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カテゴリ:美術館・博物館
レオナルド・ダ・ヴィンチが中年の30歳〜40歳代には、ミラノで活躍します
![]() レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci Vinci,1452-Amboise,1519 ![]() La Vierge aux rochers 『岩窟の聖母』1483年〜1485年 レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci ![]() 1452年4月15日〜1519年5月2日(67歳没) フィレンツェ共和国ヴィンチ村〜フランス王国アンボワーズ没 ![]() ![]() ミラノ時代(1483年〜1499年) 1483年(31歳)4月6日、ラファエッロ生まれる。 ![]() 4月25日、デ・プレディス兄弟とともに、無原罪懐胎信心会より、 サン・フランチェスコ・グランデ教会附属礼拝堂祭壇画の委託 ![]() 『岩窟の聖母』 5月1日、同祭壇画のための最初の支払いをうける(100リラ) 1485年(33歳)、『スフォルツァ騎馬像』の構想開始か? ラファエッロの父:ジョヴァンニ・サンティと 詩人:ウゴリーノ・ヴェリーノがそれぞれレオナルドについて言及 継母:マルゲリータ死亡。 父:セル・ピエロ、ルクレッアと結婚。 1487年(35歳)8月8日、モラの大聖堂 ティブーリオの模型に対し、8リラの支払い。 9月30日、同前、再度8リラの支払い。 1488年(36歳)1月11日、同前、40リラの支払い。 1489年(37歳)4月2日、日付記入。 7月22日、ミラノの大使ピエロ・アラマンニから、 イル・マニフィコ宛の書簡に、イル・モーロが (スフォルツァ騎馬像)をレオナルドに要請したとの記述。 1490年(38歳)1月13日、ミラノ公 ジャンガレアッツォ・マリーア・スフォルツァと ![]() 「パラディーゾ(天国の祝祭)」上演、 レオナルドが総合演出を担当。 4月23日、「1490年4月23日、この本を書き始める。馬を再開」 5月10日、ミラノ大聖堂ティブーリオに関するあらたな依頼。 6月、[パヴィア]フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・ マルティーニとともにパヴィアに行き、〈レジソーレ〉を視察。 7月22日、サライが住み始める。当時10歳。 7月23日、サライが住み始めて二日目に、4リラ財布からくすねた。 7月24日、サライが住み始めて三日目に、2人前の食事を平らげる。 9月7日、サライがマルコ・ドッジョーノの22ソルティ相当の銀筆を盗む。 この頃、 ![]() 『白貂を抱く貴婦人』を制作か? アルジェロ・ポリツィアーノ台本による劇「オルフェ」を初演か? 1491年(39歳)1月26日、騎馬槍試合の総合演出、 その最中に、サライが他人の財布を盗む、2リラ4ソルディ 4月2日、ボルトラッフィオの24ソルディ相当の銀筆をサライが盗む。 5月12日、「制作中のブロンズの馬について記す」 マントヴァで「オルフェオ」劇再演、 弟子:アタランテ・ミリオロッティが主役をつとめる。 実母:カテリーナとアカッタブリーガの子フランチェスコが戦死。 同じ頃、アカッタブリーガも死亡。 1492年(40歳)、ジュリアーノ・ダ・サンガッロに、 騎馬像の鋳造への助言をあおぐ。 7月10日、金銭メモ。 1493年(41歳)1月1日、円が大きくなると コンパスを使う必要があるのはなぜ、の記述に年紀。 3月18日、「ドイツ人のジューリオ、私のところに来る」 同紙葉に、他に2月末、9月27日、10月6日の記入あり、 7月16日、「カテリーナ来る」 11月1日、金銭メモと、それまでの数ヶ月の仕事の記録と期間 11月30日、〈スフォツルァ騎馬像〉の粘土逆像模型、 ピアンカ・マリーア・スフォルツァと 神聖ローマ皇帝マクシミリアンの祝婚祭典で披露。 12月20日、騎馬像鋳造の記述(横倒しにして鋳造することにした) 1494年(42歳)、『最後の晩餐』の壁画を委託される。 ![]() (ラ・ベル・フェロニエール)を制作か? 1月29日、出費メモ、同紙葉に「壁の高さは何プラッチャか、 125プラッチャ6」の記入(最後の晩餐に関する最初の記述) 2月2日、スフォルツァ城での階段の設計メモ、 2月〜3月、ヴィジェヴァノに滞在。 3月14日、「ガレアッツォが来て私のところに住む」 3月20日、「ヴィジェーヴァノの葡萄園」 6月26日、ミラノの公文書に「フィレンツエのカテリーナ」 なる女性が60歳で亡くなったとの記録。 7月14日、「ガレアッツォから2ライン・フィオリーニを受け取る」 9月15日、「ジューリオは、私の仕事場の鍵にとりかかる」 11月17日、イル・モーロが、騎馬像のためのブロンズをフエッラーラに送る。 カテリーナの埋葬に要した諸経費のリスト。 1495年(43歳)、ミラノの公文書に、技師で画家としての名。 パチョーリの「スンマ」を購入。 1496年(44歳)1月2日、「明日1496年1月2日の朝、 試しに革の紐を造らせよう」 1月31日、バルダッサーレ・タッコーネ台本による 「ダナエ」劇上演、レオナルドは総合演出を担当 ミラノに来たルカ・パチョーリと交友。 1497年(45歳)1月3日、月日のみ記入。 4月4日、サライに服を買ったメモ。サライが4ソルディ盗む。 9月18日、イオディッティが来て住み始めたことの記録。 9月28日、「トルコのニオライオの子タデオは、 サン・ミケーレの祝日の前日、1497年9月28日に9歳を迎えた」 10月17日、買い物の記録。 10月17日、ベネデットが来て住み始めたとの記録(おそらくこの年) 12月7日、金額の記録。 1498年(46歳)2月頃、『最後の晩餐』完成。 ![]() 2月8日、スフォルツァ城での「学芸の決闘」にパチョーリと参加。 3月17日、鉄を延ばす力についての記述。 4月10日、レオナルドが、「黒の間」の装飾を 手掛けていることをミラノ財務官バスカペが記録。 4月23日、レオナルドが「アッセの間」に とりかかることをバスカペが記録。 4月26日、イザベッラ・デステから、 チェチリア・ガレッラーニに宛てて、 レオナルドが描いたチェチリーニの肖像画 (=『白貂を抱く貴婦人』)を貸して欲しいのとの手紙。 ![]() 4月29日、チェチリアからイザベッラに返書。 5月18日、イザベラから絵を返却したとのチェチリアへの手紙。 1499年(47歳)4月1日、金額のメモ。 4月26日、イル・モーロから、ミラノ郊外の葡萄園を与えられる。 (1498年の説もあり) 8月1日、「ここに運動と重さについて記す』 12月14日、ミラノからフィレンツェの サンタ・マリア・ヌオーヴァ病院への送金記録 600フィオリーニ。 (写真撮影:ほしのきらり) (参考文献:筑摩書房/池上英洋、レオナルド・ダ・ヴィンチ生涯と芸術のすべてより) ![]() レオナルドに ![]() ![]() ![]()
最終更新日
2022.07.07 00:10:10
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