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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2022.06.30
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カテゴリ:美術館・博物館
レオナルド・ダ・ヴィンチの聖アンナと聖母子と洗礼者ヨハネが描かれた元々の「バーリントン・ハウス・カルトン」について詳しく調べてみましたスマイル


​『聖アンナと聖母子、洗礼者ヨハネ』​

[バーリントン・ハウス・カルトン]

1500年〜1502年頃、

紙(カンヴァスに表装)に木炭、白チョーク

141.5cmx106.5cm

ロンドン「ナショナル・ギャラリー」所蔵。



カルトン[バーリントン・ハウス・カルトン]は、

レオナルデスキのひとり:ベルナルディーノ・ルイーニが、

所蔵していた。

その長子:アウレリオのもとにあった

本カルトンについては、

ジャン・パオロ・ロマッツォによって記録されている。

「聖アンナのカルトンは、

 その後フランスに移っていたが、

 今はミラノの画家:アウレリオ・ルイーノのところにある

(Cartone della Santa Anna,

  che fu poi transferito in Fraancia,


  & hora si trova in Mirlano apperesso 


 Aurelio Louino pittore)」


ルイーニは、この下絵に基づき、

聖ヨセフを右端につけ加えた以外は、

カルトンに充実な彩色を残している。

​制作年代は、1530年頃と考えられる。​


このことからも、

ルイーニが所持していたのは・・・

[バーリントン・ハウス・カルトン]であるのは確実だ。


ルイーニが、

レオナルドの直接の弟子かどうかは

議論の対象であるが、

もし直接レオナルドから

同カルトンを譲り受けたなら、

レオナルドが、

ローマに行く1513年以前のことだろう。

もしくは、

フランスから戻ってきた他の素描や手稿とともに、

レオナルドの死後入手したかのどちらかである。


ロマッツォは、

執事には盲目ながらも、

基本的にかつて実見したもの、

あるいは実際に取材して得た

情報を伝聞情報に加えて買いているので、

[バーリントン・ハウス・カルトン]が、

フランスにあったとの記述も

信頼性は比較的高いものと考えてもよい。


同カルトンは多くの手稿と同じように、

その後ポンペオ・レオーニが手に入れ、

ミラノのアルコナーティなど

いくつかの所有者を経て、

1779年に英国の王立美術館アカデミーに入った。


本カルトンが

[バーリントン・ハウス・カルトン]と呼ばれるのは、

同アカデミーが

ロンドンのバーリントン・ハウスにあったためである。

なお、本系統に属する

レオナルデスキ作品群​
は、

非常に多く、周辺の派生作品を合わせると

100点ほどになる。

そのためここではそれらのリストアップはできないが、

レオナルド・ダ・ヴィンチ
​​Leonardo da Vinci​​
Vinci,1452-Amboise,1519

​Saint Anne,la Vierge et
I'Enfant Jouant avec un agneau,
dite La Sainte Annc.
Vers 1508-1519 
『聖アンナと聖母子』
ルーヴル美術館所蔵。
[ルーヴル彩色画]
​​

それらのなかにルーヴルの彩色画と似た上向き矢印構図のものと、


​​[バーリントン・ハウス・カルトン]​​に似た構図のものとが

いずれも多く含まれる点では無視できない。

つまり、それら両方とも

(そして彩色画についてはその下絵となったカルトンも)

レオナルデスキたちの目に触れる場所にあったことを意味する。


また、1512年から1530年にかけて

書かれたと考えられている

アントニオ・ビッリの「覚書」にも、

​「聖母と聖アンナ(Nostra Donna et Santa Anna)」​

を描いた

​「デッサン(disegni)」​で、

​「フランスに行ってしまった」​と書かれている。


この記述部分は、

1525年〜1530年にかけて書かれたと思われる。

そして、

「デッサン」と記述されてはいるが・・・

ひょっとして、

ビッリが彩色画を誤って素描と書いた可能性もある。


というのも、

ヴァサリーにも言えることだが、

ビッリは対象作品が、

フランスに行ってしまった後で書いているので

現物を目にしたのではなく、

伝聞によって得た情報をもとに書いている。

その点で、

本作品に関して最も信頼性があるのは

ノヴェッラーラ神父の報告書簡ということになる。


同様の記述は、『マリアベキアーノ文書』

(アノニモ・ガッディアーノ)にもある。

書かれたのは1537年〜1547年頃だが、

「無数のすばらしいデッサンを

 いくつか描いており、


 そのうち聖母と聖アンナ(を描いたもの)は、

 フランスに行った・・・

(Fese infinitj disegnj,

 cose marauigliose,

 et ingra li altrj una Nose Donna et una Santa Anna,

 ch'ando in Francia)」

と書かれている。



【カルトンと彩色画】

さて、これまでの情報から・・・

描かれた主要モティーフ部分だけを取り出して

記述順に並べてみましょう。


●《カルトン》聖アンナ、聖母、イエス、子羊:

 ノヴェッラーラ報告書(実見。1501年4月イタリアのフィレンツェ)


●《彩色画》聖アンナ、聖母、イエス、?:

 デ・ベアテイスの記録(実見。1517年にフランス)


●《カルトン》聖アンナ、聖母、?:

 ビッリの覚書(伝聞。1527年〜1530年、作品はフランスにある)


●《カルトン》聖アンナ、聖母、?:

 マリアベキアーノ文書(伝門。1537年〜1547年、作品はフランスにある)


●《カルトン》聖アンナ、聖母、イエス、子羊、洗礼者ヨハネ:

 ヴァサリー(伝聞。フィレンツェでの公開は1501年。

 記述は、1540年代、作品はフランスにある)


●《カルトン》聖アンナ、?:

 ロマッツォ(実見。フランス後の1530年までは

 イタリアのルイーニ邸に。記述は1570年代)



