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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

2022.07.03
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カテゴリ:美術館・博物館
美しい​「レダと白鳥」は、レオナルド・ダ・ヴィンチの女性観を示す一例でありますスマイル

LEONARDO copia da

​Leda​

Primo venticin uennio del sevolo XVI

TEMPERA SU TAVOLA CM 115x86

​​『レダと白鳥』​(​ボルゲーゼのレダ​)​

ローマ「ボルゲーゼ美術館」所蔵。


作者不詳の古代詩集「ホメロス(風)賛歌」における

「ディオスクーロイ」では、

レダが生んだ子として、

ディオスクーロイのふたりしか登場しない。


後述するように、

レオナルド派による〈レダ〉の作品群には、

レダのもとに卵がふたつあるものと、

ひとしか描かれていないものがある。


レオナルドが、

レダを好んで採り上げた動機については、

第一部で推測したが、

彼の女性観を示す一例として興味深い。

以下、

関連作品を見ていくが、

量も多く煩雑に過ぎることを避けるため、

特にここで示す必要性の高いもの以外の類似作例は省いた。

また、作品の来歴なども

可能な限り注にまわすか省略した。

レオナルド・ダ・ヴィンチ
​Leonardo da Vinci​

1452年4月15日〜1519年5月2日(67歳没)

フィレンツェ共和国ヴィンチ村〜フランス王国アンボワーズ


レオナルド本人による〈レダ〉の彩色画は無いが、

素描が幾つか残っている。


全身像には大きく分けて、

「跪坐」「立位」とがある。


​〈キャッツワースのレダ〉​と呼ばれる

跪坐タイプの素描には、

表面右下部に、

17世紀か18世紀初頭頃と思われる

​「Leonardo da Vinci」​​との記入が、

ペンとブラウン・インクでなされている。


第二代ヴォンシャー公ウィリアム・キャヴェンディッツシュ

(1729年没)が入手したものと思われ、

その後、

デヴォンシャー公家のコレクションとして代々伝えられた。


もうひとつの代表的な跪坐タイプである

通称​〈ボイマンスのレダ〉​にも、

表面右下隅に17世紀か、

18世紀初頭のものと思われる。

​「Rionardo da Vinci」​の、

ペンとブラウン・インクによる記入がある。

ブリストルとロンドンにいた

トーマス・ローレンス卿(1830年没)で、

1941年にボイマンス美術館財団に寄贈された。


〈アンギアーリの戦い〉のためと思われる

馬のデッサンが描かれた紙葉に、

二体のレダの全身像が描かれている。


どちらも画枠が付いているので、

彩色画を念頭にいれていたことがわかる。


ただサイズがあまりに小さく、

ためらいや描き直しの線があまりに多いので、

下絵としても最終段階のものではなく、

構想のかなり初期の段階のものと思われる。


二点とも跪坐のタイプで、

最大の特徴は、

白鳥がいない点にある。

そのためマルマンジェのように、

レオナルドは最初、

白鳥のいない

〈レダと子〉を構想していたとする見方がある。


ジャンピエトリーノ作とされる〈レダ〉は、

ポーズも白鳥がいない点でも

本素描と似ており、

その直接的な関係性は明らかである。


また、本紙葉に描かれた馬に酷似したモティーフが、

〈アンギアーリの戦い〉での

軍旗争奪場面に描かれているため、

本素描も1504年頃の制作と考えて良いだろう。


立体タイプのレダのスケッチのひとつは、

小型の窓枠に差し込む形で紙葉が挿入されており、

「30」の書き込みが上方にある。


同紙葉の裏面にも、

やはりよく似た立体タイプの

レダのスケッチが描かれている。


裏面には幾何学に関する書き込みがある。

幾何学に没頭していた時期は、

1504年〜1508年頃である。


ここからぺドレッティは、

本スケッチをレダ構想の最初期のものとみている。


本素描と類似のものに、

トリノ王立図書館所蔵の素描がある。

そちらは頭部の向きだけが逆だが、

同じ時期の試行錯誤の一例と思われる。


ナンニらは、

その制作年代を「1504年頃」としている。

同様に、

立体レダのスケッチと思われるものが、

「アトランティコ手稿」にもある。


レオナルドはレダのために女性頭部をスケッチしている。

ここに示したのは、

四つの視点から見た女性の頭部スケッチで、

彼の関心は女性の表情よりも

頭髪の編み方にある。


その毛の長さと量から考えて、

カツラと思われるが、

あまりに緻密なため、

実物を見て描いたものでないことは明らかである。


ウィンザー紙葉にはこの他にも、

類似の女性頭部スケッチがいくつかある。


1879年にミラノ市のコレクションに

「レオナルド派の作」として加わったデッサンは、

帰属問題を常にかかえており、

1890年には、

モレッリによってソドマに帰属され、

1921年には、

アドルフォ・ヴェントゥーリによって

レオナルド本人の作とされた。


ぺドレッティやヴェッツォージは、

ヴェントゥーリ説を支持し、

(べドレッティは1510年〜1511年頃、

 ヴェッツォージは1505年頃としている)、

一方、

マラーニやマリア・テレーザ・フィオリオらは、

レオナルドによるオリジナル作からの模写と考えた。


フィオリオは、

本作品を1515年頃の作とし、

作者としてジャンビエトリーノの可能性を挙げている。


この他に、

パルマ国立絵画館、

フィラデルフィア美術館、

ロンドンのホルフォード=メルチェット・コレクションなどに残る、

一連の「乱れ髪の乙女」とも呼ぶべき

女性頭部デッサン群が存在する。


それらはいずれも頭の傾きと向ける方向、

伏し目などの点で上記二素描と共通点が多い。


これらのことから、

ゴールドブラッドのように

それらを『レダの白鳥』と結びつける研究者もいるが、

より細い楕円の卵型のシルエットと、

なにより渦巻き状の編み目ではなく風に

たなびく乱れ髪である点など、

違いも多い。


筆者は、それらをむしろ

「岩窟の聖母」のマリアとの結びつきで

考えるのが妥当と考えている。


(写真撮影:ほしのきらり)
(参考文献:筑摩書房/池上英洋、レオナルド・ダ・ヴィンチ生涯と芸術のすべてより)



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最終更新日  2022.07.03 00:10:12
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