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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

2021.10.24
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​シュルレアリスムの主なメンバーを紹介しておきましょう(^0^)ミロは、ダリと同郷で助けてくれた良い人です手書きハート

スマイル​​ダリとシュルレアリストたちメンバー紹介​​スマイル



ジョアン・ミロの彫刻『ムーンバード』1966年


​​​​サルバドール・ダリ
​Salvador Dali​

1904年5月11日〜1989年1月23日(84歳没)

スペイン、カタルーニヤ地方フィゲーラス出身。

シュルレアリスムの代表的な画家・彫刻家・作家。


自らの才能へ絶大なる自信と

神経症的不安を抱えたダリ。


一方、仲間となった​「シュルレアリスト」​たちは、

最前衛を標榜する強烈な個性ばかり!!


はたして、

グループに君臨する『法王』ブルトンと

ダリとの関係は軋みだす・・・ショック


​ダリと「シュルレアリスム」

「フロイト理論がバイブル」

​1924年、​​ブルトン

「シュルレアリスム宣言」刊行以降、 

ミロ、タンギーらも加わり、

シュルレアリスム運動は拡大していったグッド


​1929年、​​ダリはミロを通して、

パリのシュルレアリストたちに紹介される。


ダリの比類なき技量と

「偏執狂的・批判的方法」は、高く評価され、

グループに熱烈に受け容れられた。


だがやがて、

絵画表現の志向や政治的信条において

ブルトンと相容れず、軋轢が生じる。


ダリは

「グループによる制約は、

 自由な表現を求める

 本来のシュルレアリスムではない」

と断言し、​​​1939年​​​に除名された。


​ダリを助けた人と『シュルレアリスト』たち


パブロ・ピカソ
Pablo Ruiz Picasso


パブロ・ピカソ
Pablo Ruiz Picasso

1881年10月25日〜1973年4月8日(91歳没)

【ダリを助けた人物】

スペイン・マラガ生まれの画家・彫刻家・版画家。

バルセロナとマドリッドで美術を学ぶ。

パリで洗濯船に住み「青の時代」「バラ色の時代」を経て

キュビスムを創始、20世紀美術に大きな影響を与えた。


ダリの才能を早くから認め、援助も惜しまず、

ダリの初期作品にはピカソの影響が歴然としている。


初めてパリを訪れた時、

ダリが真っ先に向かったのもピカソのアトリエだった。

「かれはわたしの灯台だった。

 かれの目はわたしの指標であった」

  (「ダリの告白できない告白」より)

という言葉からも、

ダリにとって重要な人物であったことがわかる。


ジョアン・ミロ
Joan Miro i Ferra

​ジョアン・ミロ​
Joan Miro i Ferra

1893年4月20日〜1895年12月25日(90歳)

【ダリを助けた人物】

ダリと同郷=スペイン・カタルーニヤ地方出身の画家。

1920年にパリに出て、

自動記述の手法による独自のスタイルを確立。

1924年にシュルレアリスムのグループに加わる。 

ダリの才能をいち早く見抜き、

ダリが画家になることに反対していた

父親を説得するためフィゲラスまで赴いている。

手紙でも

「息子は輝いている。それは私の絶対の確信です」

と書き送るほどの熱意であった。

だがのちに、ダリはミロについて、

​「カタルーニャの農夫にしかすぎない」​

と厳しい評価をしている涙ぽろり


ルネ・マグリット
Rene Magritte

ルネ・マグリット
​Rene Magritte​

1898年11月21日〜1967年8月15日(68歳没)

【ダリの良きライバル】

ベルギーを代表するシュルレアリスムの画家。

1923年、ジュルジュ・デ・キリコや

マックス・エルンストの作品に衝撃を受け、

ベルギー・シュルレアリスム を結成。

1927年、パリで

アンドレ・ブルトンのグループと交流するが、

個人的な問題からブルトンと不和になり、

1930年、にパリを去る。

デパイズマンの手法をたくみに用い、

シュルレアリスム を代表する画家とされる。

その作風は、ダリとともに

のちのポップアートに大きな影響を与えた。

1029年夏、カダケスのダリの別荘を訪れた以外、

ダリと積極的に交友した記録はほとんどないが、

良きライバルであったと言える。




ポール・エリュアール
​Paul Eluard​

1895年12月14日〜1952年11月18日(56歳)

