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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

2022.01.28
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カテゴリ:美術館・博物館
​​​​​​​​​​​​​​​​​​ワシリー・カンディンスキーはドイツのワイマールに行き「バウハウス」の教授となりますスマイルスマイル親友クレーとの活動を知りたいです。

Vassily Kandinsky​

En el ovalo claro 1925

In the Bright oval

Oleo sobre carton

スペイン・マドリッド「ティッセン・ボルネミッサ美術館』所蔵。


​​Vassily Kandinsky​
ワシリー・カンディンスキー

1866年12月4日〜1944年12月13日(78歳没)
ロシア出身の画家・絵画評論家・理論家。
抽象絵画の創始者と称された。

​Paul Klee​
パウル・クレー

1879年12月18日〜1940年6月29日(60歳没)
20世紀のスイスの画家・美術理論家。


1921年12月、​カンディンスキーはドイツに戻った。​

ベルリンに6ヶ月住んだ後、

1922年6月​ワイマールに行き、

グロピウス​が1919年に創立した

美術学校「バウハウス」の教授に就任した。

これは教育者としての

彼の経歴の頂点を示す出来事であった。​



彼はドイツの他の前衛芸術家、

とりわけ​親友のパウル・クレーと共に、

若い世代を教え、導きながら

生涯にわたる実験的な試みを展開してみせた。


バウハウスの最大の目標は・・・

19世紀に生じた職人的な技術と

芸術とのギャップを埋めることであった。


具体的には・・・

用いられる素材の特性を尊重しながら、​​

創造的な仕事をするという原理に立ち返ること、

科学技術の成果を摂取し、

これから逃げないこと、

模倣は絶対しないこと、

芸術の法則を学ぶこと、

あるいはアカデミックな意味での

教室というよりは工房に学ばせることにより、

徒弟から一人前の職人になれるような

学生に創造への意欲をもたせること、

などがその狙いであった。


こうして​グロピウスが実現したのは、

中世の石工組合の伝統の一部と、

ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』の

「教育の国」に述べられるような原理とを統合した

近代的な美術学校であった。


それだけでなく、この学校は、

ウイリアム・モリスがイギリスで、

のちにアンリ・ファン・フェルデがワイマールで始めた

近代美術革新運動の思想にも負うところが多かった。


要するにバウハウスは、

単なる学校以上のもので、

いわば若い世代の

新しい生活様式の温床ともいえるものであった。


カンディンスキーにとって、

それは単に伝記的な意味からだけでなく

(彼はその生活様式を変えることはなかったが)、

芸術的な再生という意味からも、

新しい生活の始まりであった。


ワイマールのこの進歩的な学校の

活気にみちた雰囲気に刺激されたカンディンスキーは、

彼がその後死ぬまで描き続けることになる

あのきびしい美しさと抑制された熱情、

それを秀抜な技術を特色とする

多くの作品を描き始めた。


戦前の彼の作品は、

抽象的ではあっても多くの意味を含んでいたのに対し、

戦後の作品は、

前にも増して謎めいたものとなり、

その結果生まれた非具象的な形態は、

美的にはこれを見、

理解することはできても、

言葉でこれを理解することはできない。

とはいえここにもまた、

かつて用いられた

多少再現的なパターンのいくつかは用いられている。


たとえば馬上の人を表す一種の象形文字、

「トロイカ」を表す三本の波形の平行線、

中央に長い垂直線とこれに交わる二本の水平線のある、

舟のような形の仰向けの半円形、

あるいは漕ぎ手を表す簡略な記号、などである。

『回想』にはこれらすべてが登場している。​


1921年にモスクワで描かれた『多色の円』で、

純幾何学的な円を初めて使って以来、

バウハウス時代の彼の作品は線、

鋭角(または鈍角)の線、

三角形、円、半円、正方形、長方形などの

極めて単純で簡素な形態で構成されるようになった。

​​
Trente,1937


この頃のカンディンスキーが、

非ユークリッド幾何学的な構成をつくるのに、

ほとんど常に定規やコンパスを用いたのは当然であった。


この種の禁欲的な様式にふさわしく、

ここには厚塗りは一切見られない。

それぞれの面は薄い絵具の層で塗られているだけである。


しかしながら、一見冷やかでまた

いわば極めて几帳面でありながら、

これら極めて複雑なコンポジションは、

画家の熱っぽく、

高揚した精神を発揮している。

その「秘密」はいぜん神秘的な形で

それらの中にひそんでいる。


バウハウス時代の

カンディンスキーの作品を特徴づけるのは、

精神性と数学的な法則のふたつである。


1927年に刊行された彼の

『点・線・面』はこうした作品に理論的に対応するものである。


カンディンスキーとクレーの素晴らしい友情を

言葉で説明をするのは不可能である。


カンディンスキーは・・・

かつてミュンヘンで青騎士の第二回展

クレーの参加を呼びかけ、

またクレーのデッサンをその『年鑑』に掲載して以来、

彼とは知り合いであった。


それはライヴァル意識なき友情であり、

常に交換し合い、

ふたりが共に与える側にも受ける側にも立つ関係であった。


クレーの作品が、

カンディンスキーの影響を受けたこともあったし、

またその逆もあった。


ふたりが互いをたたえ合って、

時にはユーモアをもって、

また時にはいたって真面目に、

相手のために描いたように思えるケースもしばしばあった。


これらふたりの画家のヒエログリフのような作品は、

これらを見る多くの人に、

ニュー・カレドニアの貝殻の表面に刻まれた

謎めいた文字を思い起こさせるであろう。

しかしながら、

これらの記号は、

単なる伝達手段にすぎないように思えるのに対し、

クレーとカンディンスキーの謎めいた形態は、

実際には意味深い略符号であり、

あの非分化的な風変わりな象徴的表現とは正反対のものである。


ふたりはワイマールで、

またのちにデッサウでバウハウスの教授として、

共通の職務を全うしたのみならず、

自分自身の作品を分析するのに

熱心であったという点でも共通していた。


(参考文献:Kandinsky TEXT BY HANS K.ROETHEL
   IN COLLABORATION WITH JEAN K.BENJAMINより)

(写真撮影:ほしのきらり)

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最終更新日  2022.01.28 00:10:09
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