「きらりの旅日記」

2021/12/28(火)00:10

カンディンスキー Russian Avant-garde ロシア・アヴァンギャルドの若者たちとカンディンスキー 4年間のロシア生活で何が起きたのか!? ロシアの事情

美術館・博物館(1927)

​​​​​​​​​​​​​カンディンスキーは、1918年〜1921年の4年間にロシアで何が起こったのでしょうか、彼の作品への影響は ロシア・サンクトペテルブルク   ワリシー・カンディンスキー ​Vassily Kandinsky​ ​​ 1866年12月4日〜1944年12月13日(78歳没) ロシア出身の画家・理論家。 抽象絵画の創始者。 ドイツ・フランスでも活躍。 ​1917年11月​、ロシア革命が起こり、 ソヴィエト政権が樹立された。 翌年1月に教育人民委員会(NKP)の下に 造形芸術・工芸芸術部(IZO)が創設されると、 カンディンスキーは、 ウラジミール・タトリン(1885年12月28日〜1953年5月31日) の招請に応じて委員に就任。 ​1920年12月、​故国を離れるまで、 彼は革命政権下でさまざまな文化・教育行政の要職に就き、 美術大学、 美術館、 博物館、 研究所などを一から作り直す事業にたずさわることになる。 それらの仕事を共にしたのが、 構成主義の生みの親と言っていいタトリンや、 シュプレマティスムの指導者:カジミール・マレーヴィチ (1879年2月23日〜1935年5月15日)をはじめとする ロシア・アヴァンギャルドの芸術家たち・・・ カンディンスキーよりもはるかに若い、 「芸術における精神的なもの」ロシア語抄訳(1914年)から 大いに刺戟を受けたであろう時代の作家たちであった。 とはいえ、 色彩や形体の科学的な分析を重んじながらも、 形式よりも内容に、 つまりそれらの内面的な響きに 絶対的な重きをおくカンディンスキーと、 「コンポジション」ではなく感覚性・芸術性を排した 「コントラクション」へと向かう彼らのあいだには、 やがて軋轢が生じはじめる 両者の対立が表面化したのが ​1920年12月、​NKP統括下の美術部長を集めた 第一回汎ロシア会議においてであった。 この年、 カンディンスキーの主導の下にモスクワに 芸術文化研究所(Inkhuk)が創設されたが、 彼の発表した活動プログラムがこの会議で否定され、 カンディンスキーは間もなく研究所をさるのである その辺りのロシア情勢は 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ​「ロシア・アヴァンギャルド関連年表」​ 1901年、ロシア社会民主革命結成。 ​1905年1月9日、​サンクト=ペテルブルクで起こった 労働者たちの請願デモに軍隊が発砲(血の日曜日事件)。 この事件を機にロシア第一革命勃発 ​​​1914年、​​​カンディンスキーがロシアに戻る(〜1921年)。 サラエボ事件が起こる! 第一次世界大戦勃発 ​1915年、​マレーヴィチが無対象絵画を、 タトリンが「カウンター・レリーフ」などの構成的作品を発表。 ​1917年、​ロシア革命勃発​​​​​​​ソヴィエト政権樹立。 ​1918年、​ソヴィエト憲法成立。 ​1920年、​ウラジミール・タトリンによる 「第三インターナショナル記念塔」計画が発表される。 ​1920年、​ロシア構成主義が台頭しはじめる。 カンディンスキー、シャガールがロシアを離れる。 レーニンが新経済政策を採用。 ​1922年、​スターリン、ソヴィエト共産党書記長に就任。 ソヴィエト社会主義共和国連邦成立。 ​1923年、​ウラジミール・マヤコフスキーがレフを結成。 ​1925年、​スターリンの権力成立。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 さて、カンディンスキーは・・・ 1918年からモスクワを去る1921年までの 4年間にわずか 24点(1919年は0点)の油絵しか描いていない。 革命政府の文化政策の立案などに忙殺されたためと思われるが とはいえ、 この時期のカンディンスキーが・・・ 大きな転機に差しかかっていたのも事実である。 これまでになく暗鬱な色調におおわれた 画面の中央にさまざまな形が凝集して、 画面が二重化しはじめ、やがて それらの形のあわいにしとい空間が・・・ いわば重力から解放された自由空間が・・・ 開けていく。 形の運動の全方位的な自由が確保されるなかで、 色も形も心理的陰影を含まない軽快なものに変わっていく。 ​​​Vassily Kandinsky​​​​ ​​ 『白の上に』1920年 そこには、 シュプレマティスムや構成主義の画面とも通じる 形の浮遊や、 滑空や、 旋回があるのである。 ニーナの回想「カンディンスキーとわたし」によると、 当時のモスクワの文化生活は、 惨憺たるものだったようだが、 画家は、 若い同僚たちの作品のなかに見るべきものを見、 そこから得るべきものを得ていたようである (参考資料:東京美術・もっと知りたいカンディンスキーより) (写真撮影:ほしのきらり)​ ​​ ​​カンディンスキーにぽち​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ ​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​

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