【ダリの妻ガラの前夫】

パリ近郊のサン・ドニに生まれる。

シュルレアリスムを代表する「詩人」

1912年、結核の療養で訪れたサナトリウムで

ロシア人女性ガラと出会い、1917年に結婚。

1919年、アンドレ・ブルトン創刊した

ダダの雑誌「文学」に参加。

1924年、シュルレアリスム運動に加わり、

ブルトンと共にグループの中核となる。

1922年、ガラと恋愛関係になった

友人:エルンストを自宅に迎える2年後に解消。

1929年夏、ガラはダリの元へ去る。

共産党に接近したことで1930年、ブルトンと決別。

1952年11月18日(56歳)パリで死去。


マックス・エルンスト
Max Ernst 

マックス・エルンスト
​Max Ernst​

1891年4月2日〜1976年4月1日(84歳)

【ドイツ人画家・彫刻家】

ボン大学で哲学、精神学、美術史を学ぶ。

第一次界大戦後、ケルン・ダダを創始。

このころ、雑誌の挿絵や切り抜きを無意識的に

貼り合わせ斬新なイメージ効果を生むコラージュを考案。

1922年、パリに移り、シュルレアリストらと交流。

1925年、木や石に紙をあて鉛筆で模様をこすり出す

フロッタージュ(転写)、それを絵の具に応用した

グラッタージュを考案。

これらの技法を駆使し、鳥、鬱蒼とした森、

太陽などを主題とする幻想的で神秘的な作品を制作。

シュルレアリスム芸術の可能性を広げた。



アンドレ・ブルトン
​Andre Breton​

1896年2月19日〜1966年9月28日(70歳没)

【フランスの詩人・文学者】

パリのダダ運動を経て、

1929年「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」を発表。

1930年代「シュルレアリスム 国際展」を各国で開催し、

運動を拡大発展させた。

1940年、アメリカに亡命するが、

1946年、パリに戻って運動を継続。

1966年、パリにて死去するまで

シュルレアリスム の理論的支柱として君臨し続けた。

ダリの才能と理論は高く評価し期待したが、

その政治的姿勢やスキャンダリズムが不興を買い、

除名処分にした。

ダリのアメリカでの華々しい成功にも

「ドル亡命」と呼んで痛烈に批判した。


イヴ・タンギー
YVES Tangy

イヴ・タンギー
Raymond georges Yves Tanguy

1900年1月5日〜1955年1月15日(55歳没)

【ダリの作品に影響を与えた人】

(無意識から生まれる生物的抽象画)

正規に美術教育を受けたことがなかったが、

1923年、偶然バスの中から画廊にかかる

ジョルジュ・デ・キリコの作品を見て

衝撃を受け、画家を志す。

親友のジャック・プレヴェールを通じて

アンドレ・ブルトンと知り合い、

シュルレアリスム運動に参加。

自動記述を実践して、

無限に広がる空虚な空間に、

鉱物や動植物を思わせる不定形な物体を

精密に描く独自の世界を確立。

ダリの絵画の背景にある荒涼な風景には、

タンギーの直接的な影響が見て取れる。

ダリが描こうとした夢の実現は、

タンギーの世界と最も近いところにあった。


ジョルジュ・デ・キリコ
Giorgio de Chirico

ジョルジュ・デ・キリコ
Giorgio de Chirico

1888年7月10日〜1978年11月20日(90歳没)

【ダリの作品に影響を与えた人】

ギリシャ生まれのイタリアの画家。

1906年、移り住んだドイツで、

ニーチェの思想に傾倒。

1911年〜1915年、パリの滞在中に

けいじじょうかいが
「形而上絵画」と呼ばれる作風を確立。

古代風の広場や塔と現代的事物が共存する夢幻的空間、

現実の背後に潜む非日常的な世界を描いた「形而上」作品は、

シュルレアリストたちに多大な影響を与えた。

特にダリは心の師と仰ぐほど心酔。

シュルレアリスムの最も重要な先駆者とされたが、

1920年以降、古典絵画に回帰したことを避難され、

1928年、グループを離れた。


月20世紀シュルレアリストたちの関係が理解できました星


カメラその作品は・・・明日にいっぱいお写真をカメラ


(参考文献:東京美術・もっと知りたいサルバドール・ダリより)
(写真撮影:ほしのきらり)



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最終更新日  2021.10.24 00:10:09
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