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カテゴリ:美術館・博物館
ラファエロはどんな環境で育ったのでしょうか?〜幼少期の彼についても詳しく知りたいですね
「ラファエロの初めの師は、 父ジョヴァンニ・サンティと マルケの風景であった」 ・・・美術史家:オスカー・フィッシュは、 このような一文で、 彼の初期の活動について切り出す。 若き日のラファエロが置かれていた環境を示す、 端的な一文である。 ラファエロ・サンティ Raffaello Santi 最晩年(左=36歳の時) 1483年4月6日〜1520年4月6日(37歳没) イタリアのウルビーノ公国に生まれる。 盛期ルネサンスを代表する画家・建築家。 レオナルド・ダ・ヴィンチと、 ミケランジェロとともに 盛期ルネサンス三大巨匠のひとり。 八頭身の長身でイケメン、 誰にも好かれた人柄であった。 【代表作】 『アテネの学堂』 『システィーナの聖母』 ラファエロの誕生と幼少期 ルネサンス時代のイタリア画家に限らず、 芸術家を語る際には、 多くの場合、 地域的な環境が前提として重要となる。 地域ごとに特徴的な様式が根付き、 そこから画家の個性が育まれていくためである。 ラファエロは・・・ イタリア中部に位置する マルケ地方の都市「ウルビーノ」に生まれた。 標高485mの山間に位置する、 この小都市は、 緑豊かな田園に囲まれた、 風光明媚な風土である。 ウルビーノは・・・ 15世紀中頃より、 モンテフォルトロ家に統治された公国で、 公爵一族の住まうドゥカーレ宮殿が、 城壁に囲まれた都市の中心にそびえ建つ。 ラファエロの父は・・・ この公爵家に仕えた文人画家: ジョヴァンニ・サンティ(1440頃〜94年)を父に、 1483年4月6日に誕生した。 母親は、 マジア・ディ・バッティスタ・チャルラという ウルビーノの女性で、 ラファエロの前に、 男児と女児を一人ずつ出産していたが、 いずれも幼年で死去していた。 ウルビーノ公国の地位は・・・ 傭兵隊長として武勲が知られた フェデリコ・ダ・モンテフェルトロ三世、 (1422〜82年)が他界すると、 嫡男グイドバルド(1472〜1508年)が後継を担う。 ラファエロが生まれたのは・・・ 侯爵が交代した時期、 フェデリコの死から一年後にあたった。 ラファエロの父:ジョヴァンニが仕えた ウルビーノの宮殿では、 小規模ながら洗練された文化が展開していた。 絵画の分野では・・・ ピエロ・デッラ・フランチェスカ(1416/7~92年)のような、 イタリア出身の画家だけでなく、 アルプス以北からも、 芸術家が招かれ活動していた。 宮殿の画家による絵画では、 フェデリコ・ダ・モンテフェルトロと、 幼いグイドバルドが描かれている。 ガウンの下に甲冑を身に着けたまま 書物を読むフェデリコの姿には、 軍人ながら教養を備えた、 知的な君主のイメージが反映されている。 父:ジョヴァンニ・サンティもまた、 宮殿に仕えた画家であったが、 後世に評価されているのは 文人としての功績であり、 代表作は、 公爵フェデリコの業績を記念する「韻文年代記」である。 父親の職業を考えると・・・ ラファエロは幼い頃から 宮殿文化に接する機会に恵まれていたと見るのが自然だろう。 ちなみに、 ラファエロの出生時の苗字は、 サンティ(Santi)だが、 のちに人文主義的趣向から、 ラテン語風に サンツィオ(Sanzio)と署名するようになる。 今日、一般的に ラファエロ・「サンツィオ」と表記するのは、 本名ではなく署名にちなんでいるわけだ。 ラファエロの生家は・・・ 現在もウルビーノ市内に残され、 美術館として一般に公開されている。 画材を扱ったと思しき場所や、 幼少の頃のラファエロが描いたのではないかと いわれる壁画が残されている。 サンティ家は・・・ 急な坂道に面しているのだが、 その坂を下り、 しばらく道を進むと、 ドゥカーレ宮殿の広場に数分でたどりつく距離である。 父:ジョヴァンニが、 幼いラファエロの手を引いて、 宮殿まで連れて行ったこともあったかもしれない? いずれにせよ、 ラファエロは両親と、 そう長い時間を過ごすことはできなかった。 ラファエロの生母マジアは、 1491年、ラファエロの8歳の時に他界、 ジョヴァンニは後妻として、 ベルナルディーナ・ディ・バルデを娶り、 エリザベッタという女児を授かる。 しかし、 ジョヴァンニ自身もまた1494年に死去し、 まだ11歳だったラファエロの後見は、 以降、母方の伯父が担う。 幼少の頃から、 絵画の才覚に恵まれていたと言われるラファエロが、 父と同じ画家の職業へ進んだことは、 そう不思議ではないだろう。 当時、 絵や彫刻の専門職になるためには、 工房に入るのが一般的だった。 親方のもとに若年のうちから弟子入りし、 画材の準備などの下働きを通じて 徒弟・見習いとなるシステムである。 そして、 絵画術の基礎を身につけた後は、 親方の制作の一部を手伝い、 徒弟期間を終えれば、 独立して自身が親方になる道も開けた。 修行時代のラファエロについては・・・ 史料が乏しく不明な部分が多い。 だが、 幼年期に画家でもあった父:ジョヴァンニから 直接手ほどきを受けたと考えられるだろう。 父の死後は、 ジョヴァンニの工房で助手を務めていた、 エヴァンジェリスタ・ダ・ピアン・ディ・メレート という画家に学んだと推測されている。 (参考文献:中公新書2614ラファエロ-ルネサンスの天才芸術家より) (写真撮影:ほしのきらり。) ラファエロにぽち お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.08.15 00:10:10
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