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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

ほしのきらり。

カテゴリ

2022.08.06
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カテゴリ:美術館・博物館
17歳で親方になったラファエロは、花の都フィレンツェへ行き2人の偉大な芸術家に出会いますスマイルスマイル

ラファエロ・サンティ
​Raffaello Santi​

​『一角獣の貴婦人』​​1505年〜1506年頃​

カンヴァスに油彩(板から移行)65.0cmx51.5cm

(フィレンツェ時代)

ローマ「ボルゲーゼ美術館」所蔵。


パレットラファエロの「フィレンツェ時代」​パレット

若きラファエロは、フィレンツェで、

二人の偉大な先人に出会うという幸運に恵まれた。

1500年代初頭、

​レオナルド・ダ・ヴィンチ​は、

すでに50代の円熟期にあり、

30代のミケランジェロは、

まさにキャリアのピークを迎えようとしていた。

ラファエロは、

この貴重な機会を逃さなかった。

彼は確実に、

レオナルドのほぼすべての作品を見ている。​

そして貪欲に、

巨匠の様式をとり込み始める。

たとえば、

レオナルド工房で多作された

『レダと白鳥』のポーズは、

のちの『ガラティアの凱旋』などの原型となる。

とりわけ、

レオナルド・ダ・ヴィンチ
​​Leonardo da Vinci​​
Vinci,1452-Amboise,1519

​​​​La Gioconda(La Joconde)

​『モナ・リザ』(ラ・ジョコンダ​​)​
で打ち出された

「四分の三面観」や、

手の配置、

背後の風景などには衝撃をうけたようで、

彼のその後の肖像画は、

ほぼすべて、

『ラ・ジョコンダ』との共通点を持つまでになった。


​ミケランジェロは・・・​

ラファエロがフィレンツェにいた1504年、

フィレンツェ政庁からの注文である

『ダヴィデ』を完成させている。

​​​それをどこに置くかを審議するためだけに、

ボッティチェリやレオナルド、ペルジーノらが、

召集されたことをみれば、

この作品がフィレンツェにとって

いかに貴重なものだったかがわかる。

ラファエロがこの巨人に無関心でいられるわけもなく。


たとえば、

ラファエロ・サンティ
​Raffaello Santi​

​​『バリオーニの祭壇画』​1507年​ に描かれた、

マリアを下から支えようとしている女性は、

ミケランジェロの『トンド・ドーニ』ウフィツイ美術館)

を学んだ結果であり、

激しく身を回転させるその動きは、

まさに彫刻的である。


古代に学んだミケランジェロのエッセンスが、

こうしてラファエロにとりこまれていく。


ラファエロが古代への憧憬を募らせ、

次にローマを目指したのは当然の帰結といえる。


この点で、

古代彫刻の『三美神』​​

に触れたことは、

ラファエロにとって大きな転換点となった。


紀元前3~2世紀頃の

ギリシャのオリジナル彫刻が、

ローマ帝国時代の3世紀頃に

大理石でコピーされた作品である『三美神』は、

1502年、

フランチェスコ・ピッコローミニ枢機卿

(翌年教皇ピウス三世となる)によって、

ローマの邸宅から、

シエナ大聖堂の内部に移されていた。


シエナの隣国フィレンツェにいたラファエロは、

さっそくこの古代彫刻に学んだ。

その成果が、


『三美神』である。

現存するラファエロの最初の俗主題

(=聖書を題材としない)作品である『三美神』は、

『騎士の夢』と一対をなしていた。


三人の美神は、

それぞれゆるやかなS字と、コントラポスト

(両足をずらして体重をかける古代彫刻ならではのポーズ)をとり、

全体的に美しいまとまりを獲得している。​

(参考文献:新人物往来社・ラファエロの世界より)
(写真撮影:ほしのきらり)



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最終更新日  2022.08.06 00:10:09
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