そして現存二作品も同様に表すと以下のようになる。

●《彩色画》聖アンナ、聖母、イエス、子羊


●《カルトン》聖アンナ、聖母、イエス、洗礼者ヨハネ:

 〈バーリントン・ハウス・カルトン〉


ここから、以上のことが得られる。

●ノヴェッラーラの記述が最も信頼性が高いことを考えると、

 彼が見たカルトンは

〈バーリントン・ハウス・カルトン〉ではない。


●二枚のカルトンは、主題がよく似ているため、

 同じ注文に対する準備段階で

 順に描かれたものかもしれない。


●ノヴェッラーラのカルトンは、

 モティーフが一致している

 ルーヴ彩色画の下絵である可能性が高い。


●ノヴェッラーラのカルトンは、

 1501年の春に描かれている。


●ルーヴル彩色画も

〈バーリントン・ハウス・カルトン〉も、

「子羊と洗礼者ヨハネのどちらか一方」なので、

「その両方」とするヴァザーリの記述は疑ってかかる必要がある。


●つまり、ヴァザーリが聞いた、

 アヌンツィアータで公開されたカルトンは、

 ノヴェッラーラのカルトンと

〈バーリントン・ハウス・カルトン〉のどちらの可能性も否定できない。


●ルーヴル彩色画は、

 おそらくノヴェッラーラのカルトンに基づき、

 1517年以前に描かれている。


●〈バーリントン・ハウス・カルトン〉は、

 フランス経由で1530年以前に

 ミラノのルイーニが入手している。


●ヴァザーリ、ビッリ、アノニモのいずれのカルトンも

 フランスにあって、彼らは現物を見ていない。

 また、レオナルドとともにフランスに行った

 ルーヴル彩色画ではあるが、

 レオナルデスキに模写や派生作品が多いため、

 ノヴェッラーラのカルトンも

 多くのレオナルドデスキ の目に触れている。


以上のことから、

ヴァザーリが言及したカルトンを手掛かりに、

次のA.B.ふたつのケースが考えられる。


A.ヴァザーリが聞いた公開カルトンが
 ノヴェッラーラのカルトンである場合:

●ノヴェッラーラのカルトン:

 1501年に制作されて(ノヴェッラーラ)、

 公開される(ヴァサリー)→この下絵に基づき

 ルーヴル彩色画が制作される→フランスへ→その後行方不明。


●ルーヴル彩色画:

 ノヴェッラーラのカルトンに基づき制作→

 レオナルドとともにフランスへ(デ・ベアティス)→

 ルーヴルへ。


●〈バーリントン・ハウス・カルトン〉は、

 彩色画に採用されたのがノヴェッラーラのカルトンなので、

 その前に制作されて不採用になったか、あるいは

 上記二点とは別の注文のために準備された可能性もある:

 1501年以前、あるいは後年に制作→

 この下絵に基づき、工房でレオナルデスキによって

 派生作品が多く制作される→

 フランスへ→ルイーニが所蔵(ロマッツォ)→ロンドンへ。


B.ヴァサリーが聞いたカルトンが
〈バーリントン・ハウス・カルトン〉である場合:

〈バーリントン・ハウス・カルトン〉:

 1501年以前に制作されて、公開される→

 その後、工房で派生作品が制作される→

 フランスへ→ルイーニが所蔵→ロンドンへ。


●ノヴェッラーラのカルトン:

〈バーリントン・ハウス・カルトン〉公開後に制作されて、

 これに基づきルーヴル彩色画が制作される→

 その後行方不明。


●ルーヴル彩色画:

 ノヴェッラーラのカルトンに基づき制作→

 レオナルドとともにフランスへ→ルーヴルへ。


現存に作品の制作年代については、

非常に多くの説があり、

ここでは割愛せざるをえないが・・・

ルーヴル彩色画がおおよそ

1502年〜1516年頃で一致をみているのに対し、


〈バーリントン・ハウス・カルトン〉のそれは錯綜していて、

1499年〜1550年頃、

1501年〜1505年頃、

1508年〜1509年頃の

三つのおおよそ分けることができる。


筆者はそのうち、

フィリピーノ・リッピの〈音楽の寓意〉

(1502年完成、フィレンツェ、

 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会ストロッツィ礼拝堂)や

ミケランジェロの素描などが、

〈バーリントン・ハウス・カルトン〉を着想源のひとつとするとの

ヴァッサーマンによる指摘が妥当と考えている。


ミケランジェロ素描は、

レオナルドの同カルトンにおける

マリアとイエスの顔の位置を忠実に模している。


それらの位置関係は、

ルーヴル彩色画におけるそれとは異なる。

よって、

諸説入り乱れる

​〈バーリントン・ハウス・カルトン〉の制作年代について、​

いまだ確定はできないものの、現時点では・・・

​「1502年頃」にはできていた​ものとしておきたい。


​ルーヴル彩色画の制作年代は・・・​
 
A.B.いずれの場合も、

1502年以降、

フランスに持っていく

1516年までの時期
としてよい。

一方、

〈バーリントン・ハウス・カルトン〉の方は、​

A.の場合には、1500年〜1502年頃、

B.の場合には、1500年頃となるので、

どちらもカヴァーできる

1500年〜1502年頃と現時点ではしておきたい。


レオナルド・ダ・ヴィンチ
​Leonardo da Vinci​

1452年4月15日〜1519年5月2日(67歳没)

フィレンツェ共和国ヴィンチ村〜フランス王国アンボワーズ

(写真撮影:ほしのきらり)
(参考文献:筑摩書房/池上英洋、レオナルド・ダ・ヴィンチ生涯と芸術のすべてより)


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最終更新日  2022.06.30 00:10:14
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