に仕立てあげている。


ダリは・・・

​亡くなった兄の存在に取り憑かれていた​​​​​​​​​​!!

「二人目のサルバドール」という

動かしようもない事実は、​

彼の心を完全に支配していた。


少年時代、兄の墓へと連れて来られては、

​「お前の兄の生まれ変わりなんだよ」​

と父母から聞かされてたダリ。


兄の陰で育った影響を、

彼はのちに語っている。

「兄と私は2粒の水滴のように似ていたが、

 その水滴の反映の仕方が違っていた。

 私同様、

 ひとりの天才だった兄は、

 驚くほどの早熟さを垣間見せていた。

 そしてそのまなざしには、

 至高の知性につきものの憂鬱さがあった。

 私には兄ほどの知性は備わっていなかったが、

 そのぶん、

 何ごともじっくりと熱考するようになった」


やがてダリは・・・

力への執着を強めるようになる。

『わが秘められた生涯』には、

妹を蹴飛ばし、

別の子を橋から突き落としたことが書かれている。

(もちろん、作り話の可能性はあるが)。


その後もダリの冷酷な欲望は、

どんどんと膨れ上がり、

大人になってからも、

その専制的な振る舞いは続いた。


彼はベルを持ち歩き

いつも鳴らしていたという。

「私が来たことを皆に気付かせる手段は、

 他にないだろう?」


自分はあらゆる権利を持っているんだ!そう、

少年ダリは感じていた。

妹:アナ・マリアは・・・

「幼い頃から、

 兄はプレゼントをもらうことが大好き。

 人にあげることなど滅多になかったわ」

と語る。

ごく稀に、

自分の気まぐれが満たされないことがあると、

ダリは烈火のごとく怒った怒ってる


たとえば、

おいしそうに連なったキャンディーが店先に飾られているが、

もう閉店しているので買えない、

なんて時には。

ダリがひどく腹をたてると、

誰にもなだめることはできない。

母:フェリーバの対応はいつも同じで、

叱らずに、ただひたすら慰めていた。

ダリは支配と征服の術に長けた、

まさに王冠幼き王様王冠だったのだ!!


もちろん、

この一家にものんびりした時間はあった。

音符音楽をこよなく愛していた父:サルバドール・クーシは、

サルダーナ(カタルーニャ地方に古くから伝わる輪踊り)の民謡を集めており、


よく近所の人を招いては、

夜ごと音楽会を開いていた。

その日ばかりは子どもたちも夜更かしを許され、

揃ってダンスをしていたという。


一家は、クレウス岬での長い休暇も楽しんだ。

初めのうちは、

家族ぐるみの友人宅に滞在したが、

その後、

カダケス近くの海辺に別荘を購入。

そこで、ダリはとても幸福な時間を過ごした。


幼きダリの、学校でのこんな記述が残っている。

「このところ、

 カダケスのことしか考えられない。

 ウキウキとカレンダーを眺めては、

 あと何日であそこへ行けるだろうかと

 指折り数えているんだ」


世界中様々な都市に住んだダリだったが、

クレウス岬が彼にとっての楽園であり続けた。

「この地だけが私の故郷だ。

 他の場所は、

 仮住まいにすぎない」


アルプスおろしの北風と海水の侵食により、

カダケス沖の巨岩は幾度も変身を繰り返した。

地元の言い伝えにも登場する。


人間のような形をしたこの有機的で壮大な岩を、

ダリはいつも見つめていた。

やがて彼は、

「カダケスの岩々を、頭の中できっちりと再現」

するようになる。


ダリ的思考の源をつかさどる「イメージの事典」の材料を、

彼はこの巨大な岩から得た。

そして、

その質感や見事な形態を絵画の中で描いたのだグッド


ダリは、

「船を漕いで岩に近づくにつれ、

 その先端は丸みを帯びてくる。

 そして、ついには

 女性の乳房そっくりになるのだ」

と語っている。

次々と変形してゆくその様子こそが、

まさしくこの巨岩の決定的な特徴だと考えたダリ。


のちに彼は、

絵画や映画の中で、

様々な形で「変化」の方法を模索している。


当時、カダケスへの道は・・・

まったく整備されていなかった。

そして、

周囲から隔絶されたその村には、

素朴な魅力が溢れていた。


おもちゃのブロックを積み重ねたような質素な白い建物が並び、

魚の骨で舗装された道が続く村の風景。

昔ながらの生活を営む村人たちは、

井戸水を使い、

ロウソクの灯りで暮らしていた。


自由気ままに過ごしていたダリは、

見知らぬ村人の後をくっついて回る。

漁師たちは親切で、

彼を船に乗せ、

巨岩を巡ってくれた。


村の密輸業者(アトリエ用にと、ダリに小屋を貸してくれた)や、

「土地の魔女」であるリディア・ヌゲラスとも

親交を深めていったダリ。


自伝『わが秘められた生涯』の中に、

「床に座り込んだリディアは、

 あざやかな手さばきでハサミを

 鶏の首に突き刺すと、

 血のしたたるその頭を

 深いテラコッタの器に落とした」

という描写がある。

彼は、

リディアの荒っぽい振る舞いに敬意を評していた。

彼女の偏執狂的な精神状態が、

自分の「偏執狂的批判的方法」のもとになったとも語っている。


カダケスで築いた少年時代の交友は・・・

彼の人間関係の基礎となった。


ダリはいつだって極端な性格の人間に惹かれた。

それは、

ダリのミューズであり、

友人でもあった「カルロス・ロサノ」が、

「明らかに、普通の人とはダリの怒りを買った」

と認める通りだった。


王冠小さな王様は・・・

楽しませてもらいたたかったのだ!!

ダリはこう話す。

「あなたがここに存在するのは、

 喜びを与え、

 また、授かるためです。

 何か私に、面白いことを

 話さねければなりません。

 だって私は、

 永久に知的興奮の状態にあるのですから。

 ・・・そう。

 植物の種を植え、

 栄養を与えて栽培するように、

 物語も育てる必要があるのですよ」



(参考文献:芸術家たちの素顔僕はダリより)
(写真撮影:ほしのきらり)


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最終更新日  2021.10.16 00:10:08
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