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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

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2022.01.20
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​ワシリー・カンディンスキーは、ロシア出身の画家で美術理論家で抽象絵画の創始者とされていている。モスクワ大学で法律と政治経済を学ぶも30歳で画家を志しドイツへ手書きハート


私もドイツ旅へ

ワシリー・カンディンスキー

Vassily Kandinsky

1866年12月4日〜1944年12月13日(78歳没)


彼はその『回想録』の中で語っている。

「私はデッサンすることが、

 私を時間と空間を超えた所に住まわせ、

 まるで自分が自分でないように

 感じられるようにしてくれたお陰で、

 あの不安な状態に

 終止符を打つことができた。」


思うにロシアの聖人伝説も

これと似た役割を果たしたであろう。


ここでもまたウラディミール、ゲオルギウス、

あるいはふたりの殉教聖人ボリスとグレブなど、

比較的少数の聖人が

カンディンスキーの作品の中に認められるが、

しかし、

『コンポジションVI』
​​


『コンポジションVII』

​​​​​などの彼の宗教的作品がロシア正教の

イコノグラフィーに深く根ざしていることは疑いをいれない。


彼は1913年の何点かの油彩画の中に、

これらコスクワのフレスコ画の

人物のモティーフを取り入れるだけでなく、

ロシア・イコンの超時間性、超空間性は、

疑いもなく彼の芸術に影響を及ぼしているのである。


カンディンスキーは、

非具象的な方法で形態の新しい世界を創造したが、

それは決して対象を欠いたものではなかった。


それが誕生した時、

新しい宗教的内容を表現したのは、

内的必然性から生まれた形態であった。


すでに1904年に

カンディンスキーは次のように書いているが、

これは単に芸術家としての彼の役割についての

考え方を明らかにしているだけでなく、

のちに彼が直面することになる

芸術上の問題の解決の足がかりの大略をも示している。


「もし運よく私に十分な時間が与えられたら、

 私は不滅でしかも絶えず自己を

 より豊かにしてゆくような

 新しい国際的な言語を発見できるだろう。

 しかもその名は

 『エスペラント』ではないだろう。

 その名は絵画・・・濫用されてきた

 この古い言葉・・・であるだろう。

 それは写し絵と呼んでも

 いいものだったかも知れない。

 今まではもっぱら模倣で

 それは成り立っていたのだから。

 色彩がコンポジションとして使われることは

 ほとんどなかったのである。

(仮にあったとしてもそれは無意識的なものだった)」。


『青い山』1908年〜1909年 ​ソロモン・R.グッゲンハイム美術館所蔵。​


カンディンスキーの生涯と芸術を総合的に理解するためには、


彼の最大の関心事は、

形態それ自体の問題ではなく、

いかにして新しい内容を

それにふさわしい形で表現するかの

問題であったことを知る必要がある。


すでに述べたようにこの新しい内容とは?

ラファエロにおける「あるイデー」、

つまり一定の、

しかしまだ規定されていないイメージに近いものであった。

それは、

ドイツ・ロマン派の詩人のあの魔術的な

「青い花」にも比すべきヴィジョン、

カンディンスキーにしばしば、

​​​​「形のない何かを形あるものにすることは可能でろうか?」

というドフトエフスキーの問いを

思い出させたに違いないヴィジョンであった。​


『白、柔らかく、そして堅く』1932年 カンヴァスに混合技法 80.0cmx100.0cm


19世紀後半のロシアで様々な形をとって現れた

黙示録的な精神状態の影響下に、

また近い将来(「第三の啓示」の力で)、

精神が優位に立つことを信じることで、

彼の関心はいわゆる「四終」に集中した。


彼はその著作の中で、

滅びゆく時代と新しい時代の誕生に際して、

運命によって予め決められた自分の場所について

しばしば語っている。


1910年〜1914年にかけての彼の作品は、

この点を十分に裏付けている。

神学的にも、芸術的見地からも

ほとんど考えられないことであるが、

(カンディンスキーが想像したような)大洪水、最後の審判、

それに復活を総合して視覚的に表現することは少なくとも初めは

「形のない」何かのように思われたに違いない。


その上、使用言語は国際的に通用し、

また最も重要な伝達手段は色彩であるべきであった。


にもかかわらず、

預言者的な熱意に燃え、

また自分で課した課題に倦むことなく取り組みながら、


自分の作品の理論的ならびに

実践的な側面の研究に多大の努力を注ぐことにより、

カンディエンスキーはついに、

その内実が存在理由となりうるような

絵画の創造に成功したのである。


この成功の秘密は第一に、

与えられた視覚的事実を、

短縮化と象形文字化の過程において抽象することにあった。


第二に、

色彩に内在する力を抽出することにあった。


これらの作品は、

その明らかな芸術的存在感にも関わらず、

理解することは容易ではない。


また実際、

カンディンスキーの作品の多くが

いまだ満足に解明されないままに残っているのである。

(参考文献:Kandinsky TEXT BY HANS K.ROETHEL
   IN COLLABORATION WITH JEAN K.BENJAMINより)
(写真撮影:ほしのきらり)


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最終更新日  2022.01.20 00:10:09
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