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カテゴリ:美術館・博物館
世界一有名が絵画といえば『モナ・リザ』です。モナ・リザの歴史は、案外知られていませんね
![]() レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci Vinci,1452-Amboise,1519 ![]() 『モナ・リザ』(ラ・ジョコンダ) 1503年〜1507年 板に描かれた油彩 77.0cmx53.0cm レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci ![]() 1452年4月15日〜1519年5月2日(67歳没) フィレンツェ共和国ヴィンチ村→フランス王国アンボワーズ レオナルドの功績は、鏡文字・音楽・建築・料理・美学 数学・幾何学・生理学・組織学・解剖学・美術解剖学 人体解剖学・動物解剖学・植物解剖学・博物学・動物学 植物学・鉱物学・天文学・気象学・地質学・地理学・物理学 科学・工学・流体力学・水理学・空気力学・飛行力学 飛行機の安定・航空力学・航空工学・自動車工学・材料工学 土木工学・軍事工学・潜水服などの分野に顕著な業績を残す。 【代表作】 『モナ・リザ』『最後の晩餐』『ウィトルウィウス的人体図』 フランス語では、ラ・ジョコンダで〜す ![]() ![]() 1517年、 アントニオ・デ・ベアーティスが、 アラゴンの枢機卿と一緒に フランスのレオナルドの画質を訪問したとき、 彼はそこで3点の絵。 すなわち ![]() 『洗礼者ヨハネ』 ![]() 『聖アンナと聖母子』 そして、 ![]() 『故ジュリアーノ・デ・メディチの懇望によって描かれた、 さるフィレンツェの婦人』 の肖像画を ![]() ジュリアーノといえば・・・ ローマで、 1513年から彼が死んだ1516年まで、 レオナルドの ![]() パトロンと年代をめぐる 紛れもない喰い違いにもかかわらず、 この肖像画は・・・ 1世代後にヴァザリーが記述した 『モナ・リザ』であると信じられている。 モデルを・・・ フィレンツェ人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻と 紹介した最初の者は彼であり、 それに加えてヴァサリーは、 『モナ・リザ』が、1503年に着手され、 1507年に仕上げられたこと、 そしてそれがかつて フランソワ1世に所蔵されていたことを示唆した。 ![]() すなわち1625年、 フォンテンブローで1点の婦人肖像画を見て ![]() 彼女を「ジョコンダとかいう人」と認知した カッシアーノ・ダル・ポッツァによって確認された。 『モナ・リザ』のその後の歴史は比較的単純である。 つまりそれは・・・ 1805年まで ![]() その年にパリのルーヴル美術館に入った。 『モナ・リザ』は・・・ 信じ難い精妙さ、 透明さ、 輝きを覆い隠している 埃(ほこり)とニスの層で覆われている。 人は損傷を恐れて 敢えてこの肖像画を洗浄しようとはしないので、 われわれは赤外線写真によって、 レオナルドが賦与した原作の 筆致の明るさ、 肉づけの豊富さ、 光と影の精妙極まりない諧調、 そして、 顔の囲りに大気のヴェールの幻影を生み出している 模倣を許さぬ表面処理の概念を かろうじてわずかに得られるだけである。 さらに赤外線写真は、 風景の真の性格を明らかにしている。 すなわちそこに見られる諸形態は、 肉眼で見えるような 硬くて重い不自然な噴出物ではない。 反対にそれは、 実際にかすみとなって蒸発する 微妙な沫(あわ)のような自然の要素なのである。 風景は・・・ 画面右端で橋の形をとった 唯一の人間存在の証拠すら 痕跡化している神秘的な、 忘れ難い場所である。 (写真撮影:ほしのきらり) (参考文献:LEONARDO DA VINCI日本語版/美術出版社より) ![]() ジョコンダに ![]() ![]() ![]()
最終更新日
2022.06.04 17:10:51
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