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「きらりの旅日記」

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プロフィール

ほしのきらり。

ほしのきらり。

2022.07.07
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カテゴリ:美術館・博物館
レオナルド・ダ・ヴィンチが中年の30歳〜40歳代には、ミラノで活躍しますスマイル

レオナルド・ダ・ヴィンチ
​​Leonardo da Vinci​​
Vinci,1452-Amboise,1519

La Vierge aux rochers

『岩窟の聖母』1483年〜1485年​

レオナルド・ダ・ヴィンチ
​Leonardo da Vinci​

1452年4月15日〜1519年5月2日(67歳没)

フィレンツェ共和国ヴィンチ村〜フランス王国アンボワーズ没

​​
パレット​レオナルド・ダ・ヴィンチ年譜=2​​パレット

  ミラノ時代(1483年〜1499年)

1483年(31歳)4月6日、​ラファエッロ生まれる。


4月25日、デ・プレディス兄弟とともに、無原罪懐胎信心会より、

サン・フランチェスコ・グランデ教会附属礼拝堂祭壇画の委託

『岩窟の聖母』

5月1日、同祭壇画のための最初の支払いをうける(100リラ)


1485年(33歳)、​『スフォルツァ騎馬像』の構想開始か?

ラファエッロの父:ジョヴァンニ・サンティと

詩人:ウゴリーノ・ヴェリーノがそれぞれレオナルドについて言及

継母:マルゲリータ死亡。

父:セル・ピエロ、ルクレッアと結婚。


1487年(35歳)8月8日、​モラの大聖堂

ティブーリオの模型に対し、8リラの支払い。

9月30日、同前、再度8リラの支払い。


1488年(36歳)1月11日、​同前、40リラの支払い。


1489年(37歳)4月2日、​日付記入。

7月22日、ミラノの大使ピエロ・アラマンニから、

イル・マニフィコ宛の書簡に、イル・モーロが

(スフォルツァ騎馬像)をレオナルドに要請したとの記述。


1490年(38歳)1月13日、​ミラノ公

ジャンガレアッツォ・マリーア・スフォルツァと

王冠ナポリ王の娘イザベッラ・ダラゴーナの祝婚行事として

「パラディーゾ(天国の祝祭)」上演、

レオナルドが総合演出を担当。

4月23日、「1490年4月23日、この本を書き始める。馬を再開」

5月10日、ミラノ大聖堂ティブーリオに関するあらたな依頼。

6月、[パヴィア]フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・

マルティーニとともにパヴィアに行き、〈レジソーレ〉を視察。

7月22日、サライが住み始める。当時10歳

7月23日、サライが住み始めて二日目に、4リラ財布からくすねた。

7月24日、サライが住み始めて三日目に、2人前の食事を平らげる。

9月7日、サライがマルコ・ドッジョーノの22ソルティ相当の銀筆を盗む。

この頃、

『白貂を抱く貴婦人』を制作か?

アルジェロ・ポリツィアーノ台本による劇「オルフェ」を初演か?


1491年(39歳)1月26日、​騎馬槍試合の総合演出、

その最中に、サライが他人の財布を盗む、2リラ4ソルディ

4月2日、ボルトラッフィオの24ソルディ相当の銀筆をサライが盗む。

5月12日、「制作中のブロンズの馬について記す」

マントヴァで「オルフェオ」劇再演、

弟子:アタランテ・ミリオロッティが主役をつとめる。

実母:カテリーナとアカッタブリーガの子フランチェスコが戦死。

同じ頃、アカッタブリーガも死亡。


1492年(40歳)、​ジュリアーノ・ダ・サンガッロに、

騎馬像の鋳造への助言をあおぐ。

7月10日、金銭メモ。


1493年(41歳)1月1日、​円が大きくなると

コンパスを使う必要があるのはなぜ、の記述に年紀。

3月18日、「ドイツ人のジューリオ、私のところに来る」

同紙葉に、他に2月末、9月27日、10月6日の記入あり、

7月16日、「カテリーナ来る」

11月1日、金銭メモと、それまでの数ヶ月の仕事の記録と期間

11月30日、〈スフォツルァ騎馬像〉の粘土逆像模型、

ピアンカ・マリーア・スフォルツァと

神聖ローマ皇帝マクシミリアンの祝婚祭典で披露。

12月20日、騎馬像鋳造の記述(横倒しにして鋳造することにした)


1494年(42歳)、​『最後の晩餐』の壁画を委託される。
​​

(ラ・ベル・フェロニエール)を制作か?

1月29日、出費メモ、同紙葉に「壁の高さは何プラッチャか、

125プラッチャ6」の記入(最後の晩餐に関する最初の記述)

2月2日、スフォルツァ城での階段の設計メモ、

2月〜3月、ヴィジェヴァノに滞在。

3月14日、「ガレアッツォが来て私のところに住む」

3月20日、「ヴィジェーヴァノの葡萄園」

6月26日、ミラノの公文書に「フィレンツエのカテリーナ」

なる女性が60歳で亡くなったとの記録。

7月14日、「ガレアッツォから2ライン・フィオリーニを受け取る」

9月15日、「ジューリオは、私の仕事場の鍵にとりかかる」

11月17日、イル・モーロが、騎馬像のためのブロンズをフエッラーラに送る。

カテリーナの埋葬に要した諸経費のリスト。


1495年(43歳)、​ミラノの公文書に、技師で画家としての名。

パチョーリの「スンマ」を購入。


1496年(44歳)1月2日、​「明日1496年1月2日の朝、

試しに革の紐を造らせよう」

1月31日、バルダッサーレ・タッコーネ台本による

「ダナエ」劇上演、レオナルドは総合演出を担当

ミラノに来たルカ・パチョーリと交友。


1497年(45歳)1月3日、​月日のみ記入。

4月4日、サライに服を買ったメモ。サライが4ソルディ盗む。

9月18日、イオディッティが来て住み始めたことの記録。

9月28日、「トルコのニオライオの子タデオは、

サン・ミケーレの祝日の前日、1497年9月28日に9歳を迎えた」

10月17日、買い物の記録。

10月17日、ベネデットが来て住み始めたとの記録(おそらくこの年)

12月7日、金額の記録。


1498年(46歳)2月頃、​『最後の晩餐』完成。
​​

2月8日、スフォルツァ城での「学芸の決闘」にパチョーリと参加。

3月17日、鉄を延ばす力についての記述。

4月10日、レオナルドが、「黒の間」の装飾を

手掛けていることをミラノ財務官バスカペが記録。

4月23日、レオナルドが「アッセの間」に

とりかかることをバスカペが記録。

4月26日、イザベッラ・デステから、

チェチリア・ガレッラーニに宛てて、

レオナルドが描いたチェチリーニの肖像画

(=『白貂を抱く貴婦人』)を貸して欲しいのとの手紙。


4月29日、チェチリアからイザベッラに返書。

5月18日、イザベラから絵を返却したとのチェチリアへの手紙。


1499年(47歳)4月1日、​金額のメモ。

4月26日、イル・モーロから、ミラノ郊外の葡萄園を与えられる。

(1498年の説もあり)

8月1日、「ここに運動と重さについて記す』

12月14日、ミラノからフィレンツェの

サンタ・マリア・ヌオーヴァ病院への送金記録

600フィオリーニ。


(写真撮影:ほしのきらり)
(参考文献:筑摩書房/池上英洋、レオナルド・ダ・ヴィンチ生涯と芸術のすべてより)


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最終更新日  2022.07.07 00:10:10
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