テーマ:世界遺産紀行(1093)
カテゴリ:エジプト
エジプトから、大きなニュースが飛び込んできました!エジプトで、初めて女王になったハトシェプスト女王のミイラが特定されました。
きらりが、エジプトに行ったのは、丁度1年前の6月事です。 新聞の記事をお借りしました ミイラ:古代エジプト初の女王だった 1903年に発見 27日、カイロのエジプト考古学博物館でハトシェプスト女王と特定された。 (新聞記事にミイラの写真あり) 自ら建立したといわれるハトシェプスト女王葬祭殿 きらりは、おまけ・・・・サービス・・・いらんけど! 【カイロ高橋宗男】エジプト考古庁のザヒ・ハワス局長は27日、 カイロのエジプト考古学博物館で記者会見し、 古代エジプト第18王朝期(紀元前16~14世紀)に君臨した古代エジプト初めての女王、 ハトシェプスト女王(在位・紀元前1503年ごろ~同1482年)のミイラを確認したと発表した。 同局長は「ツタンカーメン王のミイラ発見以降、最も重要な発見の一つ」と述べた。 ハワス局長によると、 ハトシェプスト女王と確認されたミイラは1903年にエジプト南部ルクソールの「王家の谷」で発見されたミイラ2体のうちの一つ。 王家の谷 1922年にツタンカーメン王のミイラを発見した英国人考古学者、ハワード・カーター氏が発見したが、 墓自体が小規模で粗末な造りだったために当時は重要なミイラとはみなされなかった。 ハワス局長らのチームが、ミイラや所蔵品をCTスキャンで調べたところ、 1881年に別の墓で発見された箱にハトシェプスト女王の名が刻まれていることが判明。 箱から防腐処理した肝臓などとともに見つかった1本の臼歯と、 1903年に発見されたミイラの歯茎の穴が一致した。 ハワス局長は「DNA鑑定でも一致している」と説明した。 同女王は第18王朝第5代で、「ファラオ」の称号を持つ古代エジプトの数少ない女性として知られる。 トトメス2世と結婚し王妃となった。 2世の死後、トトメス3世の摂政として実権を握り、後に自ら女王に即位した。 第18王朝は、現在のソマリアにあたるプントとの交易を行うなど、 古代エジプトの栄華を体現したとされる。 自ら建立したといわれる、カイロの南670キロのナイル河畔に位置する古都ルクソールの「ハトシェプスト女王葬祭殿」では、 1997年11月にイスラム過激派による銃撃事件が発生し、日本人10人を含む60人以上が死亡した。 毎日新聞 2007年6月27日 21時17分 (最終更新時間 6月27日 23時36分) ハトシェプスト女王のミイラが、見つからないので、山を沢山掘っていましたが・・・ やはり、王家の谷にミイラが、あったのですね~女王様良かったですね 「きらりの旅日記」ハトシェプスト葬祭殿【世界遺産】のお話はココ いや~懐かしいです・・・・あれから1年しか経ってないなんて~信じられません! あああああ~エジプトに・・・・・また行きたくなります・・・ 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.06.28 00:37:10
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