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「きらりの旅日記」

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プロフィール


ほしのきらり。

2021.10.18
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​ダリは18歳の時マドリッドの王立サン・フェルナンド芸術アカデミーに入学し、学生寮での生活が始まりますスマイル

学校​​ダリ18歳の​『大学デビュー』​​​学校

Salvador Dali(21歳)

Muchacha en Ventana,1925

​『窓辺に立つ若い娘』1925年​​

『窓辺に立つ少女(妹・アナ・マリア)』


油彩 カンヴァス  103.0cmx74.0cm

スペイン「国立ソフィア王妃芸術センター」所蔵。

ダリの妹:アナ・マリアを描いた。

この時期は、妹をモデルにした絵画を何点か制作している。


サルバドール・ダリ
​Salvador Dali​
​​
1904年5月11日〜1989年1月23日(84歳没)

シュルレアリスムの代表的な画家・写真家・彫刻家・作家。

スペイン・カタルーニャ地方「フィゲラス」出身。


1922年(18歳)​​ダリの大学デビュー。​​​​​​​​​​​​

アルベルト・ヒメネス・フラウトの運営する​​「学生寮」は、

学校オックスフォード大学や、

学校ケンブリッジ大学の制度を、

モデルとした刺激的なカレッジだったグッド


そこでは、アルベルト・アインシュタインのような、

先駆的な偉大な思想家を招いての講義が行われ、

図書室には最新の論文が揃えられていた。


ちょうどその頃、

ジークムント・フロイトの著作がスペイン語に翻訳され、

それを読んだダリと仲間たちは、

何時間も講論を戦わせた。


ダリが所有するフロイト著『夢判断』の写しには、

下線と注釈がびっしりと書き込まれている。

ダリは、

​「わが生涯における最も重要な発見のひとつ」​

としてこの本を振り返り、

数年後、自らの作品の中で、

フロイトの思想を探求し始める。


自分と同じような思考回路を持つ人間と、

ダリはそこで出会う。


彼が仲間入りした芸術志向のグループには、

映画監督のルイス・ブニュエルや、

詩人のフェデリコ・ガルシア・ロルカらがいたのだが、


嫉妬や対抗意識の塊のような連中ばかりだったため、

人間関係はスムーズにはいかなかった。


当初、王冠小さな王様(ダリ)は、

グループのリーダーであった

ロルカを苦々しく思っていたようである。

「ロルカが狂気の燃え立つ

 ダイヤモンドのように光り輝くことが、

 もはやわかっていた。

 突然、私はその場を走り去り、

 その後3日間、誰ひとりとして

 私の姿を見かけるものはいなかった」



ダリとロルカは、だんだんと惹かれあっていく手書きハート

ロルカは自作の詩の中で、

​​「オリーブの声を持つサルバドール・ダリ」​​​

と称え、


ダリはロルカを、

​聖セバスティアヌスの神々しい姿​

に見立てて描いた。

彼らは、共に芸術論を発展させた。


美術史家:メアリー・アン・コーズは、

「ダリが自身の絵について描いた中で、

 特に深く書かれている文章は、

 この詩人に宛てたものだ」

と指摘する。


もったいぶらず、

心を込めてロルカに語りかけたダリ。

「私は草や棘に手の平が触れ、

 太陽に耳が赤く染まると愛を感じる」

という言葉からも感じ取れるように、

そこには温かみのある、詩的なダリが表れている。


ロルカは、ダリを口説こうとしたが、

ダリが語るところによると、

特にふたりの間には何も起こらなかったという。


彼の母は、敬虔なカトリック教徒であり、

同性愛は禁忌だった・・・それで、

ダリは恐れをなしたのかもしれない。


彼らの関係はダリが未来の妻と出会うことで、

事実上、終わりを迎えることになる。


自分の性同一性を頑に守っていたダリだったが、

後年にはミューズである男たちと

ちょっとした火遊びを楽しみ、

覗き見的な性的興奮を得ることもあったというほえー


ダリの新しい友人たちは、

誰もが都会的なセンスを身につけていた。

彼らは優雅な生活を送り、

スマートな着こなしで知られていた。


アカデミーに来た当時のダリは・・・

ロマンテックな芸術家を気取り、

上から下まで黒一色で、

肌は白く塗り、

髪は黒く染め、

目にはコール墨で縁取りをする、

という装いをしていたが、

友人たちのダンディな装いに可能性を感じたダリは、

​「明日からは、みんなのような服装をするぞ」​

と決意。


王冠王様らしく振る舞えば、

王冠王様らしく扱ってもらえるだろうと考えたのである。

これは、どうやら功を奏し、

学生らしい収入しかないのに、

ダリはマドリッド屈指のホテルで、

もてはやされるようになる。


その派手な暮らしを経済的に支えたのは、

友人と家族と美術収集品だった。

ダリの金と名声に対する執着は、

後々、美術界を悩ませることになる。


アカデミー時代、

「ダリが、相反するふたつの手法を

 使い分けているのは明らかだった。

『伝統的な手法』と『大胆な手法』だ」

と、詩人:ホセ・モレーノ・ヴィリャは語っている。


研究に努力を重ねたダリは・・・

ついにヨーロッパの前衛的スタイルに辿りつく。

印象派を経た後、

彼は新印象派、

未来派、

キュビスムの実験を試みていたのだ。


展覧会で、

様々な表現方法の作品を発表したダリ、

その奇妙でごちゃ混ぜのスタイルは、

しばしば批判の対象となった。

​​​​​​​​​​

ダリ自身の視線は・・・妹:アナ・マリア上向き矢印

私的な肖像の連作にはっきりと出ている。

​『窓辺に立つ若い娘』​で、

彼はカダケスの海の景色を眺める妹を描いており、


灰色と青色で調和したこの作品は、

古典的で飾り気がない。


それぞれの要素は絶妙な均衡を保ち、

海岸線は水平に走る窓ガラスの桟と重なる一方で、

床板と窓枠や桟の配置が

消失点(遠近法・透視図法で透視した平行直線群が集中して一点となった点)

を決定している。


この整然とした世界の内側には・・・

​「異常なまでのリアリズム」​がある。


妹の髪から服のシワ、

窓ガラスに映る建物に至るまで、

彼はあらゆる要素を驚くほどの正確さで記録している。


その細部ひとつに向かう注意深い視線は・・・

まるで凍り付いてしまったような

「超現実的」な効果を生み出している。


​​1826年(22歳、​​彼の描く対象は、

家庭から再びカダケスの風景へと立ち戻ったのだが、

そこでも、

ダリは同じように強烈な自然主義表現で描いた。


サラ・ダルマウ・ギャラリーで開かれたダリの初個展で、

​ピカソ​『窓辺に立つ若い娘』​と出会う。


大いにこの作品を気に入った彼は、

友人の美術商:ポール・ローゼンバーグや、

ピエール・ロエブにダリを推薦し、

ロエブは最新作を観るためだけにスペインへと訪れた。


その美術商がダリの作品を買い付けることはなかったが、

その後もピカソは献身的にダリを支え続けた。


ダリがパリに居を移すと、

ピカソは再び彼の力になろうと、

今度は自分のパトロンである

ガートリード・スタインを紹介。


だがスタインとの出会いもまた、

ダリにとって実りあるものにはならなかった。


やがてピカソは用心深くなっていき、

この派手なシュルレアリストとの距離を置くようになる。


(参考資料:芸術家たちの素顔「僕はダリ」より)
(写真撮影:ほしのきらり)
 


妹アナにおとめ座​​
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最終更新日  2021.10.18 00:10:09
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