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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2022.07.04
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カテゴリ:美術館・博物館
ボルゲーゼのレダは、卵がひとつ子が二人ですが、科学調査により驚きの事実が・・・スマイル

『レダと白鳥』

LEONARDO copia da

「​Leda​」

Primo venticin uennio del sevolo XVI

TEMPERA SU TAVOLA CM 115x86

​​『レダと白鳥』​(​ボルゲーゼのレダ​)​

ローマ「ボルゲーゼ美術館」所蔵。


ロブル男爵から受け継いで、

パリのロツィエーレ公爵のコレクションにあった

​『スピリドン・レダ』​は、

1874年、未亡人から

ルドヴィゴ・スピリドンへと所有が移された。

その後、

1941年、ガロッテイ・スピリドン公爵夫人から

ゲーリングに売却され、

大戦後の1948年、

ロドルフォ・シヴィエロ大臣によって取り戻された。

帰属問題は、

諸説あって決着をみておらず、

たとえばマラーニは、

1505年、「アンギアーリの戦い」制作中に登場する

「Fenando spagnolo(スペインのフェルナンド)」

の可能性を提起している。


他にメルツィの名も取り沙汰されてきた。

制作年代は、

ラファエッロによるスケッチとの関連性などから、

ツォルナーや多くの研究者によって、

1505年から1515年頃までの間に

制作されたものと考えられている。


本作品と非常によく似た作例に、

『フィラデルフィアのレダ』と呼ばれる作品がある。

レダと白鳥、

卵と子供たちは、

本作品をトレースしたかのように等しいのだが、

背景の木々や風景部分は大きく異なっている。


1730年以前の記録に欠ける

​『ペンブローク・レダ』​は、

はやくから

「失われたレオナルドの原作の模写」として知られ、

クラークによって1939年に

「チェーザレ・ダ・セストの作で

 あることによってほぼ確実で、

 彼が1507年から1510年の間に

 レオナルド工房で描いたものであろう」

とされた。


『スピリドン・レダ』と『ペンブローク・レダ』と

同系統の他の作品に、

​『ヘイスティングス・レダ』​、

​『腰巻のレダ』​がある。

いずれもレダと白鳥の形状は

前二作品とほぼ同じだが、

卵と子、

背景部分は大きく異なる点に特徴がある。

一方、


​『ボルゲーゼのレダ』​は・・・

1693年のボルゲーゼ家財産目録で最初に言及され、

その時点でレオナルドに帰属されていた。


19世紀になって、

ソドマとバッキアッカ、ブジャルディーニ、メルツィらの

名が作者として挙げられているが、

様式的に、

彼らと本作品を結びつけることには

否定的な分析結果が出ている。


ヴェッツォージによれば、

様式的には、

ミラノのレオナルド派ではなく、むしろ

トスカーナやローマ周辺に近いとしている。


本作品が、

他と異なる大きな特徴は、

​「卵がひとつ、子が二人」​

である点だが上向き矢印

科学調査により、

もともとは

​「卵がふたつ、子が四人」​で、

後世の加筆によって、

現在の姿になったことが明らかにされている。


前述したように、

ルネサンス期に知られていた

『ホメロス賛歌』の「ディオスクーロイ賛歌」では

レダの子が二人しか登場しない。


また、

ケレーニィによれば、

ヘレネと兄弟たちが、

ひとつの卵から生まれる異説もあるという。



レオナルド派は、基本的に

「卵が二つ、子が四人」なので、

アポロドーロスによるレダ伝説の主流に基づいている。

そのため、

『ボルゲーゼのレダ』に加筆した(させた)者は、

こうした異説に基づいた可能性があるだろう。


伝統的にジャンピエトリーノに帰属される本作品は、

彩色画のなかでは跪坐である点と、

白鳥がいない点で異彩を放っている。


本作品は、

1749年にパリで「発見」され、

1756年にヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム8世が購入した。

その時点で卵とひとりの子が塗りつぶされた状態にあり、


そのためレオナルドによる

〈カリタス(慈愛)〉と誤った主題で

1783年の目録に記録された

(〈カリタス〉の擬人像は、一般的に

 三人の子供を抱えた女性の姿で表されているため)。

これをうけて、

ゲーテも紀行文に同種題名で記している。


1806年、ナポレオンのフランス軍によって、

パリに運ばれ、

1821年、パリで売却された後、

1833年、ロンドンのクリスティーズで売り出される。

この間、

1835年以前のどこかで加筆が取り除かれ、

本来の姿と主題が明らかになった。

その後も複数のコレクションを渡った後、

1962年、カッセルへと帰還。

その後断続的におこなわれていた修復が、

1984年、終了した。

この過程でジャンピエロリーノに帰属され、

ほぼすべての研究者によって支持されている。


1984年から1989年にかけておこなわれた

赤外線調査によって、

下絵の下に、ルーヴル美術館所蔵の

レオナルド『聖アンナと聖母子』の構図が発見された。


スポルヴェロ転写法の跡らしき

黒い点があることもわかっており、

最初は『聖アンナと聖母子』の下絵用か?

複写用の板であった可能性が高い。

この点も、

1508年にかけての時期を

本作品の制作時期とする根拠となっている。


以上見てきたとおり、

​『レダと白鳥』​には、

「跪坐」「立位」の二タイプがある。


そのうちレオナルド本人による

「跪坐」のスケッチによれば、

レダは左ひざを前に出し、

右足をやや後ろに引いている。

両手はやや広げ、

左手だけを、

白鳥を包み込むようにまわしている。

頭の向きと傾きは一定ではない。

いずれもレダの足もと、

画面左前方に卵と、

生まれたばかりの乳児が

四人描かれている。



『ジャンピエトリーノの彩色画』は、

レオナルド派のなかで

このタイプに属する唯一の彩色画だが、

右手で赤子を抱えており、

また画面に白鳥がいない点で、

レオナルドによる習作デッサンと大きく異なっている。


(写真撮影:ほしのきらり)
(参考文献:筑摩書房/池上英洋、レオナルド・ダ・ヴィンチ生涯と芸術のすべてより)



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最終更新日  2022.07.04 00:10:10
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