「きらりの旅日記」

2021/10/23(土)00:10

サルバドール・ダリ シュルレアリスム・・・とは? 1929年(25歳)〜1939年(35歳)シュルレアリスムの時代 シュルレアリスムとは、つまり私のことだ!

美術館・博物館(1927)

​​​​​​​​​​​​​​ダリは、25歳の時パリでシュルレアリスト・グループに加わり、27歳にはニューヨークでも人気が出てきます ​​​ダリ『シュルレアリスムの時代』​​​​  MOMA【ニューヨーク近代美術館】 ​​​​​サルバドール・ダリ ​Salvador Dali​ ​​ ダリの【自画像】 1904年5月11日〜1989年1月23日(84歳没) スペイン、カタルーニヤ地方フィゲーラス出身。 シュルレアリスムの代表的な画家・彫刻家・作家。 ​シュルレアリスムとは、つまり私のことだ!​    ダリ『天才の日記』より ​​1929年(25歳)​​ダリは・・・ ブルトン率いるパリの シュルレアリスム・グループに加わり、 運命の女:ガラと恋に落ちた その抜きんでた才能、 奇抜な着想とモティーフによる作品は、 一作ごとに賞賛と批判の的となり、 またたくまに シュルレアリスムを代表する存在となる ​​​​『シュルレアリスム』・・・とは?​​​​ 1924年、詩人:アンドレ・ブルトンの 「シュルレアリスム宣言」刊行によって始まった芸術運動。 ​​ 日本語では「超現実主義」と訳されるが、 シュル(sur)=超は、 「突きつめた」という意味を極度に強調したニュアンス。 目に見えない現実や、 見えている現実との矛盾(違和感)を突きつめて、 「真の現実」に触れることを目指し、 既成概念にとらわれない 夢や無意識の純粋な世界を すくい取って表現しようとした。 文学、美術、論理、政治、風俗など 様々な分野に大きな影響を与えた。 「現実離れした、非現実的な」の意味で使う 和製フランス語の「シュール」は、意味合いが異なる ​​​1925年(ダリ=21歳)​​​ ダリは、バルセロナでも著名なダルマウ画廊で、 初個展を開催し、注目を集めた。 ここでダリを高く評価したのが、 パブロ・ピカソと ​​​​​​ ジョアン・ミロである。 ​​ 特にカタルーニヤの同郷人でもあったミロは、 ダリに画家になることを強く勧め、 反対する父親を説得しにフィゲラスの家まで訪れている。 ​​1929年(25歳)​​ブルニエとともに制作した 映画「アンダルシアの犬」が、 ​​ アンドレ・プルトンを中心とする パリのシュルレアリストたちに大いなる賞賛を受けた。 これを期に、ダリとブニュエルは、 シュルレアリスト・グループに正式に迎えられることとなった。 この​1929年、​ダリに運命的な出会いがあった。 ​​​当時、ポール・エリュアール夫人であったガラである。​ エリュアール夫妻をはじめ ジュルレアリストの友人たちが カダケスの別荘に訪ねてきたこの年の夏 ダリは、ガラと情熱的な恋に落ちる​​ ふたりは、すぐに一緒に暮らし始め、 ​翌年​1930年​​には、 カダケスのひなびた漁港ポルト・リガトの 古家を新居兼アトリエとして購入している。​ ガラというミューズを​得てからの ​​1930年代は、ダリの最盛期となった。 ​​Salvador Dali(27歳)​​​ ​​​​​ ​1931年​​には、​『記憶の固執』をニューヨークのグループ展に出品。 ​これが大反響を呼び、 アメリカの美術界にも注目されるようになった。 間もなくダリは、 シュルリアリストの代名詞のごとくみなされるようになるが、 彼の常軌を逸した言動やパフォーマンスは、 グループから距離を置かれる要因となる。 ​​1939年(35歳)​​そうした自己顕示欲による行動が、 ブルトンの怒りを買い 一方でダリも、 「シュルリアリスムの死」を宣言したことを機に グループから除名されることに至った。 (参考文献:東京美術・もっと知りたいサルバドール・ダリより) (写真撮影:ほしのきらり)  ​​​ ダリにぽち​​​​​​​​​​​​​

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