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2021/11/11(木)00:00

山風版『若者のすべて』+『荒野の決闘』 小説「御用侠」

山田風太郎(43)

みなさんこんばんは。『ドラゴンクエスト』シリーズの音楽などの作曲家・すぎやまこういちさんが亡くなりましたね。今日も山田風太郎作品を紹介します。 御用侠 山田風太郎 小学館 頃は賄賂横行の文政。 子沢山で知られる将軍家斉の時代。愛妾お美代の方とその養父・中野石翁が実権を握っていた。そんな中央政府の退廃と、遠く離れた上州に、牧童・くるま牧の勝太がいた。火のようにかあっと熱くなる単純な彼の当初の綽名は「火の勝太」→嬉しくなると放屁をするので「屁の勝太」→口癖が「なあに、屁のカッパさ。」という所から、最終的に「屁のカッパ」と呼ばれる(ああ、長かった)。 そんな彼が、混血馬と父親を殺され、相手を斬ってしまった。故郷にいられなくなり、江戸を目指す彼のどこがいいのか、敵対する親分の妾・お麦も、彼について来る。 本篇の主人公である彼は、好きな博打勝負と同じく、物事を「丁か半か」で切り分ける。嬉しくなると放屁をする天衣無縫キャラは、氏の明治もの『ラスプーチンが来た』の主人公、若き明石元二郎の印象とかぶる。屁のカッパは、鍔の広い帽子をかぶり、パンタロンに似たラッパズボンを履いている。女の髪で編んで作った投げ縄まで持って、馬に乗ってやって来るのだから、まるっきりカウボーイだ。お麦はさしずめ、色っぽい酒場の女という役どころか。 ある事件をきっかけに、屁のカッパは、英語を話すインテリ同心・恥かし瓢兵衛(本名蓮樫瓢兵衛)から、十手を預かる。 西部劇風に言えば、保安官からバッジを託された助手が若さと正義感を武器に、快刀乱麻、江戸の悪を断つ! おお、カッコいい! ところが、そうはならない。 幡随員長兵衛に憧れる彼の正論は、大江戸では悉く通用せず、良かれと思ってやった事が悲惨な結果を生む。当然ながら、世の中は、「丁か半か」で切り分けられるほど、単純明快ではないからだ。快音は聞かれなくなり、彼は表情を曇らせる。大与力の娘で上司・瓢兵衛を慕う旗江「クレメンタイン」まで失踪し、ますます意気消沈する彼の前に現れたのは、お数寄屋坊主の河内山宗俊。葛飾北斎と組んで枕絵を書かせ、幕閣達を強請っていた。初めは反発していた屁のカッパだが、ずるずると、ずるずると、「どうせ悪ならとことん悪へ」と退廃の道を辿ってゆく。お麦、乗ってきた馬・吹雪。少しずつ、西部劇の世界が消えてゆき、後には陸に上がって途方に暮れたカッパだけが残される。序盤の勢いの良さに比べて、とても寂しい中盤だ。 「なんでも黒白をはっきりさせないと気がすまない。ありゃ、放っておくと、いつかもっと大きな事で牢に入ることになるぜ。」 「世の中は、まあ、こんなものだな。こう見えても明るい所もあれば、黄昏色の所もある。」 瓢兵衛は、高野長英の未来や人の世について、これだけ偉そうな事を言いながら、崩れてゆく屁のカッパに意見する事もできない。 結果として、世の中を、自分を恥じるだけの偽善者・傍観者に留まってしまう。そこが何とも歯切れが悪い。 エロティックの中に、きらりと光る鋭い一瞥は、連載当時話題となったロッキード事件に対して、何も出来なかった瓢兵衛=官僚達に向けられたものか。 読んだのがヴィスコンティの映画『若者のすべて』を見た後だったので、田舎育ちの若者が、都会に出てきて、その毒に染まってゆく本作は、非常に映画によく似ていると思った。 昭和51年11月〜52年7月まで月刊ゲンダイにて連載。 ​【中古】 御用侠 / 山田 風太郎 / 小学館 [文庫]【宅配便出荷】​​もったいない本舗 おまとめ店​

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