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カテゴリ:美術館・博物館
ファン・ゴッホとトゥールーズ・ロートレックは、本格的に画家の道を究めるべく学ぶのであります
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() Antwerpen ![]() 1886年、ゴッホ(33歳) 前年11月末、ヌエネンからアントウェルペンに出たゴッホは、 さっそく美術館通いをはじめ、 特に17世紀の巨匠ルーベンスの明るく豊かな色彩に魅せられ ![]() さらに、開放的な港町の情景、 そして日本の浮世絵版画に初めて接する ![]() フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ Vincent Willem van Gogh ![]() 1853年3月30日〜1890年7月29日(37歳没) 1月18日、ゴッホは、美術学校に入ったが、 彼の情熱的で奔放な描写は、 その規則的なアカデミックな教育にはついてゆけない ![]() 一方、夜間は、 フランツ・フィンクのアトリエで裸婦の勉強もしたが、 不十分な食事と過度の喫煙で疲れ切って病気になる。 彼のアントウェルペン滞在は、 もともとパリへ出るための一ステップであった。 2月に入ると、パリに行って コルモンのアトリエで学びたいとの意向をはっきり示している。 2月末日、あるいは3月1日、突然パリに着いた ![]() 彼が希望どおりにコルモンに入った月や日は判然としない。 また、そこをやめた時もはっきりしないが、 多分、3月から、せいぜい8月までの在籍だと思われる。 しかし、師コルモンの作風、 教え方の如何を問わず、 結果としてここは、 その後の新しい絵画の一つのるつぼになった。 ゴッホは、ここで、 その人たち・・・ エミール・ベルナール、ロートレック、 そしてルイ・アンクタン、ジョン・ラッセル等を知った ![]() その上、テオを通して、 モネ、ピサロ、シスレー、ドガ、ルノワール、スーラー、シニャック等、 印象派の画家たち、 その周辺の人たちや作品につぎつぎとなじみ、 一方彼らの刺戟も手伝って、 日本の浮世絵版画に開眼されて、 徐々に、あるいは大胆に明るさを増していった。 冬を迎えてから、 ポン・タヴェンからパリへ戻ったゴーガン と知り合った。 余談・ゴッホ【この年のエピソード】 ![]() 5月、ゴッホの母はヌエネンを去った。 その際、ゴッホが同地に残してあった作品を一括して、 ブレダの小さな商店に渡した。 のちに古物商に売られ、この古物商は、 無価値と思われるものを焼却し、 残りを1点10サンチームで売り払った。 大部分を仕立屋ムーウェンが買ったと思われる。 一方、パリではゴッホの目ざましい芸術開眼、 進展を認めながらも、彼との共同生活は、 献身的なまでに尽くす弟テオにとっては 次第に重荷になり、苦痛になった。 12月、ゴッホのいらだちはひどくなり、 その気難しい性格は、テオには耐え難くなる。 別々に生活したい・・・ その思いをテオは妹のウィレミーンに 「ほとんど、我慢ができない」と書く。 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec![]() 1864年11月24日〜1901年9月9日(36歳没) ロートレック(22歳)春、パリに出て コルモンのアトリエに入ったばかりの 「ゴッホ」に会い、親交を結ぶ ![]() ![]() この頃になると、ロートレックは コルモンのアトリエに通うことは、 むしろ少なくなっていた。 ロートレックの芸術が、ようやく成熟する時期であり、 印象派系の画家たちとの交友、理解は進み、 他方、ますます ![]() しかも、この年は印象派にとっても、 あらゆる意味で記念すべき年となった。 すなわち、最後の「印象派展」となった 第8回「印象派展」の開催であり、 ゴッホともロートレックとも深く結びつく、 そして次の世代の展開に大きなはずみを与えた スーラーの傑作 ![]() 『グランドジャット島の日曜日の午後』が出品された。 ゴーガン が初めて参加したのもこの第8回「印象派展」である。 1887年、ゴッホ(34歳)彼の展開はいよいよ進む。 パリで知った画家たちが示すあらゆる方法、 あらゆる技法を摂取する ![]() しかもそこから、彼自身を次第に鮮明にしてゆく。 春を迎えて、すでに馴染んでいた、 印象派画家たちの絵具屋であり、日本の浮世絵を扱う ![]() 画材店タンギー爺さんたちの店と、 そこを足場とする画家たちの一つのたまりとも言える、 イタリア女アゴスティーナの経営する 「カフェ・デュ・タン・ブラン」にはいよいよ足繁く通う。 そしてその店で展覧会を開く。 夏、ベルナールとパリ近郊で制作する。 スーラーの分割法を試みる、いや!それに熱中する・・・。 しかし、パリという大都会は、 結局ゴッホの神経を逆なでする。 ここでの二度目の ![]() ゴッホの孤独感、疲れは増幅するばかりである。 パリに出てから描き出したゴッホの「自画像」は、 ![]() 特にこの年になって多くなるが、 そこに、ゴッホの心の揺れを知るのである。 ロートレック(23歳) 友人の医師ブールジュとフォンテーヌ街のアパルトマンに住む (1893年、ブールジュが結婚するまで。)また、 トゥールラック街7番地の5階にアトリエをかまえる(1897年まで)。 このアトリエこそ、 ロートレック芸術の最盛期のすべてが息づく場所である。 そして、あのパステル画で ![]() 『ゴッホの肖像画』を描いたのは、この年の ![]() 23歳のロートレックと・・・ 34歳のゴッホ・・・。 すでにモンマルトルの画家として、 前衛画壇に羽ばたき出している画家と、 世間の注目には無縁に、 己れの脱皮を求めて、 いわば・・・ もがきつづける画家 ![]()
最終更新日
2021.12.01 05:36:26
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