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「きらりの旅日記」

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プロフィール


ほしのきらり。

2022.01.24
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​世界のあちこちに旅した幸せな時代を思い起こしては、ため息の毎日であります泣き笑いが・・・自宅で学ぶことも有意義な時間だと考えております。

 ニューヨーク「メトロポリタン美術館」にて買い物三昧手書きハート

​Vassily Kandinsky​
ワシリー・カンディンスキー

1896年12月4日〜1944年12月13日(78歳没)

ロシア出身の画家・理論家・美術評論家

抽象絵画の創始者。

ドイツ・フランスでも大活躍。


1896年にミュンヘンに着いたカンディンスキーが、

まず直面したのは・・・

カンディンスキー自身の言葉を借りれば、

「私を真の芸術から隔てていた壁」

をとり壊すことであった。


アントン・アズベの私塾での生きたモデルの研究、

モリエ教授による解剖学講座、

美術アカデミーでの

フランツ・フォン・シュトゥックによるデッサン教室、

衣装の歴史の本の挿絵の模写、

さらに古今の芸術論、

色彩論の購読などがそれであった。


しかしながら、

こうした技術的協力や知的研究も、

1900年前後名声の絶頂にあった

アーノルト・ベックリン(1827-1901)が、

カンディンスキーに及ぼした影響に比べれば

物の数ではなかった!!


ミュンヘンは、ベックリン崇拝の「神殿」であった。

その影響は一義的なものにとどまらず、

またこれを様式研究中心の

美術史的観点から説明することもできない。


プッサンと古代のかかわり方のように、

ベックリンとカンディンスキーの関係は・・・

物質的というよりは精神的なものであった。


ふたりは、一度も会ったことがなかった。


カンディンスキーによればベックリンの芸術は、

新しい意味内容にみち、

とりわけ戦争についての終末的なヴィジョンと

幻想的なイメージで注目される

ロマンティックな芸術であった。


ベックリンをして、

半印象主義運動のリーダーたらしめ、

またいわゆる

「芸術のための芸術」の対立者たらしめたのは、

何よりもその色彩の用いかたにあった。


カンディンスキーにとって、

ベックリンは詩的ヴィジョンと

独自の形態感覚をそなえた画家であった。


彼はベックリンが好んで用いた「写し絵」「即興」など、

いくつかの用語を採用さえした。

Vassily Kandinsky
​​​1866年-1944年
Im provisation XIV,1910『即興 HIV』​​1910年


また『芸術における精神的なもの』の中で彼は、

ベックリンを外的形式の中に

内的な意味を探求した画家のひとりとしてあげ、

次のように述べている

「ベックリンは

 その印象的なイデーを

 極めて物質的で、

 量感豊かな形態に包むことで

 神話とメルヘンの世界を捗猟した。」


1901年、カンディンスキーは・・・

のちにその会長ともなった

ファランクス団の創立メンバーのひとりとなり、

美術学校を開き、

(カンディンスキーはここでダブルハートガブリエーレ ・ミュンターと出会う)

グループ展を開催した。


カンディンスキーは、

1900年〜1907年頃にかけ

ミュンヘンおよびその周辺で小品の風景を描いたが、

これらが正当な評価に浴した事はなかった。


この後の抽象絵画と比較しながら、

批評家たちはこれらを単に

手と眼の修練に過ぎないとして片付けた。


しかし、これらを単独に眺めれば、

そこには画家の極めて感受性豊かなヴィジョンと、

驚くほど変化に富むパレットがうかがえる。


これらの作品は、

カンディンスキーは画家としての才能に欠けていたから

抽象絵画を始めたのだという・・・

かつて唱えられたことのある有力な反証である。


ここに見られる絵筆、

およびそれ以上にパレットナイフの使い方は、

その後の構成主義的な作品を予告している。


クレーがその『日記』の中で、

フランツ・フォン・シュトックのもとで、

共に学んだ日々を回想しながら述べているように、

「カンディンスキーは無言で、

 極めて熱心に、

 またその頃の私にはそう見えたのが、

 一種の学者らしきをもって

 パレットの上で絵の具をまぜたものだった」。


これらの作品の特徴を当時の基準に照らして見る限り、

それらが、想定的に言って、

印象主義からも、

外光派の絵画からも、

等しく異なっていることに驚かされる。


カンディンスキーの初期の木版画と同様に、

それらは彼が真の芸術と考えたものを実現するための

個性的な様式を池に熱心に追求したかを明らかにしている。


驚くべきことに、1913年にはすでに

ドイツの批評家ヴィルヘルム・ハウゼンシュタインが、

「嵐」誌の中でこれらの作品について

次のように語っているのである。

「そもそもの初めから小品の風景には、

 全く独自の深みがある。

 それらはリアスティックではあるが、

 しかしどこかリアリティーから離れて、

 主題を超えた形而上的な意味を

 有しているように思えるのである」

Vassily Kandinsky​
Mosca 1866-Neully-sur-Seine 1944

​​​​​
​​Sunday-old pussia,
​1904-1905
Woodcut on paper


1902年から 1906年〜1907年にかけ、

とりわけ彼が「着色したデッサン」と呼んだ絵において、

カンディンスキーは黒または暗灰色の紙を好んで使い、

これに一筆ずつ、一種のモザイク様式で色をつけていった。


こうした技法による最大の傑作は、

1907年の『色とりどりの人生』である。

その暗い背景は中小の第一歩と見ることができる。


それは夜でもなく空間でもなく、

中性的な地を、中小的な面を表すもので、

そこでいわば非肉体化された人物は、

着色された線的な構造体として動いているのである。


木版画について言えば・・・

これらはカンディンスキーの芸術的成長にとって、

ふたつの点で大きな意味をもっていた。

そのテーマは、

一見自明のもののように見えるが、

ここでもまたその意味は、

表面的なものを超えたところにある。


その題名はいかにも控え目なものが多い。

つまりそこには常にそれ以上の、

また時には予想外の感動や連想が隠されているのである。


カンディンスキーの人と作品について、

最も特徴的な事は・・・

そこでは可視的な事実が不可視的な

何かを伝えるための架け橋にすぎない、

ということである。


カンディンスキーの版画作品のもう一つの特徴は・・・

その形態的な面があるが、

これも、言うまでもなく、

第一の特徴と分かちがたく結びついている。


それは一定の黒い、

あるいは白い面における曖昧性で、

これらは時によりポジティヴな、

あるいはネガティヴな形態と映るのである。


つまり前景と光景の間には互換性が生じ、

それにより、

のちのカンディンスキーの抽象絵画にあって

極めて重要な意味をもつことになるパターンの

相互関係が確立されてゆくのである。


言い換えれば、

こうした特色は結果的には

対立法的な調和ある統一を生み、

そこでは黒い面と白い面という

一見対立的なパテーンが、

例えば大洪水と復活という

やはり対立的なテーマと同じ精神で並び合っているのである。


(参考文献:Kandinsky TEXT BY HANS K.ROETHEL
   IN COLLABORATION WITH JEAN K.BENJAMINより)

(写真撮影:ほしのきらり)



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最終更新日  2022.01.24 00:10:07
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