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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2021.12.06
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カテゴリ:美術館・博物館
​​ロートレックはポスターを芸術にまでに高めたこの年には、モンマルトルで娼婦たちとの生活の中から多くの作品を描きますスマイル

Pari


スマイル​​ロートレックと女たちとの生活​​スマイル

​​​​​​​​​​​​​アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
​Henri de Toulouse-Lautrec​

1864年11月24日〜1901年9月9日(36歳没)

フランスの画家。前衛芸術家。
ポスト印象派、世紀末美術、アール・ヌーヴォー。
(ポスター)広告芸術の革新!
​​「近代」ポスターの真の創始者。
劇場を主題にしたリトグラフ・石版画。
舞台の装飾、芝居のパンフレットのデザイン。
版画、メニュー、挿絵 雑誌の表紙デザイン、
挿絵画家、版画家。
ポスターを芸術にまで高めた!


1893年、ロートレック(29歳)​

この年も多彩な年である!!

『ムーラン・ルージュから出るジェーン・アヴリル』は、

ロートレックの彼女に対する気持ちの

最も高揚のあらわれであるとともに、

すでに引き潮のきざしかもしれない?


イヴェット ・ギルベールが・・・

次第にロートレックの中に色を増したのもこの年である!!


2月、ジョワイヤンは・・・

テオから引き継いだブッソ・ヴァラドン画廊で、

ロートレックの個展を計画したが、

ロートレック自身の希望により、

当時売れっ子のポスター画家

シャルル・モーランとの二人展とした。


モンマルトルの生活風俗をテーマにした30余点を出品。

批評家たちの好評を博し、

ドガも評価した。

しかし、ドガは、買うのならモーランの作品をとうっしっし

友人にすすめている。

売れ行きはよく、

ブリュッセル、アントウェルペンからも出展依頼があったグッド


7月、それまで同居していた

医師ブルージュが結婚することになり、

母の家に移る(翌年1月、コーランクール街のアパルトマンに移る)


この年から翌年にかけてが、

キャバレーの情景、

芸人たち、

娼家の女たちを描いた最も多作の年である。


また「ラ・ルヴェ・ブランシュ」誌を主​宰​するナタソン兄弟と、

トリスタン・ベルナールをはじめとするその仲間たちと親しくなり、

彼らの一人に誘われて

コメディー・フランセーズに行ったのが病みつきとなり、

頻繁に通うようになった・・・

ロートレックと新しい演劇との結びつきであるグッド


一方、ホイッスラー のパリのアトリエに出入りして、

石版画の助言も受ける。


1894年、ロートレック(30歳)​

「二十人会展」に代わって、

オクターヴ・モーが、ブリュッセルで「自由美術サロン」を組織し、

ロートレックも招待された。

彼は、アンクタンクとともに行き、

ついでにオランダまで足を伸ばした。


パリでオスカー・ワイルドと知り合ったのもこの年である。

歌手:イヴェット ・ギルベールへの関心はいよいよ強まる!

彼女のために石版画集(16葉)を制作し、

「ル・リール」誌の挿絵にも彼女を描く。


また、デー・ムーラン街に豪奢な娼家が開店すると、

ロートレックは、すぐになじみ、

女たちとの生活に浸った。


前年度から、つづく最も多作な年であるこの年、

娼家の情景の集大成とも言える作品として

『ムーラン街のサロンにて』

(ロートレック美術館)蔵。を描いている。

それは、キャバレーの情景を描いた1891年の

『ムーラン・ルージュのポスター』や、

1892年の油絵

『ムーラン・ルージュにて』

同じような意味と存在をもつ作品であるグッド



(参考資料:朝日選書・嘉門安雄著・ゴッホとロートレックより)

(写真撮影:ほしのきらり)

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最終更新日  2021.12.06 00:10:10
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